version 1.1.1 『魂人の来訪』
「・・・・・・お"え"え"え"え"ぇぇぇぇぇえ"え"え"」
・・・・・・新しい物語の最初に響いたのは野太いオッサンの嘔吐音だった。
神よ、やり直しを希望します。
version 1.1.1 『魂人の来訪』
その不快極まる音声と酸っぱい匂いが、この世界での目覚めてから今まで気にしていなかった周りの景色を今更ながら認識出来るようにしてくれた。
まず、視界に写る範囲の状況としては恐らく何かしらの神殿を思わせる作りの白い大広間に俺の他に十数名の人影が存在するのが見て取れた。
まだ『眠り』から目覚めていないのか白い床に寝そべる人影、先ほどまでの俺と同じようにシステムのコンソールを操作しているとおぼしき人影、生っぽい触感を楽しんでいるらしい壁や床をペタペタと触っている行動的な人影。
全ての人影の共通点は麻のような素材で出来た白いパジャマみたいな質素な上下を着ていることぐらいだろうか。
その他は年齢層から体格、果ては種族に至るまで多種多様だ。目算では男7割、女3割のように見えるが、顔立ちが整った者が多いので一部は男女の判別が難しくなっている。
その中でも明らかに男とわかるチビの髭もじゃ、恐らく種族はドワーフのプレイヤーが先の嘔吐音の主だった。比較的近くにいたそいつをスルーすることも難しく、声をかけてみることにした。
「おいおい、大丈夫か?」
今も酷くえずくドワーフ男を見て、俺は事前説明にあった予想される『悪影響』の一つを思い出していた。曰く、"現実世界の身体と異世界の身体の差異の所為で非常に強いストレスを受けることが予測されるので、アバターメイキングは注意してください"というものだ。
恐らくこのドワーフ男は現実世界の自分とは似ても似つかないアバターメイキングをしてしまった為にグロッキー状態になってしまったのだろう。四つん這いになって喘ぐドワーフ男の背中をさすりながらとりあえずログアウトを進めてみる。
「おーい、大丈夫か? ログアウトできそうか?」
テスターの契約は最低一年だが、別にログアウトが禁じられているわけでは無い。テスター期間中は施設外への理由無き外出が禁じられているだけで、むしろ不調を感じた場合は即座にログアウトするように推奨されている。
アバターメイキングのやり直しも熟練度のリセットというデメリットはあるものの、禁じられているわけでは無いので自分に併せてカスタマイズし直すと言うことも可能なはずだ。
このチュートリアルも始まっていない状態でのログアウトに躊躇っているのだろうか?という俺の疑問はドワーフ男の反応で霧散した。ドワーフ男は憎悪を含んだ瞳で俺を睨み、早口で訳のわからない言葉を一通り唸るように呟いたあとで、今度は意味のわかる言葉を俺に告げた。
「***、*******、*****、っ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・さ、触るな、変態、近づくな」
「・・・・・・・・・ふむ」
率直で非常にわかりやすい拒絶の言葉。
常人なら気分を悪くして距離をとるか、一発殴りたくなるところだろうが、俺はそのドワーフ男の顔に少しばかり引っかかるものを感じて脳内検索を開始し、幸いにも程なくその答えを思い出した。
「・・・・・・おい、触るなと、言っている」
なんとなくこのドワーフ男の事情を察した俺はもうちょっとこいつに構いたくなっていたのでドワーフ男の拒絶は丁重に無視させていただき、俺はドワーフ男の吐瀉物を避けてつつその場に腰を下ろしてむしろ居座った。
とりあえず、背中をさするのはあまり意味が無いと考えて手を引っ込めると、我ながら呆れるばかりであるが適当なアドバイスでもしてみることにした。
「よく聞け、事前に説明のあったコンソールの機能に現実世界の自分の状態を確認出来る機能があるからそれを表示してみろ。現実世界の自分の顔が見れるから多少は落ち着けるぞ」
なんの根拠も無い口からでまかせだが、こういうのは言い切るのが大事だと思っているので断言してみた。ドワーフ男は些か以上に不審な目を俺に向けた後で、やはり辛かったのか『オープンコンソール』というデフォルトのキーワードを呟き、コンソールを操作し始めた。
個人的には髭と衣服の襟を汚している胃液の残骸をどうにかしてあげたかったが、何も持たざるこの身には難しい話だ。
「そいつは、どうかしたのか?」
ふと、後からそんな声をかけられた。振り向くと質素な服を着ていてもはっきりとわかる程に鍛え上げられた筋肉を持つ男が、胡乱げにこちらをのぞき込んでいた。年齢は30代くらいの精悍な面構えに短く刈り上げられた黒髪、そして目を瞑っているかのような細目。
つーかこいつ、見覚えがあるな。現実世界の事前説明会でも全く同じ容姿の奴がいたことを思い出す。
「あぁ、大丈夫・・・・・・とは言い難いな。お前さんと違ってアバターの容姿を弄りすぎたせいで、グロッキー状態らしい」
それとなく後から現れた筋肉男が現実世界の容姿でアバターメイキングしたものと察した台詞であるが、筋肉男はそのあたりの部分には反応せずに自身の顎をなでた。
「ふむ、それならば俺にはどうしようも無いな」
多少ならば医術の心得がありそうな発言は心に留めつつ、俺は肩をすくめた。
「どうやらこいつの事情でログアウトしたくないだけのようだからな。そこまで気にすることもないだろう」
「そうか。まぁ、これでも使うと良いだろう」
そう言うが早いか、男はおもむろに上の服を脱ぎ、俺に差し出した。どうやらこれをタオル代わりにしろと言うことらしい。なんとも男らしい話だ。
「お、おう。助かる」
・・・・・・鍛え上げた筋肉を見せびらかせたいという欲求に基づく行為で無いとは思いたい。
俺はありがたく服を受け取ると、ゴシゴシとドワーフ男の口周りを無遠慮に拭ってやる。当然、ドワーフ男は意味不明な事を喚いて抵抗したが、無視しして強引にやってやった。最後に床にこぼれた胃液の上にタオル(服)を被せて終了だ。酸っぱい匂いはどうしようも無いが、まぁ良いだろう。
ドワーフ男の何故か恨みがましい視線を感じるが問題ない。これで気がそれてくれれば心因性嘔吐も多少軽減するだろう。
とりあえず、ドワーフ男は落ち着くまで放っておくしかないと判断した俺は服を差し出してくれた筋肉男さんに水を向ける。
「あんがとよ」
「気にするな。困ったときはお互い様と言うしな」
「俺の・・・・・・"こっちでの"名前はアリババだ。ファミリーネームは無い。よろしくな」
思わず、リアルでの名前を言いそうになってしまったが、堪えて所謂アバターネームで自己紹介する。
「ああ、儂はツカモト・ダイチ・・・・・・。いや失礼、こちらではダイチ・ツカモトか。宜しく頼む」
ファミリーネームが後ろにくる方式に慣れずに眉間にしわを寄せる筋肉男・・・・・・ダイチに俺は苦笑を返す。ちなみにこの世界のファミリーネームの設定は自由だ。つけてもつけなくてもいい。まぁ、今は"ただの"アリババだが、そのうちファンタジーにありがちな"灰ネズミの"とか"森フクロウの"とかの二つ名がついたら格好良いな、なんて思ってる。
「しかし思い切ったアバターにしたな。その容姿、見覚えがあるぞ」
俺が言外に、リアルそのままのアバターにした事を指摘するとダイチは呵々と笑った。
「現実では果たせなかった武芸者として生きたいという目的でこの『実験』に参加したからな。この姿で試してみたかったのだ」
「そいつは・・・・・・なんというか、生まれる時代を間違えちまった感じだな」
つまり、見世物になる気も無く、ルールに縛られる心算も無く、ただ命のやりとりをしたいと言うことだろう。そんな奴が現代にいたら刑務所と娑婆を反復横跳びするみたいな感じになる。
「おう、しかしこの『実験』の話を聞いてな。首尾良く選ばれることも出来た。『不死』というのは少々狡い気がするが、まぁ修羅道に堕とされたと思って愉しむつもりだ」
やだ、この人野蛮過ぎ。是非ともお友達になりたい。
一応説明しておくと『不死』というのはHPが0にならないと言うことでは無く、0になっても『セーブポイント』にリスポーンすることが出来るという意味だろう。ペナルティもあるが、まぁその説明はいいか。
兎も角、これは俺も自己紹介をしなくては。
「俺はこんな容姿だが現実ではヒョロガリのギリ20代だ。この『ゲーム』にはファンタジー世界を楽しむ為に来た。悪いが俺は戦闘や冒険を目的にしてるわけじゃ無い、あくまでも世界観を楽しみたいと思ってる」
こんな容姿と話題が出たので漸く己のアバターについて説明出来る。イメージとしては、褐色肌黒髪青瞳の"アラブ人の盗賊頭"のつもりで形成した。身長は現実と一緒だが、横の厚みは二周りぐらい違う。ダイチのことを筋肉達磨みたいに表現していたが、俺の場合は筋肉の上に適度に脂肪がついているのでそこまで筋肉の自己主張は激しくない。
そして顔は40代半ばの厳つい中年顔でカストロひげを備えたナイスミドルだ。あと、アバターのオプションには古傷を追加することも出来たが、謂われの無い傷はなんとなく邪気眼のかほりがして堪えた。入れ墨も同じく。あと、残念ながら初期装備で古式ゆかしいターバンは装備出来なかったのでざんばら頭が丸出しだ。
「恐らくそっちが年上だと思う、不快なら口調を変えるが?」
俺は相対する人物で口調を変える癖があるのだが、直感でダイチに敬語は不要と思っていた点について確認しておく。同じゲームを楽しんでいる仲間という心象なのだが、気にする人は気にする。こういうのは早めに処理しておくに限る。しかしそんな俺の心配りはダイチによって鼻で笑われた。
「気にするな。人助けを率先してやる徳の有る人の出来た人物に対してそんな狭量なことは思わん」
「それってつまり徳の無い不出来な餓鬼には容赦しないって言ってるだろ」
ダイチは俺のツッコミを快活に笑って流した。いや、否定しておこうぜ?
そんな感じにダイチと談笑していると、隣からチラチラと視線を感じだ。言うまでも無く、先ほどまでふらふらしていたドワーフ男だ。漸く落ち着いたのか、顔色も血色が良い。
ついでにドワーフ男のアバターについて説明しておくと、身長はドワーフとしては高めだが140㎝くらいで俺の鳩尾くらいしか無い。横幅は俺と同じかそれ以上なのでシルエットだけ見れば肥満体に見えるかもしれないが、人間比べて明らかに手足が太い所為でそう見えるだけだ。顔については特に特徴のない茶髭のドワーフ顔だ。本当に特筆すべきところが無いファンタジーのドワーフ顔の平均値なので仕方が無い。
「・・・・・・・・・かーぴゃ」
ドワーフ男の意味不明な呟きに俺とダイチは思わず顔を見合わせたが、話の流れから言葉の意味に思い当たるものがあったので、ドワーフ男に向き直って告げた。
「よろしくな、カーピャ」
「うむ、宜しく」
「・・・・・・・・・・・・」
どうやら、自己紹介の流れに乗ったという予想は外れていなかったようで、『カーピャ』と名乗ったドワーフ男はプイっとやけに愛らしい仕草でもって顔を背けた。
俺とダイチがそんなドワーフに苦笑し合っていると、この白い大広間で唯一と思われる扉、その重厚そうな両開きの扉から「ガチャン」と広間に響き渡る金属音がした。瞬間、カーピャやダイチを含め周りの意識が一気にその扉に集中するのがわかった。
そして特に間を開けること無く、両開きのドアはゆっくりと開かれていく。
扉の向こう、そこに現れたのは――――――――――――――
――――――――天使思しき、羽を広げた――――――――
――――――――――――スーツ姿のサラリーマンだった。