09イベント1
年若く美しい王子とその婚約者が群衆に向かって手を振ると、大きな歓声が上がった。リュカ殿下の隣で人々に向かって微笑みかけるフェリシエルは、なぜこうなったのだろうと小さく首を傾げた。
現在、彼女は王都の隣にあるノルド大公領の修道院に王子とともにいる。そこには孤児院があり、二人は慰問に訪れたのだ。
確かこれはゲームのイベントにあったはずだ。朧げに覚えている。しかしゲームで隣に立っていたのはフェリシエルではなくメリベルだった。なぜこうなったのか自分でもわからない。不思議と王子は要所要所でフェリシエルを引きずり出す。逃げようとしても王子はシャルルと仲が良いらしく、いつも先回りされ捕まってしまう。
毒を飲まされた事件以来、二人きりで茶会をすることはなかった。よって、王妃とメリベルを交えたお茶会をやっている。しかし、困ったことに今まで王妃とメリベルをそつなくもてなしていた王子が、なぜかフェリシエルと仲睦まじげにし始めた。
必要以上にフェリシエルを気遣う。今までそんなことはなかったはずだ。フェリシエルは彼の変わりように戦慄した。この間、はっきりフェリシエルを嫌いだと言っていたではないか。
当然、困惑した。今更なんだというのだろう。茶会の間、王妃が時折突き刺すような視線を向ける。そんなとき王子がフェリシエルの手をぎゅっと握りしめる。「フェリシエル、どうかしたの?」と優しく声をかけ、甘く魅惑的な笑みをうかべる。
そんなときメリベルと王妃の瞳は一様に仄暗い影を宿す。ものすごく怖い。フェリシエルは、何度も王子の手を振り払いそうになった。寸でところで堪えたというのもあるが、王子が意外に力が強く、物理的に手が抜けなかったのだ。
どう考えても彼の行為は彼女たちを煽っているとしか思えない。しかし、王子と二人で話す機会が全くないので、彼の真意はわからない。一時は王宮で不仲説も出ていたが、今ではすっかり熱愛説が主流となっている。フェリシエルは頭を抱えた。このまま順調にいくはずがない。
そして迎えた慰問の日。確かにゲーム通りではない。もしそうなら今隣に立っているのはメリベルだ。この時期はそれほどまでに蔑ろにされているはずだ。このままフェリシエルは断罪されることなく無事王子と結婚するのだろうか。最近、そんな考えがチラリと頭をかすめるようになった。
ここへ来るとき、同じ馬車で来た。彼の真意を確かめようとしたが、会話はほとんど交わされず、王子は不機嫌だった。ところが馬車が現地についた途端、上機嫌で紳士よろしくフェリシエルをエスコートし始めた。彼の外面のよさに腹が立ち、足の一つも踏んでやろうかと思ったが、王子は察しがよくなかなか実行に移せないでいた。
もしかしたら王子は犯人を知っているのかもしれないとフェリシエルは思った。それならばぜひ教えてもらいたい。
二人は出迎えの民衆への挨拶のあと、修道院内を視察した。孤児院の子供たちが歓迎の歌を歌う。その後、控えの間に通された。暗い赤の絨毯が敷き詰められ、調度品は贅を凝らしていた。この修道院は貴族の娘も幾人かいる。そのほとんどが未亡人だ。身分の高い者や家柄の良い子女が多い。資金も潤沢だ。
所詮は貴族の慈善活動。孤児院の子供たちは元気そうだが、それほど豊かな生活をさせてもらっているようには見えなかった。この修道院は大公の広告塔なのだろう。寄付も随分集まっていると聞く。
「どうした。修道院がそんなに物珍しいのか?」
王子が珍しく話しかけてきた。
「別に……。ただ、ここにある壺の一つも売れば子供たちにもっといい生活がさせてあげられるのに思っただけです」
「へえ、随分殊勝なことを言うのだな。それとも何かの冗談か?」
フェリシエルはカチンときたが、相手にしない事にした。彼は喧嘩がしたいのだろうか。彼女のことが気に入らないにしても、先ほどからカリカリし過ぎている。不機嫌とは違いなんだか様子がおかしい。しかし、今のは明らかな挑発なので乗らないことにした。
間を置かず、部屋に修道女が訪ねてきた。ぜひ、修道院で作っている菓子を試食してほしいという。確かに王子が美味しいと言えば宣伝になる。しかし、彼が口にするものは誰かが毒見をしなくてはならない。
当然断るだろう思っていた王子が快く引き受けた。これには従者も面食らったようだ。急遽、従者が毒見を引き受けようとしたが、王子がそれを認めなかった。迷惑な話である。彼に何かあったら、疑われるのはフェリシエルだ。当然二回目となれば、ただではすまない。罰を受けるのは、いつでも周りの者だ。
仕方がないので王子に差しだされた一欠片をフェリシエルが横から奪って口に入れた。さくりとしたビスケットは口の中でほろほろと溶けた。バターの香りがよい。
「とても美味しいですね」
フェリシエルが極上の笑みを浮かべて素直な感想をくちにする。彼女のとった突飛な行動にあっけにとられていた修道女たちも、その笑顔に引き込まれるように微笑んだ。
王子はというとフェリシエルを穴が開くほど凝視していた。相当驚いたようだ。フェリシエルは胸がすくような思いだった。
その後、貴賓室の準備が整ったからと迎えが来た。長く眺望の良い回廊を歩く。途中、貴賓室には従者や侍女などの使用人は入室できないと聞いた。フェリシエルは嫌な予感がした。王子を守る者がいなくなってしまう。しかし、控えの間と貴賓室は近いからと言われると王子は快諾した。
フェリシエルは目を丸くした。公にはなっていないが、この間命を狙われたばかりなのに無防備すぎる。まるで自ら罠にかかりに行くようなものだ。
そして二人は観音開きの大きな扉の前に立った。扉には金の縁取りがあり、ユリの花をモチーフとした凝った装飾が施されている。
部屋は確かに豪華だった。壁に絵画が飾られ、家具は優美で金のかかっているものばかりだった。しかし、違和感がある。どこか古臭い。そして部屋もなぜかほこりっぽい。
「では、ごゆっくりお過ごしくださいませ」
そういうと修道女は扉を閉めた。
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