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俺達はハンターが立ち寄りそうな酒場を一軒一軒、覗いて回った。柄の悪そうな連中がこちらを振り返るたびに因縁をつけられないか冷や冷やしながら。でもロックとかいう奴は何処にもいない。いつの間にか時刻は午後10時を回っていた。
「もう今日は帰ったほうがいいんじゃねえか。これ以上探しても見つかりそうもねえ」
シャーロットは吸い込まれるような黒い瞳でちらりと俺の顔を見ると、ふっとため息をつく。
「そうね。また出直すわ」
「家はどっちだ? 送っていくよ」
「いいえ、大丈夫。一人で帰れるわ。あの……今日はありがとう」
「ああ、もう一度言っておくが、復讐なんて止めたほうがいい。親御さんのことも考えろ」
「父はいないわ。去年、母もあたしを置いて男と出て行ったの。でもね、テッドは優しかった。テッドのお母さんもお父さんも。あたしを本物の娘みたいに扱ってくれたの」
シャーロットは零れ落ちそうになる涙をじっと堪えながら唇を震わせる。
「あんな素敵な人達、何処にもいないわ。だからあたしはあのハンターを絶対に許さない」
立ち去っていく彼女の姿をやりきれない思いで見送った。ヴァンパイアがどんなに惨たらしく殺されても、それは正当な行為なのだ。まったく酷い世の中だ。俺は急にレイのことを思い出した。しまった。奴を置き去りにしてしまった。もうとっくにホテルに帰っているだろう。……ハンターに出会わなければ。
踵を返し、走り出した俺の背後で怒号と悲鳴が聞こえた。振り返ると、そこには二人の男に無理やり車に乗せられようとしているシャーロットの姿があった。あの迷彩服の双子だ。いつの間に!
裏通りの更に奥の通りであるここには他の人影はない。俺は走った。男の一人が俺に気付き、銃を構えた。構うものか。銃の引き金が引かれると同時に俺は飛び上がり、男の顔を横から蹴り飛ばした。男の身体がゴミくずみたいに吹っ飛ぶ。
「てめえ、さっきの男じゃねえか。こいつの仲間だな。だったら、一緒に始末しなくちゃいけねえな」
背後の声に振り向くと、男はシャーロットを抱え込むようにして例のデザートイーグルを彼女のこめかみにぴたりと押し付け、俺を睨んでいる。くそ。どうしたらいいんだ。
「下手な真似をしたら、こいつを殺すぞ」
仕方がない。一か八かだ。そいつに飛び掛ろうと身構えたとたん、銃声と共に太ももに耐え難い激痛が走り、俺はその場で倒れてしまった。どうやら撃たれたらしい。銃創から吹き出る血でジーンズが真っ赤に染まっている。畜生、この間買ったばかりなのに。
「貴様……!」
「わりいな。ここじゃ人が通るからな。一緒に来てもらうぜ」
そう言いながら、背後にいた男が妙なスプレーを顔に吹きかけた。俺の意識はそのまま深い闇の底に突き落とされた。
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レイは食後のコーヒーを飲み終えると、デビィの帰りをじっと待っていた。タバコにしては遅すぎると思いながら、ふと店の隅に目をやると先ほどのウェイターが慌てたように目を逸らした。手には携帯を持ったままだ。
――店の仕事もしないで何をしているんだ……そうか、そういうことか。
レイは立ち上がり、ベージュの麻のジャケットを羽織るとデビィの黒いジャケットを腕に抱え、そのままレジに向かった。勘定を払って店を出る時に振り向いてみると件のウェイターが泡を食った様子で電話をしている。
――やっぱりだ。あの男は通報屋だ。今日はバトルする気分じゃない。いや。もしあのロックとかいうハンターだったらバトルする価値はある。だがクロード先生にも止められているし、ここはデビィに相談したほうがいい。
だが店の外にデビィの姿はなかった。
――いったい何処に行ったんだ。
携帯を取り出してデビィに電話を掛けてみる。誰も出ない。胸騒ぎを感じたレイは微かに残るデビィの匂いを追いかけて、路地の奥へと歩き出した。
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「デビィ、ねえ、デビィ」
誰かが俺の名前を呼んでいる。目やにで張り付いた両目を無理やり開けて見ると、そこは薄暗い部屋の中だった。ゆっくりと先ほど起こったことを思い出してみる。そうか、俺はシャーロットを助けようとして……。
「よかった。生きてたのね」
目を凝らしてみると、俺の横には両手を後ろ手に縛られたシャーロットが座っていた。左足の足首にはロープが巻かれ、その一端は柱に括り付けられている。何となく、奴らがこれから彼女に何をしようとしてるのか判った。最低だ。コンクリートの硬く冷たい床から上半身を起こす。俺は腕も足も頑丈なロープで縛られている。太ももの傷はもう塞がってきている。すでに痛みはなかった。見渡すと部屋の中はそこそこの広さがある。ここは工場の中か何かだろうか。四方の壁もコンクリートで窓はない。ドアの上に通風孔があるだけだ。天井の蛍光灯が申し訳程度の光を放っている。床にはもう長いこと放置されているような段ボール箱が数個置かれている。ドアの外からは断続的な機械音。どうやら発電機のようだ。
「シャーロット、奴らに何もされなかったか?」
「今のところはね。でも、後で楽しませてもらうとか言ってたから無事じゃすまないでしょうね」
シャーロットは悔しそうに唇を噛み締めている。
「大丈夫だ。そんなことは俺がさせねえ」
「でも、あいつらは武器を持ってるのよ。あたし達には何もないわ」
確かに何もない。でも、俺は何度もそういう目に遭ってきた。このまま終わるわけにはいかない。
「おやおや、お目覚めのようだな」
二人の男がドアを開けて部屋に入ってきた。手に鞭を持った男が面白くて堪らないという顔で俺の横に立った。俺は両腕にに力をこめて縄を千切ろうとしたが、縄はびくともしない。
「無駄だ。その縄は対ヴァンパイア用の丈夫な綱だ。Vの力でも千切ることは不可能だ。さっきはよくも蹴飛ばしてくれたな。ええ? お礼はたっぷりさせてもらうぜ」
男が鞭を振り上げた。大きくしなった硬い革が鋭い金属のように俺の服を切り裂いた。打たれる度に全身が震えるほどの痛みが走る。絶え間なく与えられる痛みに思わず背中を反らせて声を上げる。それがますます男を喜ばせるのか鞭の音が激しくなる。俺はもう数え切れないほど痛い目に合わされているが痛みっていうものはあんまり慣れるものじゃないらしい。意識が薄れかけた時、ふいに鞭の音が止んだ。もう打つところがないほど血まみれになった俺の髪を男が強く掴みあげた。
「さあて、そろそろ死んでもらおうか」
もう片方の手にはサバイバルナイフ。畜生。これじゃどうにもならない。レイ、あいつは俺を探しているだろうか。ナイフの刃が首筋に強く押し当てられる。ヒヤリとしたその感触と皮膚の切れる痺れるような痛みに身体中の血が凍りついたような気がした。
「生きたまま首を切るっていうのはどうだ? 俺、そういうの一度やってみたかったんだ」
そう言いながら、今にも涎を垂らしそうな顔をする男に怒りが込み上げてくる。だが男の後ろからもう一人がナイフを持った腕を押さえつけた。
「おい、待てよ、ビル。その男の顔、見覚えがあるぞ。あのハンター・キラーのレイの仲間じゃねえのか?」
「ええ? ほんとかよ!」
ビルと呼ばれたほうが俺に顔を近づけてきたので、その汚い面に唾を吐きかけてやった。
「畜生、貴様!」
強烈なパンチが鼻の真正面を直撃した。息の詰まるような痛みと同時に鼻の骨の折れる鈍い音が聞こえた。
「間違いねえな。ロックが取り逃がしたヴァンパイアの仲間だ」
「何だって?」
「おや、お前、奴のことが心配か。何やら通報があってロックは奴を狩りに行ったんだが、一足違いで取り逃がしたらしい。まもなくロックはここへ戻ってくる。お前ならレイをここに呼び出せるよな?」
「……そんなこと、死んだってするもんか」
「やるんだ。やらなければ、この女の首を今すぐかき切ってやる。フリート街の外れにある缶詰工場の跡に来いと言え。目印は缶詰の看板だ」
男はそう言いながら俺の携帯を顔に押し付けてきた。勝手に通話ボタンを押したのだろう。すでに呼び出し音が鳴っている。
「いいか。変なことを言ったらこの女の命はないぞ」
電話が繋がった。
『デビィか? 何処にいる? 何があった?』
「ああ、レイ。勝手にいなくなって悪かったな。いや、いい女に誘われちゃってさ。潰れた缶詰工場に来てヤッてたんだけど、この女、娼婦だったんだ。俺、財布を落としたらしくて金がねえんだ。すぐに持ってきてくれよ。フリート街の外れ、缶詰の看板があるからすぐ判る」
『仕方がないな。待ってろ、すぐに行くよ』
「ああ」
電話が切れた。……奴は気づいただろうか?
ロックに連絡を取り、レイを呼んだことを知らせると、ビルは俺の電話を部屋の隅に放り投げた。
「さてと。この男はどうする? バル」
「まだ生かしとけ。たぶんロックが始末したがるだろうからな」
「おい、兄貴。俺、さっきからこの女をヤリたくって仕方がねえんだ。いいだろ?」
「まあ、いいだろう。早く済ませろよ。俺は外を見てくる」
バルが部屋を出て行くのを見計らって、ビルはシャーロットを押し倒した。
シャーロットの悲鳴に、俺の怒りは頂点に達した。と、同時に最近感じなかったほどの凄まじい食人衝動が襲い掛かってきた。食いたい。この男を食いたい。
身体に信じられないほどの力が漲ってくる。俺は雄叫びと共にそれまでびくともしなかった手首の縄を軽々と引き千切り、足の縄も両手で引き千切った。
片足で必死に抵抗するシャーロットの上で厭らしく蠢いている男の上腕を掴んで思い切り噛み千切った。なかなかいい味だ。もっと食いたかったが、ビルは凄まじい悲鳴を上げて立ち上がり、そのまま尻餅をついた。
「お、お、お前は!」
「俺か。俺はゾンビだ。もうすぐお前も死んで俺の仲間になるのさ。俺は奇跡的に意思を持っているが、ほとんどの人間はただの生きる屍になる。さあ、どうする? ハンターさん。化け物になるより、このまま俺の餌になるか?」
俺が歯を剥き出してゆっくり近付いていくと、ビルは恐怖に顔を歪めてガタガタと震えだした。
「た、助けてくれ。死にたくない。もう何もしねえから助けてくれよ」
その時、悲鳴に気付いたバルが部屋のドアを勢いよく開けて入ってきた。俺は奴が銃を構えるまもなく飛び掛り、兄と同じように腕の肉を食い千切ってやった。悲鳴を上げてのたうち回るバルを俺は醒めた顔で見詰めていた。そうだ。もうすぐロックとかいう奴が帰ってくる。あいつが俺が思うとおりの糞野郎なら上手くいくかもしれない。
「お前ら、早く病院に行け。処置が早ければ助かるかも知れねえぞ」
「ほ、ほんとかよ」
噛まれたことがよっぽどショックだったのか二人はただ身体を震わせながら身を寄せ合って座り、俺を恐怖に満ちた眼差しで見詰めている。鬼畜のような奴らだが、兄弟仲はいいようだ。俺は震え上がる奴らから銃とナイフを取り上げた。
「動かねえほうがいいぜ。動くとウイルスが早く身体中に回るからな」
この一言で奴らは動きたくても動けなくなった。シャーロットの縄を解こうとすると、彼女は怯えたような顔で俺を見た。
「ねえ、デビィ。あなた本当にゾンビなの?」
「ああ、そうだ。でも、あんたを食ったりはしねえよ。安心しな」
縄を解き、デザートイーグルを手渡すと、シャーロットは少し落ち着いたようだった。
「いいか。使う時はしっかり両手で握って撃て。反動が大きいからな。だが、ロックは殺すな。奴から攻撃された場合だけこの銃を使え」
シャーロットはかなり不満そうに眦を吊り上げ、棘のある声で俺に答える。
「どうして奴を殺したらいけないの? これは復讐なのよ!」
「簡単だよ。そうすれば君は殺人犯になってしまう。それに俺にはいい考えがあるんだ。上手くいけば殺さなくても復讐は出来る。お願いだ。信じて欲しい」
それからしばらく、彼女は俺の顔を見ていたが、やがて小さな声で呟いた。
「判った。信じるわ」