16逃げられない!?
フェリシエルは今王宮の広い庭園の片隅でティーテーブルに座り、裁縫をしている。白い布を袋状に縫い合わせた。そして細長い肩掛けひもを縫う。チクチクと心を込める。それは前世の記憶をたどって作ったものだ。
「フェリシエル嬢」
声をかけられて振り返るとジーク・レスターだった。フェリシエルは舌打ちしそうになる。この場所は人が来ないので、お気に入りの場所だったのに、よりによって悪役令嬢断罪のメンバーの一人に見つかってしまった。
しかし、彼女は公爵令嬢だ。きちんと淑女の礼をした。
「そんなに、かしこまらなくていいよ。君と僕の仲ではないか」
「はい?」
(いえいえ、あなたとそんなに仲良くした覚えはありせん)
とりあえず失礼な本音は飲み込み、愛想笑いを浮かべた。最近お妃教育のため週三で城に行っているが、そのうち二回はジークにばったり出会う。妙に彼とはエンカウント率が高い。彼は一度王子と一緒にフェリシエル会いに領地にやってきて以来、なぜか馴れ馴れしい。
すすめてもいないのに、さっさと椅子に座ってしまう。すると彼についてきた使用人がお茶を淹れ、茶菓子を準備してくれた。フェリシエルはもうそろそろダンスのレッスンがあるのだが、少し付き合わないわけにはいかない。
そして気付けば、ジークに騎士団の修練場に見に来ないかと誘われている。
(いや、だから、なんで私が行かなきゃいけないの? 興味ないのだけれど)
「おや、ジークじゃないか。これはこれはフェリシエル嬢、ジークといつこんなに親しくなったのです?」
宰相の息子モーリスが現れた。そして驚いたことにすすめてもいないのに彼もさっさと座り、一緒にお茶を飲み始めた。
気付くと彼女はヒロインの攻略対象二人に挟まれていた。しかも彼らはゆくゆくフェリシエルを断罪する予定である。ここで愛想を振りまいておけば、断罪は免れるかもしれないと頭の片隅で考えた。
「そういえば、フェリシエル嬢。この間メリベル嬢にどんな花が好きかと聞いたら、あなたから頂ける花はなんでも嬉しいと言われてしまいまして、結局彼女が何の花を好きなのかわかりませんでした」
そういえば、モーリスとお茶を飲んだ時、花を贈るときは相手の好みを聞いた方がいいと適当にアドバイスした覚えがある。
「まあ、そうですの。それならば、バラを贈ってみてはいかがでしょう? この間バラの髪留めをしていましたよ」
フェリシエルがそつなく言う。おそらくメリベルは値の張るものが好きだ。
「バラの髪留め? それはもしかして。金にルビーをあしらったものでではないですか?」
「よくご存じで」
確かにジークの言う通りだった。よく彼女を見ている。やはり、メリベルをねらっているのだ。
「それは僕が去年彼女の誕生日に贈ったものだよ」
ジークのこの発言で場の空気が凍った。モーリスの知的な顔が一瞬引きつる。二人がここで喧嘩にでもなったら面倒だなとフェリシエルは思った。
「そうだ。フェリシエル嬢。彼女、銀でユリの花をかたどった真珠の髪留めをつけていたことはありませんでしたか?」
なぜかモーリスがフェリシエルに話をふる。しかし、メリベルがそのような髪留めをつけていた覚えはない。だいたいメリベルは真珠や銀を身に着けていたことはない。彼女は地味なものは好まないのだ。しかし、素直に答えるとまずいことになりそうだった。おそらくその髪留めはモーリスが贈ったものなのだろう。
いきなりピンチだ。暑くもないのに、フェリシエルは額に汗をかいた。
「フェル。楽しそうだね。何をしているの?」
この世に当てつけのように人前で彼女をフェルと呼ぶのは王子しかいない。振り返ると、やはり彼だった。そしてなぜかメリベルをエスコートしている。腕を組んでいる状態だ。こんな場面を前世の夢で見た気がする。
(なに? これから断罪始まる流れなの?)
フェリシエルはしっぽを巻いて逃げることにした。
「あのう。大変申し訳ございませんが、私これから、ダンスのレッスンがありますので。失礼いたします」
「え、もう行っちゃうの? 残念だな。では僕が送りましょう」
ジークが立ち上がる。おかしい、彼のお気に入りはメリベルのはずだ。それとも是が非でもフェリシエルを逃がさず、ここで断罪をするつもりなのか。このメンバーはまずい。
「いいえ、結構です。鍛錬でお疲れでしょう。のんびりなさっていてくださいませ。では失礼いたします」
「ぜひ、修練場にお越しくださいね」
まだ、ジークが言っている。失礼のないように気をつけつつ、迅速にその場を去った。回廊を曲がりほっと一息ついたところで、ぐいと腕をつかまれた。王宮でこんな失礼なことをするのは一人しかいない。
「フェリシエル、随分と楽しそうだったけれど、彼らと何をしていたの? 最近、ジークと親しくしているようだね」
見慣れた氷の笑顔で王子が言う。
「殿下、もしかして私にやきもちを?」
「そんなわけないでしょ? それ君が一番よくわかっているよね。 君に悪い噂が立つと困るから言っているんだよ? ジークと浮気してるなんて噂されたらどうするつもりなのかな?」
畳みかけられてフェリシエルは怯えた。二人きりにしては口調丁寧な方なのに、いつもの何倍も怖い。王子は虫の居所でも悪いのだろうか。
「たまたま、ばったり会っただけです」
「あんな人気のないところで?」
その人気のないところにヒロインとその攻略者が集まった。恐ろしい偶然だ。最近では王子とこのまま結婚して断罪はないのかもしれないなどと思う事もあったが、ゲームの強制力はそんな甘いものではないのかもしれない。フェリシエルは心底怯えた。さっきまで王子の腕にはメリベルが張り付いていたのだ。そういえばメリベルどこへ行ったのだろう?
「どうして、あのような場所にいたのだ?」
気付けば、王子がしつこい。
「誰も来ないから、都合がよかったんです。お妃教育は厳しくて息が詰まってしまうのです。だから、一人になりたくてあそこにいたんです」
「あとから、ジークが来たわけだね? それでお茶に誘ったと」
「違います。すすめもしないのに勝手に椅子に座ったんです」
「彼が、そんな失礼なことするとは思えないけどなあ」
フェリシエルはカチンと来た。
「だったら、そう思っていれば、いいじゃないですか! はじめから私の言うことを信じないつもりならば、私になんか聞かないで、ジーク様に聞けばいいじゃないですか」
「もう聞いた」
「彼はなんて?」
「さあ、どうだったかな」
先ほどから続く恐怖に、追い打ちをかけるような王子の意地の悪い言動で、フェリシエルは怒りや恐怖や悲しみに一気に襲われた。その結果不本意ながら、泣きそうになった。
一方王子は目に涙をためているフェリシエルを見て、やりすぎたことに気づいた。彼女の怒った顔は好きだが、泣かすつもりはない。
「これからは、人目につかない場所に行くな。王宮の中も危険だという事はわかっているだろう」
「……」
意地の悪い口調をあらためたが、フェリシエルは黙ったままだ。
「そうだな。それほど負担になるのなら、時間を減らしてもらおう」
「ぜひ、そうしてください」
王子の言葉に彼女は力強く同意した。驚くほど素早い立ち直りだ。どうやらお妃教育がだいぶ負担になっていたようだ。
その後、王子はお妃教育の内容を調べたが、随分高度なことをやっている。というより、不必要なことをやらされている。勉強だけは出来る彼女は、もうとっくに水準に達していたのだ。明らかに王妃一派の嫌がらせだった。王はだんだんと王妃の言いなりになりつつある。非常に危険だ。
王子にとってはフェリシエルが王宮に来てくれた方が助かる。彼女だけが、彼の最大の秘密であり、弱みを詳しく知っている。王は、彼が人間に戻れない時間があることを知らない。
王宮にフェリシエルがいれば、いざという時に逃げこめるし、もし彼女が王子の真実を話したとしても誰も信じる者はいないだろう。非常に都合が良い存在なのだ。
結局、フェリシエルには週一で、財政関連について勉強してもらうことにした。彼女ならば覚えも早いし、妻になったら仕事をカバーしてもらおう。
フェリシエルは生意気で気に入らないが、なぜか話が合う。彼にとって一緒にいて、一番楽な相手だった。