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当作品はサイトからの転載です。

「デビィ、昨日の検査の結果なんだが」

 診察室のドアを開けて入ってきた白衣のクロード先生は、何となく深刻な顔をしながら俺の前にある皮の椅子に座った。消毒用アルコールの匂いが鼻につく部屋。窓の外には庭の木々の間から覗く青く静かな海が見える。押し黙っているクロード先生の言葉を俺は叫びだしたいような気持ちで待った。そして……。


「よかったな、デビィ」

 なじみの声に振り向くといつの間にか入ってきたレイがドアに凭れ掛かっていた。長い金髪を黒いサテンのリボンで結んだ彼は女みたいに綺麗な顔に優しげな微笑を浮かべて俺を見ている。

「今夜はお祝いのディナーだな。もちろん、お前の奢りで」

「だから、何でそうなるんだよ!」

 やれやれ。レイは相変わらずだ。


 二日前、俺たちは西海岸の街、ホワイト・シーシェルズにあるこの診療所にやってきた。近くのホテルに宿を取り、初めて体液を調べてもらうことにしたのだ。クロード先生は身長190センチを超す大男の医者で、がっしりとした体格、ウェーブした黒髪にブルーグレーの瞳、浅黒い肌にがっしりとした顎の持ち主だ。彼は戸籍上は人間だが、その正体は狼男で、正体を表した時の力はたぶんレイ以上だ。性格は温和で、人間と同じようにモンスターたちの診察も行っている。

2010年。ニ年前に穏健派の黒人大統領ジェームス氏が誕生し、彼の政策に同調するようにモンスターを擁護する人々が徐々に増えつつあった。しかしながらハンターたちの反発も根強いし、こういうことは一朝一夕で変わっていくわけじゃない。


「ああ、そうするといい。ただハンターにだけは気をつけろよ。性質の悪いのがいるからな」

 レイはふっと眉を顰めてクロード先生に視線を移す。

「何かありましたか? 先生」

 クロード先生は黙って机の引き出しから一枚のカルテを取り出し、机の上に置いた。

「この少年の名はテッド。ヴァンパイアだ。いや、だった、というべきか。この街のハイスクールに通っていたんだ。いい子でね。ボランティア活動が大好きだった。他のヴァンパイア同様、彼も吸血行為で人を殺すことはなかった。だが、先日、人を襲っているところをハンターに見つかって腕を撃たれ、吹き飛ばされた。で、そのまま私のところに駆け込んできて入院したんだが……」

カルテをじっと見詰める先生の言葉がしばらく途切れた。

「……奴は簡単にテッドの正体を探り当てた。この街にハイスクールは一つしかないからね。教師に金でも握らせれば欠席している生徒の名前や顔を知ることは簡単だろうな。テッドはここを退院した日に家の傍で張り込んでいた例のハンターとその仲間に狩られてしまった。両親共々ね。近所の人が見つけたときには部屋の中は血まみれで、奥さんはレイプされた上に首を切り取られて……」

「もういいですよ」

 レイはそう呟くとぎゅっと唇を引き締めた。その瞳には静かな怒りが宿っている。

「……で、彼らの死体はどうなったんですか?」

 レイの問いにクロード先生は静かに答えた。

「焼却炉送りにはならなかったよ。彼らは普通に埋葬された。両親ともとても評判のいい人達でね。父親は息子の学校の教師だった。とても熱心で生徒に慕われていた。だから今、そのハイスクールではモンスター擁護の運動が盛んになってきている」

「そうですか。少なくとも彼らの死は無駄にはならなかったわけだ、なあ、レイ」

 何だか重苦しい雰囲気を軽くしようとそう言いながらレイを見たが、彼は下を向いたまま答えようとはしない。

「そのハンターの名前は判りますか?」

 レイの問いにクロード先生は顔を曇らせた。

「何を考えているのか知らないがね、レイ。止めておいたほうが身の為だ」

「でも、先生。奴がこの診療所のことを知らないまま済むとは思えないんです。そうなったらクロード先生もロンも危ない。もちろん、フィルやナンシーやここの患者たちも」


「僕のことを心配してくださるんですか? レイ。それは嬉しいですが、あなたが無茶をすることには反対です」

 ドアを開けて入ってきたののはフィリップ・ホーキンス。生姜色の髪に胡桃色の瞳。人懐こい笑顔を浮かべた白衣の彼は湯気の立つマグカップを四つ乗せたトレーを抱えている。

「おいおい、フィル。まだ休憩の時間じゃないぞ」

「大丈夫です。今のところは予約もありませんから」

 フィルは診察室の傍らにあるガラスのテーブルにトレーを置いた。

 彼は俺と同じで元は人間だった。だが、大学の医学部に在学中にヴァンパイアに襲われ、無我夢中で顔を殴ってそいつの唇を切ってしまった。そのまま地面に倒されたフィルは喉を噛まれたが、たまたま歩いてきた人間に騒がれた為、ヴァンパイアは彼の血を吸わずに逃げてしまった。だが、そいつの血は傷口から彼の体内に入り込んで彼そのものをヴァンパイアに変えてしまった。その為か彼はどうしても人を襲って血を吸うことが出来ない。血の滴る生肉を買ってきて食べることで襲ってくる吸血衝動を抑えていた頃、鼻の利くハンターに襲われ、偶然に通りかかったレイに助けられた。レイの口利きでクロード先生の助手となったフィルは今では吸血衝動に苦しむこともなくなった。

「とにかく今日はよせ。お祝いのディナーに行きたくないのか?」

「ハンターのことなら大丈夫だ。何かあったらここを頼りにしている大勢の人間の患者たちが黙ってはいないよ。それに私は君より強い。ハンターなんかに殺られはしないさ」

 レイはふっと笑みを漏らした。

「判りました。そのことはもう考えません。でも、俺より強いかどうかはやってみなければ判りませんよ」

 レイの少し挑発めいた言葉にクロード先生は柔らかく微笑んだ。

「さあて、どうかな。まあ、ヴァンパイアと狼男、どちらが強いかというのは昔からの謎だし、謎は謎のままにしておこうじゃないか、レイ。それから一応警告として伝えておくが奴の名はロックだ。つい最近、この街に来たらしい。赤毛の角刈りで凶暴な面をしているから会えばすぐに判る。私も一度だけ見たことがあるが見るからに危険そうな男だった」

「ありがとう、先生。心配は要りませんよ。俺のポリシーとして向こうが襲ってくるか仲間が襲われていない限りはこちらから手出しはしませんから」


 その晩、俺達は街で一番評判のいいレストランに食事に行った。レイは春らしい淡いグリーンの絹のシャツにベージュのスラックス。代わり映えのない黒いTシャツにジーンズの俺と違っていつも自分の服装に気を使う。だが今日、彼は黒っぽいレンズのサングラスを掛けている。本人は自慢のペールブルーの瞳が隠れることを嫌がってぶつくさ言っていたが、俺が無理やり掛けさせた。レイはハンター共に顔を知られているから、ここ数年はバーテンダーとして仕事をする時は洗えば落ちるスプレー式の洗髪剤で髪を染めている。それは襲われる危険を少しでも減らす為で、俺が口が酸っぱくなるほど説得してやっと本人が納得したことだった。だが、レイはプライベートでは髪を染めたがらない。だから少しでも変装させないと食事に行くことも出来ない。だが本人はなぜかそういうことには無頓着で無防備だから、こちらがいつも気を使う。俺は決して面倒見のいい性格じゃなかったんだが、レイと出会ってから少し変わってしまったような気がする。

 ひょっとしてレイは襲撃を誘っているんじゃないか。時々そんなことさえ考えてしまう。だがハンターと戦い終わったレイの顔はいつもそれほど嬉しそうではない。

「まったく酷いな、このサングラスは。お前の顔が真っ黒に見えるし、料理がみんな不味そうに見える」

「お前が自分のを買わねえから俺のを貸してやってるんじゃねえか。文句言うな」

「俺に貸すんだったらもっとセンスのいいのにしてくれよ。これ最悪だぞ。子供向けコミックスのベタな悪役みたいだ」

 まったく、口の減らない奴だ。

「だったらせめて髪を染めろよ。ここはシルバークロス・タウンみたいに安全じゃないんだぞ!」

「いやだね。仕事でもないのに染めるのだけは絶対いやだ。髪が痛むんだよ」

 いや、だってお前、ヴァンパイアなんだから痛んでもすぐに元に戻るじゃないか。


 食事が終わり、ウェイターがコーヒーを持ってくると、レイはさっさとサングラスを外してしまった。ウェイターは驚いたようにじっとレイの顔を見ていたが、別の席から声を掛けられて慌てて席を離れていった。あいつもレイに一目惚れか?

「おい、よせ! 掛けとけよ!」

「いや、もうこれ以上我慢できない。それより、おめでとう、デビィ。あと少しで家に帰れるようになるな」

 レイはそう言いながら少し寂しそうな笑みを浮かべた。

 家……家か。そういえばもう十年以上帰っていない。俺は放浪の旅に出たことになっている。大学は母さんに頼んで退学届けを出してもらった。あの時の母さんの悲しそうな声は今でも忘れられない。数ヶ月前に電話で話した時、母さんは再婚するようなことを言っていた。あれからどうなっただろうか。そういえば妹の結婚式にも出られなかった。母さん達は俺をどう思っているだろうか。突然何もかも放り出した身勝手で不可解な息子だと思っているだろうか。

「まだまだ先の話だけどな……ああ、でも」

 帰りたい。だがもし母さんが再婚していれば、もう俺の居場所はなくなる。いや、もういい加減独立していて当たり前の歳になっているのに、外見に変化がないせいか歳を忘れてしまうようだ。

「たぶん帰らねえよ、俺は」

「好きにすればいいさ。俺はどっちでも構わない」

 レイがいくらかほっとしたように見えたのは俺の気のせいだろうか。

 もう、奴と暮らすことは俺にとっての日常になってしまった。だがもし、俺が気まぐれでヴァンパイア狩りなどに参加しなければ、今頃は大学を卒業し、就職して結婚して子供もいたことだろう。でも、それもまた一つの可能性に過ぎない。今のこの暮らしこそが俺の人生だ。常に危険と隣り合わせだが、退屈はしない。

 コーヒーを一気に飲み干す。すると急にタバコが吸いたくなってきた。

「俺、ちょっとタバコ吸ってくる。すぐに戻るよ」

「ああ」


 店の外に出るとそこには先ほどのウェイターがいた。俺の顔を見ると急いで携帯を折り畳み、店の中に入っていく。

「変な奴だな」

 ジーンズのポケットから赤いマルボロを取り出して火をつける。立ち上る紫煙が澄んだ春の空気の中にゆっくりと溶け込んでいく。この辺りは星が綺麗だ。

 次の瞬間、俺はいきなりぶつかってきた何かにタバコを弾き飛ばされた。

「ごめんなさい!」

 そこには長いこげ茶色の髪の女の子が立っていた。大きな黒い目は追い詰められた兎のように怯えている。ハイスクールの学生だろうか。黒いポロシャツにタイトなジーンズ。肩にはキャンバス地のショルダーバック。細身だがスタイルはいい。彼女は腕に身体に似合わないような大きな銃を握っている。何やら穏やかじゃない雰囲気だ。彼女はちらりと後ろを振り返ると俺が声を掛けるまもなく走り出し、店の横の路地に飛び込んでいった。

 まるで何かに追われてるみたいだ。彼女が来た方向を見ると遠くに二人の男が見えた。そいつらが放つ独特な血の匂いを風が運んでくる。それは奴らの正体を無言で伝えてきた。ハンターだ。二人とも激安通販で買ったみたいな安っぽい迷彩服。吊り上った細い目に青く染めたモップみたいな頭。二人ともまったく同じ顔をしている。どうやら双子らしい。


「おい。お前、銃を持った髪の長い女を見なかったか?」

 男の一人が俺に声を掛けてきた。

「ああ、見たよ。あっちに走ってった」

「急ぐぞ、バル。まだ遠くには行ってない」

「ちくしょう、あのアマ。見つけたらぶっ殺してやる」

 俺が指差す方向にハンター達は走っていった。あの女はヴァンパイアなのか? 男達の影が見えなくなり、しばらくたってから俺は路地に入ってみた。先ほどの女は路地の奥のゴミ箱の横で放心したように蹲っていた。

「もう大丈夫だ。あいつらは行っちまったよ」

 女が手に持っているのはデザートイーグル。とても自分の銃とは思えない。

「あんた、あいつらに何かやったのか? ひょっとして、その銃……」

 女は俺の顔を見て、しばらく黙っていたが、やがて小さな声でこう答えた。

「そうよ。あたしが盗んだの」

 何てこった。こいつ、泥棒じゃないか。

「どうしてそんなことを」

「復讐する為よ。ロックっていうハンターに。あいつはあたしの恋人を殺したのよ」

「復讐? それじゃ、あんたはテッドっていうヴァンパイアの恋人か?」

「……そうよ。よく知ってるわね」

「まあな。それじゃ、あんたもヴァンパイアなのか?」

 女はふっと目を伏せる。

「いいえ。あたしは人間。でもそんなこと関係ないじゃない。あたしが愛していたのはテッドなの。彼が何者であろうと問題じゃないわ。あの双子、ロックの仲間なのよ。あたし、武器を持ってないから食事してる時に奴らの銃を盗んでやったの」 

 それはまたずいぶん無茶なことを。いや、待てよ?

「ということは、ロックって奴はこの近くにいるのか?」

「そうだと思う。この辺りはあいつの縄張りだって聞いたから」

 そうつはやばい。すぐにレイに知らせないと。いや……やっぱり黙っていよう。あいつのことだから来るまで待つとか言い出すに違いない。鉢合わせしないうちにホテルに連れて帰らなくては。ああ、いや、でもこの女は……どうしようか。

「いいか。俺は何人ものハンターと戦ったことがある。奴らは普通の人間にやっつけられる連中じゃねえぞ。ハイスクールの連中もモンスター擁護に動き出してるらしいし、そのうち何とかなるかもしれねえ。だから復讐なんて無謀なことはよせ。きっと殺されるぞ」

 女は立ち上がった。銃をショルダーバックにしまい、毅然とした態度で俺にこう答える。

「判ってる。殺されたって構わない。そうすればあいつは法律で裁かれるもの。今のままじゃ何の裁きもないのよ」

「確かにそうだな。ハンターは公認の職業だからな。ああ、とにかくここにいたらまずい。どこかに隠れなくちゃ」

 女はちょっと怪訝そうな顔で俺の顔をじっと見つめた。なかなか可愛い娘じゃないか。ちょっと美味しそうだし……いや、いろんな意味で。

「ところであんた……何者なの? ハンターと戦ったってことはヴァンパイアなの?」

「そうじゃない。だけど俺は人間でもない。これ以上は教えられないけどな。ああ、俺はデビィ。あんた、名前は?」

「シャーロット。とにかく私はもう行かなくちゃ。あいつを探して殺してやるのよ」

 そう言うなり、シャーロットは俺を押しのけて歩き出した。復讐を止める気は更々ないらしい。仕方がない。一人にしておくわけにはいかない。

「俺も行くよ」

 路地を抜けると寂れた裏通りに出た。年老いたショッピングバッグ・レディが薄汚れたカートを押しながら目の前をゆっくりと通り過ぎていく。

「探すって、当てはあるのか?」

「ないわ」

「そいつは……頼もしいな」

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