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普通のエッセイたち

人称の問題を通して気づいた真理の欠けら

作者: 朝倉 ぷらす


 今日ようやく、私が以前から引っ掛かっていた謎が解けました。


 やったね。


 さて、一部の人はご存知かも知れませんが、最近、私は炎上を目的としたエッセイを投稿していました。

 これをした理由は色々あるのですが、その話は蛇足になるので一番重要な点だけ注目すると、ですね。


 なんだかとっても素敵な感想をいただいたのですよ。


 「アクションシーンも満足に書けない童貞の皆さまへ」

 (URL:https://ncode.syosetu.com/n3013fc/ )


 こちらのエッセイへの感想で、一体どういう方が書いてくださったのだろうと、ワクワクウキウキしながらその方のマイページに飛んで、そして作品を読んでみました(ただ、今はその方の感想が消されてしまったので追えないでしょう)。

 するとどうでしょう。


 私が苦手とする文体というか、人称で書かれていたんですね。


 さて、ここで普段の私であれば、ストーリーの良し悪し関係なく、ブラウザバックをしていたところです。だって、目が「もう無理!」って主張するんですもの。文章の上を目が滑るんですもの。

 ですが、あんなに素敵な感想をくださった方の小説なのだから、キチンと最後まで読もう。短篇だし! と、最後までちゃんと読んで評価のポイントまで入れました。

 ただ、読んでいる最中に、こんなことを思ったんですね。


 どうして私は、この方の文章が苦手なのだろう。


 そう考えてしまったら、とことん文章を読み尽くして、苦手ポイントを洗い出し、さらにそれが意味するところまで考えていました。


 その結果、冒頭のように、とある答えを得られたのです。


 それは「小説を書いている人は、バックボーンで二種類に分けられる」ということです。


 端的に挙げれば、

 1、映画やアニメ、漫画といった視覚情報を主に用いた作品に慣れ親しんでいる「視覚情報ネイティブな人」

 2、小説や詩など、内容の理解に頭の中で想像や空想を必要とする作品に慣れ親しんでいる「言語情報ネイティブな人」

 の二種類に分けられるということでした。


 この、「視覚情報ネイティブな人」が、違和感無く書く文章というのが、私が苦手とする文章だと、気がついたんです!


 こういう人の文章を読むと、一人称で始まったハズなのに、自分の行動を客観視する三人称のような文体になり、急にまた一人称に戻ったりするのです。

 しかも、強引に一人称で、過去の回想をしているのだなと、思おうとしても、平気で現在系で臨場感たっぷりに、主人公が知り得そうもないことを書いてきます。


 さらに、一人称なのに、説明口調で設定を"思ったり考えたり"し始めるのです。


 なので私はこういう文体が苦手だったのですが、この人のバックボーンが「視覚情報ネイティブな人」だとしたら、話は変わってきます。

 映像作品やマンガなどでは、人称の切り替えは、当たり前のように出てきます。私が好きなガイ・リッチー監督のシャーロックホームズがわかりやすいでしょうか。

 アクションシーンで、ホームズが相手を観察して、詰め将棋のように戦闘で追い詰めていく手順を考える、一人称の描写がたびたび挟まれるのです。

 それ以外の部分では、三人称で進行するのに、です。


 こういった視覚情報に訴える作品では、人称が切り替わる事を表現しやすいため、色々な作品で頻繁に使われていることに気がついたんです。


 そういう作品に慣れ親しんだ人にとって、一人称と三人称の境は、かなり希薄なのでは? ということに、気がついたのです。もっと言ってしまえば、まとめサイトさえ見なくなって、Youtubeなどの動画サイトから情報を得たり、SNSでのみ言葉を(つづ)り、長文は学校での勉学の一環としてだけ、というような人にとって、小説という長文を書く際に、教育によって養われたハズの表現方法は、すべて外側の存在なのではないか。まず初めに思い浮かぶのは、マンガ的な表現ということです。


 逆に、想像や空想する上では、自分の立ち位置はどこなのかハッキリさせないと、空想があやふやになってしまうことがよくあります。

 少なくとも私がそうです。


 これは、私が「視覚情報ネイティブな人」側に寄る努力をしなければ、話にならないと気づいたんです。

 例えば、空白ばかりで話がスカスカなファンタジーもどきが「なろう」には多いと言われることもあります。

 それに対して中高生の性質や、時代がどうのこうのって論じている人もいます。


 さて、どうでしょうか。


 今の私には、そう思えなくなっています。

 例えば、映像作品には映画でもアニメでもマンガでも、数多くのお約束が存在します。

 そして、もはや一種の害悪のように論じられる「なろうテンプレート」も、言ってしまえばお約束の(たぐい)です。


 お約束、とは集合知の側面を持っていて、ある作品を読んだだけでは語れないようになっています。


 その、集合知であるお約束を含めて「なろうテンプレート」のテーゼやアンチテーゼ、ジンテーゼを無意識に生み出しているのが、今のなろう小説の本質だとしたら、どうでしょうか。


 内容がスカスカだと断罪された作品も、急に暗号だらけの濃密な雰囲気を持っているような気がしてきます。そして、人称がどうとか作法を教えている人のエッセイなどは、すべて的外れで、テンプレについて語っている人のエッセイも的外れに思えてきます。

 そう考えると、評価をされている作品の作者さんたちについて、興味が湧きました。


 彼らは、一体どれ程の作品数を読みこなして、作品を生み出しているのだろう。


 集合知を感じ取り、それを適切に使いこなすには、努力ではなく才能が必要になります。

 しかも、その才能だけでなく、物語の説得力や面白さを引き出す才能や、私が定義した両方のネイティブな人に突き刺さる文章を書けなくてはなりません。


 ……なろう全体でもわずかな才能と言わざるを得ません。


 確かに、にわか知識を披露して、本職の方を苛立たせている側面もあるでしょう。

 ですが、なろうファンタジーという集合知に基づいた巨大エンタメ作品群を想像すると、背筋に冷たいものを感じました。何かを、見逃しているときの恐怖、とでもいうべき感情です。


 ――ゾッと、しました。


 ここから先は、私よりもずっと頭のいい人にでも考えてもらう方が良いでしょうか。

 その際には、このエッセイは自由に取り扱っていただいて、構いません。

 ああ、そうです。私が気づいたこれが、すでに何番煎じの物だとしたら、それは私の無知です。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 確かに、「なろう」の小説は読み手がすでにある一定の世界観を共有している、という無意識の前提の上で書かれているものが多いと思います。 感想返しにもありましたが、私は初めて読んだ「なろう」の小…
[一言] ある人が、「セルバンテスの『ドン・キホーテ』は、当時のイベリア半島情勢を学んでから読まないと良さがわからない」と言っていたのを思い出しました。 ……あれから何年だ……、まだ読んでないや。(お…
[気になる点] 箇条書き(ほぼ一文ごとの改行)は、空白行が挟まれていても、読みづらいです。 [一言] 人称や視点については、物語論(ナラトロジー)に関する文献が参考になると思います。 英語など話者に…
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