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月。

作者: 海沼

 僕は今まで数多くの過ちを犯してきた。許されざる者。

罪人だ。自分がそんな人間であることはわかりきっている。

自分の身の丈、犯した罪。それでも止めることはできないのだ。僕の「快感」という歯車が回り続ける限り、その本能はむき出しになり、大きな石を持ってこないとその歯車は止められない。そんな感情を持ち続けているかぎり、僕は人間ではないのかもしれない。人間の姿をした悪魔かもしれない。悪魔ならまだよい方で、どろどろとした形を持たない「負」の塊なのかもしれない。

 

 夕やけは僕に影を作った。

 この影が出てくると、もう一つの僕が生まれる。罪人という二文字を背負いながら存在し、これまでの過ちを後悔しながら、何かにおびえて生きている今の僕。

 しかし、影が出てくると、僕のわずかに残った善人としての感情は一切断ち切られる。過ちを繰り返し、罪人として一段と極悪非道になっていくもう一人の僕がいるのだ。僕はこの時間が一番嫌いだ。善とも悪ともつかぬ位置で、自分の過ちを反省し、もしかしたらもう一度して犯してしまいそうだ、という中途半端な僕がいる。

 それでも夕やけは、僕の意思に反してやってくるのだ。


 一人の人間としていきたい。

 それが僕の一番の望みだ。

 個性という人間だけが持っているものを、一人ひとり、それぞれが尊重しあいながら生きていく。それが人間の美しさだと僕は思っている。

 人間には言葉がある。無数にある。その言葉が刃物のように鋭くなることもある。言葉で人を傷つけることは誰でもできるのだ。

 言葉というものは誰かを傷つけて、謝るために存在するものだ。だがもう一人の僕はあいにく言葉を持ち合わせていない。その時すでに僕の言葉は打ち消されて、何の意味もないものになっているのだ。手遅れ状態だ。


「地球と月が最も近づくとされる、スーパームーンまで、残り十分を切りました」

 何もない部屋で、僕のブラウン管テレビがしゃべっている。

「そろそろか……」

 ため息が出た。もう一人の僕が動きはじめようとしていた。テレビを消して、黒いヨットパーカーを着る。ファスナーを首元いっぱいまで絞め、フードを被り、顔だけが出た状態にする。ポケットティッシュを三個手に取り、ジーパンのお尻のポケットに入れる。

 玄関にある鏡の前に立ち、僕は映る自分をにらんでいった。

「もしかしたらこれで最後かもしれない。僕として生きていられるのはこれで最後かもしれない。僕は怖いんだ。いつ自分が自分でなくなるのか。もう二度と今の僕でいられなくなるんじゃないかって。もう一人の僕が僕を食いつぶして、僕として生きていくんじゃないかって。いつこの罪から逃れられるのかって。毎晩考えた。でも、わかったんだ。罪は一生付きまとうんだ。僕の存在がなくなるまでずっと……

だから僕は戦うことにした。罪と。償わなければいけないんだよ。もう一人の僕を殺して、一人の人間として生きていかなきゃいけないんだ! 」

 もう一度鏡に映る自分の姿を睨んだ。向こう側にいる僕は上唇の右半分を釣り上げてにやりと笑った。


 人気のない路地に僕は立った。雨上がりのその日は水たまりが多かった。

 「遂に始まる…… 」

 僕の身体に電気が走る。いてもたってもいられなくなる。今日が決戦の時だ。これで僕の運命が決まる。食うか食われるかの闘いが始まるのだ。


 水たまりには月が覆っている空が映った。 

 その時だった。

「うぅぅぅぅぅぅううああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 僕は大声を上げてもがき始めた。体を震わせ、地面にうつ伏せに倒れ、必死に体を掻き毟った。僕は必死に抵抗した。このままではもう一人の僕に食われる。

「やめろぉぉぉぉぉおお! やめてくれぇ! 」

 水たまりに映る月を僕は必死に叩いた。そのたびに波が立ち、粘土で作ったような楕円の月がゆらゆら揺れる。

「いやだぁぁぁぁぁぁ! うぐぅぅぅあああああああ! 」


僕はもがきながら仰向けになった。空が月で覆われて、土色になっている。ウサギがもちをついている様子はなく、ただただクレーターが目に入ってくるばかりだった。  


 目を凝らしてみると、そこには無数の生命体の姿が見えた。人間と同じように、働いているものもいれば、寝ているもの、家族と団らんの時間をすごす生命がそこにはいた。それが分かるくらいに月は近かった。

手を伸ばすと、届きそうだ。昔にテレビで見た、月がチーズでできているなんて話が、今なら確かめることが出来そうなくらいに、その月は僕に近づいているように見えた。

 パーカーはびりびりに破け、大量の毛で覆われた肌がところどころ露出している。僕の動機は少しずつおさまっていく。

 「僕は生命を奪い、罪を繰り返した最低の男だ。何度僕はその肉を喰らい、血を洗った事か。一人一人の生命には、それぞれの家族があって、物語があったのに、僕はそれを勝手に終わらせてしまったんだ。君を見てから気づいたよ。こんなに君が憎かったのに……」

 月は僕の言った事に耳を傾けるかのように近づいてきた。たくさんの生命が僕の目に飛び込んでくる。

「君のお陰で僕は、もう一人の僕に勝てた気がするよ。ありがとう」

 僕はそう言って、フードをもう一度かぶり、月に背を向けるように家路を急いだ。

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