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兄と、弟  作者: ふゆはる
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22歳と16歳(3)

(兄22・弟16)




 冷蔵庫を開けたら、そこに使いたい物はなかった。コウスケは一応下の野菜室も開けて探す。やはりない。

「兄さん、卵がない」

「そうか」

 リビングの兄へ声を投げるが、キョウスケからの返事は素っ気のないものだった。

 キャベツの卵とじが食べたいって言ったのは誰だよ。

 コウスケはむっとしてリビングへ文句を言いに行く。ソファーを背凭れにしてテーブルへ向かうキョウスケは、無心でノートパソコンのキーボードを叩いていた。

 兄の心を占めているものが論文かレポートかはたまた合同研究か、大学に入ったことのないコウスケはわからない。ただ兄は、コウスケが泊まりに来た昨日の夕方から時間さえ許せばこの調子だ。

 これは無理だな、と思った。

 キッチンへ戻り、もう一度冷蔵庫を開ける。ほとんど空だった。コウスケは次に、ポケットからスマートフォンを取り出す。近くのスーパーの名前で検索し、出て来たPDFファイルをタップした。ざっと目を通し、画面を閉じてまたポケットへ押し込む。

 寝室隣へ向かい、壁に掛かったハンガーから先日兄に買って貰ったばかりのアウターを外した。

 リビングへ戻り、鞄からネックウォーマーと財布を取り出す。ウォーマーを頭から被り、目の前のラックからエコバッグを回収した。

 玄関へ向かう為立ち上がったところで、漸くキョウスケがパソコンから顔を上げる。

「何をしてるんだ?」

「卵買ってくる」

「必要ない」

「卵とじが食べたいって言ったの、兄さんじゃん。それに、冷蔵庫にもあまり物が入ってないし。このままだと枯渇するよ」

 兄さん、忙しいんだろ。

 八つ当たり半分のセリフは、心の中で加えた。

 昨日からコウスケは、ほとんどパソコンを叩く兄の背中か横顔しか見ていない。テレビなんて見ないし、キョウスケの後ろで横で参考書ばかり眺めるコウスケは最早、大きな置物だ。

 だったら兄の為の料理の作りおきでもしていた方が余程楽しい。

「いってきます」

 兄の小言を打ち切ってコウスケはさっさと玄関へ向かう。早く行かなければ昼までに準備が終わらない。

「待て、コウ」

 チェーンロックを外したところで、ジャケットを羽織りながらキョウスケが歩いて来た。

「俺も行く」



 卵にキャベツ、牛乳、豚肉。鶏肉じゃがいも人参玉葱。

 結局、買い込んだものはコウスケの細腕二本では持ちきれなくなった。その荷物のほとんどを、隣のキョウスケが両手にぶら下げて歩いている。

 日は出ているが冷たい空気を吸い込んで、コウスケは息を吐き出した。

 あんなに冷蔵庫がすっからかんになるまで関心がなかったくせに、スーパーの入り口でチラシを手に取ったキョウスケが次々とカゴへ放り込んで行くものだから、金額も量も結局コウスケの手に負えるものではなくなってしまった。食料の代金はキョウスケが全額払ったし、今コウスケが手に下げて歩いているのも、休憩に摘まむちょっとした甘味の類だけだ。兄の両腕に下がる物の重量に比べれば、ぬいぐるみと手を繋いでいるようなものである。

「兄さん、買い込みすぎだって。俺が買い物に来た意味ないじゃん」

「俺の家で俺が食う物だぞ。俺が買って何が悪い」

 言外で「何でも一人で済ませやがって」と恨めしく兄を睨んだが、キョウスケはしれっとその視線を流した。

「……そうだけど」

 だって何でも二人分買ってるくせに。

 言ったところでまた流されるのは知っているから、コウスケは代わりに再度息を吐く。喉を滑り落ちる空気で肺がピリピリと痛い。

 兄がカゴに放り込んだ物の中には、生姜湯の粉末や蜂蜜やゆず茶も入っていた。そんなもの兄は飲まないと、兄もコウスケも知っているのに。

 カーン、と正午を告げる鐘の音が、何重にもなって空気を震わせる。癖のように斜め前を見上げたが、当たり前にそこに時計はない。代わりに、箒でさっと掃いたようなすじ雲の隙間を、何羽かの雀が飛んで行った。

 ああ、秋だ。空が高い。

「悪いな。構ってやれなくて」

 ふと、そんな声がして隣の兄を見る。キョウスケは真っ直ぐ前を向いて歩いて、コウスケを見てはいなかった。いつも宥める時や誤魔化す為に使われる手は、兄自身が買った食料に塞がれて、使えない。

 コウスケはもう一度、空を見た。今日の地上は風がないのに、雲の流れは速い。兄くらい大きくなって跳べばあの雲にも触れられるのかと、叶いもしない夢を見ていた時期もあった。

「いいよ、別に」

 兄の隣に並んで歩く。歩幅は、キョウスケがコウスケに合わせている。

 だからコウスケは、少し股を大きく開いた。

「兄さんが居るから、別にいい」

 待っていても帰って来ないわけじゃない。話したくても、声を掛ける相手が居ないわけじゃない。どこを探しても会えないわけじゃない。兄は隣に居る。

「そうか」

「うん」

 ピッ、とタイミングよく赤になった信号に足止めされる。ここを渡れば、もうすぐキョウスケのマンションだ。あまり喋ると冷たい空気のせいでコウスケが咳をしてしまうから、この季節、キョウスケはあまり外で弟に話し掛けない。どちらも口を開かないまま、変わった信号を渡り始めた。

 キョウスケの重い荷物の中には、卵にキャベツ、牛乳、豚肉。鶏肉じゃがいも人参玉葱。それから。

「兄さん」

「なんだ」

「鯖買ったから、夜は鯖の味噌煮つくってあげる」

「それは楽しみだな」

 隣の兄が笑う気配がして、コウスケは得意になって「明日は筑前煮と炊き込みご飯だよ」と言った。

 マンションが見えてくる。

 ああ、空が青い。



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