序章 第一話 金剛心の乙女
カーテンの隙間から覗く太陽の光に目元を照らされて、俺はベッドの中からもぞもぞと起き出した。
「んあー。良く寝た。てか、もうこんな時間?おっそ!起きるの遅っそ!もうこんな時間だよ!」
俺、こと冒険者ギルド『金剛心』のギルドマスターにして唯一のギルドメンバーである三日月・ユースティティア・飛鳥は、枕元にあるデジタル式目覚まし時計の数字に驚いて、ベッドの中から飛び起きると、モタモタと朝の準備を整えだし始める。
パジャマ代わりに着込んだ水色と白のボーダー柄のキャミソールと薄紫色のパンツを脱ぎ捨てると、そこにはやたらと日に当たってのに全く日焼けしない白い肌と、今年で十八になる女子としてはやたらと慎ましやかな胸が露わになる。
……女に生まれ変わったら、巨乳になっておっぱい揉むのが夢だったんだけどなー。これだと、ほぼほぼ女に生まれ変わった意味ないねー。
ていうか、実家に住んでる妹二人と母さん、叔母さんと我が家の女系はそれなりに胸がデカいのに、何故に長女たる俺だけここまで胸が育たぬのだ。解せぬ。遺伝子よ、仕事してくれ。
俺は寝間着替わりの下着じみた服装をそこらへんに投げ捨てると、代わりに、適当なところに放り捨てていた服を拾い上げて袖を通して洗面台に向かい、鏡の中に映った顔を眺めながら顔を洗ってうがいをする。
ちなみに、俺は歯磨きは飯を食った後にする派なので、このうがいは風邪予防の喉のケアだ。寝ている間の口の中って、雑菌が繁殖しているらしいしね。
間抜けな顔して身支度を整える鏡の中の顔は、起きたばかりということもあって、あんまり見れたものじゃない。
腰まで届くほどに伸ばしっぱなしにした絹糸の様な艶を持つ黒髪は、寝坊の代償の様に所々が跳ねた寝癖が付いており、柘榴石の様に赤い血のような色をした瞳は、寝ぼけ眼の所為で瞳の中に覇気がない。
俺は、自分の頬を引っ張たり、目尻を吊り上げたり吊り下げたりを繰り返して、鏡の中の顔を少しでも引き締めようと無駄な努力を行うが、石鹸を使ってもタオルで拭いても、自前の顔が変わるわけでは無かった。まあ、知ってたよ。
俺は洗面台にを手をついて、深く溜息を吐く。
「はー。どうにも間が抜けた面をしてんなア。素材はいいはずなのに、どうにも決まらねえんだよなあ。やっぱり、性根のだらしなさってのは顔に出るのかねえ」
誰に向かって言うでも無しに独り言を呟きながら、俺は欠伸混じりに洗面台を離れると近くの勝手口から事務所代わりに使っている改造ガレージを出て、その裏手にある朝飯の用意がされているであろう開店前の喫茶店に顔を出す。
「おはやー。労働者諸君、働いてるかーい?」
「おそやー。冒険者諸君。これから働くよーん」
喫茶店のドアを開けながら挨拶した俺に応えたのは、正面のカウンター席に座っていた泉澤・シンシアだ。
やたらと艶っぽい薄桃色の唇に、太陽に翳した金麦酒の様に淡く輝く金髪と宝石の様に輝く浅葱色の瞳はどこか蠱惑的な魅力があり、そこに白い肌の張り付いた伸びやかな手足とボンキュッボンのスタイルが加わり、言う事無しの美女っぷりとなっている。
だが、街に出れば十人が十人は振り向くであろうその顔は、俺と同じで今さっき起きたばかり言わんばかりの寝ぼけ眼だ。
ついでに言えば、今着ている服装は元々は深紅色だった筈なのにすっかり色落ちして薄汚れたつなぎで、その顔にはオイルとインクで所々に黒い線が引かれている。
寝ぼけ眼の気力の無い表情と相まって、折角の美女っぷりが台無しである。
そんな、起きたばかりの俺と同じくらいに酷い恰好のシンシアは、気だるげな動きで俺を振り返ると、左手に持った味噌汁を啜りつつ、肩でも凝っているのか首を回しながら入り口に立つ俺に言う。
「今日の朝飯は豆腐とジャガイモの味噌汁にサケの切り身に目玉焼きだよー」
「うにゃー。私は朝はパン派なんだけどなー。どうせシャケがあるならサーモンベーグルにしてほしかったなのー」
「ぬかせ。今日は私が献立を決める番だ。それが嫌なら早起きするこったーな。ふははは」
悔し気に唇を噛む俺に向かってシンシアが寝ぼけ眼のまま得意げに胸を張ると、たわわに実った美乳がハリのある動きで揺れた。
ちくせう。その乳、少しよこせよ。俺の乳も少しくらい揺れてくれよ。
「……シンシアさん。得意げに胸を張るくらいなら、少しは料理を手伝ってくださいませんかね?あと、飛鳥さんも、文句をつけるくらいなら最初から私を手伝ってくださいよ」
店のカウンターでわいのわいのと騒いでいた俺達にそう言いながら厨房の奥から出て来たのは、蓮乃池・アステア。
今年で俺たちよりも二つ年下である十六歳の彼女は、血と炎を混ぜた様な鮮やかな真紅の赤髪と、黒曜石の様な真黒な瞳が特徴的な小柄な少女だ。
一応、この喫茶店の店長を務めてもらっているのだが、十六という年齢よりも二、三歳ほど若く見えるので、未だにこの店に来る六割くらいが、この店の店長の子供だと思っている。
そんなアステアちゃんに叱られた俺達は、同時に頭を掻きながらひきつった笑みを浮かべながら答える。
「機械油を使って料理ができるんなら、アタシも作るんだけどねー」
「あー。食品添加物を集めてくれれば、多分できる」
「いやまあ、お二人が料理できないのは知ってましたけどね?もう少しやる気のある答え方はしましょうよ。私がいなくなったら、お二人はどうやって生活する気なんですか?」
呆れ果てながら小言を言うアステアちゃんに対して、シンシアはからからと笑いながら、俺はサムズアップを決めながらきっぱりと言い切る。
「ふはは。何を怖いことを言っているのさ、アステアちゃん。アタシらがアンタを手放す気があるわけないだろう?アステアちゃんを奪い取ろうとする虫どもを一人残らず殲滅してでも、アステアちゃんに料理を作り続けてもらうよ?」
「大丈夫だ!アステアちゃん!私の前世は男だったから、君を死ぬまで愛し抜くことができるよ?」
「いやそっちの方が怖いわ!!他人の人生を勝手に左右する事を言わないでくださいよ!ていうか飛鳥さんは何をしれっとトンでもない性癖を暴露しちゃッてんですか!私はそう言う趣味ありませんからね!?その気はありませんからね?」
俺達の力強い返答に、アステアちゃんは鳥肌をおったてながら腕を抱いてその場を後ずさり、半目になって俺達を睨んでくる。
「何だよー、そんな顔をしなくてもいいじゃないかー。二割は冗談なんだからー」
「それって、八割本気ってことですよね?安心する要素どこにもありませんよね?」
むー。そんな揚げ足を取る様なことを言わなくてもいいのになー。こっちはいつでもウェルカムなのに。
そうして、俺がアステアちゃんにラブラブコールを捧げながら朝のおしゃべりを楽しんでいると、そこに小さなノックがしたのと同時に、喫茶店のドアが開く音が聞こえ、俺は焼き鮭を頬張りながら後ろを振り返った。
「まだ開店前だよー。って、あっちゃんじゃねえか。今日の仕事はサボりかー?それとも暇してんのかー?」
「失礼だな。少し早めに昼の休憩時間を取っただけだよ。それと、おはようユー。その顔を見ると、今日も昼起き見たいだね?ダメだよ?ちゃんと早寝早起きしないと。それに、身だしなみにももう少し気を使いなよ。そんなに肌を見せた格好だと、碌でもない男に絡まれるよ?」
そこに居たのは、朝河・アミシティア・仙水。
『常都王国』でも第二位の規模と勢力を誇る『朝河公爵家』の御曹司でもあり、同時に、最年少の最上位聖騎士となって新進気鋭の騎士団『機甲騎士団』を率いる、天才魔法剣士だ。
まだ開いてもいない店に入って来るなり細かいことを言って来る仙水の言葉を、俺は味噌汁を啜りながら聞き流す。
この体に生まれてからすっかりと猫舌になったんだよね。全然お椀の中身が減っていない。
「んー、ウルセー。アンタ私の母ちゃんか。てか、お前はつくづく今日もイケメンだなー。此処に来るまでに何人女にナンパされたんだよー?」
「あはは。僕にナンパだなんて、そんな事が起こるわけないだろユー。ただここに来る前に道を聞かれただけだよ。まあ、全員女性だったけどね」
「ちくせう。世に居る女どもは見る目がないぜ!あっちゃん何て高々、顔が良くて、背が高くて、性格が良くて、健康で、実家が金持ちで、文武両道で、将来性があるだけの男だろーが!
…………言っててへこむわ!……天よ、何故に二物も三物も与えたのだー!」
天よ!何が、何が憎いんだ!オイラにゃ、魔術の才能も、乳も与えてくれなかったじゃねえか。
身長も無いから、未だに中学生に間違えられるんだぞ?酒だって飲めやしない。まあ、元々飲めないから別に問題は無いんだけどね。ただ、居酒屋に入る度に一々年齢を確認されなきゃならないのは面倒くさくてたまらないんだよー。
「あはは。そんなに大したもんでもないよ。ユーだって知ってるでしょ?それとアステアちゃん。珈琲を一杯淹れてくれてもいいかな?」
世の不平等を嘆く俺に、肝腎の仙水の方は少し困った様な笑みを浮かべると、アステアちゃんに珈琲を一杯頼みながら俺の隣のカウンター席に座り込んだ。
おい、アステアちゃん。何故に仙水に珈琲を頼まれただけでそんな風に頬をピンク色に染めるのかね?
なぜかやたらと仕草も色っぽくなってるぜ?
俺は、今までの様子とは打って変わって嬉しそうに厨房に引っ込むアステアちゃんの後ろ姿を見送ると、残りの朝食を腹の中にかきこんで、隣を振り返った。
「それで?朝っぱら、つーかもう昼っぱらか。に、何の用だ?」
「うん?ユーの顔を見たくなって。一日一回は可愛い顔を見ないと、仕事のヤル気起きないんだよね。何なら僕の家に就職しない?僕の家にずっといるお仕事。報酬はいくらでも払うよ?」
「はは!やっぱ世の女どもは見る目ねえな。お前みたいなナンパ野郎に寄ってたかるなんて。それで?冗談はともかく、本当に何の用だ?」
「酷いなー。僕は本気で言っているんだよ?まあ、それはさておいて。ユー。一応、此処に来たのはユーに仕事の話しを持って来たからなんだど?……どうかな?引き受けてくれる?」
俺の様子を伺いながらも、仙水のその顔は言外にその表情は退くなら今の内だと告げているが、同時に、この程度なら俺でもできるだろう?という、挑発的な眼差しも含まれていた。
「話次第だな。面白けりゃ受けるぜ?」
その眼を見た俺は、唇の端をニヒルに吊り上げながら、仙水に向かってそう言っていた。