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競作 三題噺

慟哭

「また来たよっ」

 がちゃり、と、扉を開けながら、私は元気に彼の部屋に飛び込んだ。

 私の手には早咲きのチューリップ。淡いピンク色が一目で気に入った。もちろん、これは私の趣味で、彼の趣味ではない。

「いつもありがとうね」

 りんごを剥いている途中だった彼のお母さんがこちらを振り向いた。私は少しだけ照れ笑いをしながらも遠慮なく部屋の中に入っていく。

 彼の部屋――病室。

 白い壁の、白いベッドに、白い貫頭衣の彼が眠っている。

「もう春なのね」

 チューリップを見ながらお母さんが呟いた。

 その言葉に私の胸が、ずきりと痛む。

「活けてきますね」

 私は台の上の花瓶を奪うように手に取った。逃げるように廊下の水道まで行くと、胸を押さえて大きく息を吐く。

 水を換え、昨日の水仙の横にチューリップを押し込むと、なんだか落ち着きがなかった。背中合わせにそっぽを向いている。

 部屋に戻ると彼が目を覚ましていた。

 白い顔がゆっくりとこちらを向き、うつろな瞳が穏やかに緩む。

「あ、笑ったわ」

 お母さんが目頭を押さえながら言った。

「あなたのことだけは分かるのよね」

 ちょうどりんごを剥き終えた彼女は、包丁を洗ってくると言って部屋を出て行った。たぶん、私が帰るまで帰ってこないつもりだろう。

 りんごの乗ったお皿にフォークが二本添えられている。

 この二本は、いったい誰の分なのだろう。


 自宅に戻り、私は洗面所で顔を洗った。

 鏡に映った顔は、真っ赤な目をしていた。帰路、ハンカチを出すこともなく涙を垂れ流しにしていたからだろう。

 去年の暮れ、彼は交通事故に遭った。

 そして、あの部屋の住人となった。正確には夢の世界の住人かもしれない。たまに目を覚ましては、うつろな瞳で虚空を見る。

 けれど。

 ひとつだけ、彼を現実世界に呼び戻せるものがある。

 私は鏡に映った自分を見る。

 もう一人の自分を見る。

 私じゃない。私の双子の姉。彼の、恋人。

 お姉ちゃんは東京の大学に行っている。そしてこの春、小学校教諭としてこの町に戻ってくる。本当はずっと彼の傍にいたかったのに、身を切る思いでお正月明けに東京に戻った。彼を、私に託して。

 かちこちかちこち……。

 時計の音が聞こえる。

 春になるまでにあとどのくらいの時間が残されているのだろうか。


 今日もまた、彼のお母さんは部屋を出て行ってしまった。

 彼は今、眠っている。

 白い腕には注射針の痕が幾つも残っていて赤黒くなっている。

 彼は、私を見て笑う。

 私だけ。

 今の彼は、私だけを見てくれる。

 点滴の雫がぽとりぽとりと、静かに落ちる。動くことのできない彼の生命線に私の目が引き寄せられる。私は音もなく近寄る。手を伸ばす。

「うっ……」

 私は目を瞑った。それ以上は、してはいけない。

 声にならない声を上げる。慟哭。

 悲鳴にならない悲鳴を上げながら、息を殺して、泣く。

「泣くなよ……」

 かすれた声が聞こえた。

 驚いて顔を上げると、そこには先ほどと変わらぬ白い顔の彼が眠っていた。ただの幻聴。都合のいい我侭に過ぎない。これが現実。

 時計の針は確実に進んでいて、春の足音はすぐそこまで聞こえている。

 このままだと私は彼を壊してしまう。

 それとも私が壊れてしまうのだろうか。


 その晩、私は荷物をまとめた。

 彼を守るために。

 自分を守るために。

 それは逃げとしか言いようのないものだけれど、私にとっては精一杯の愛情表現。


 ――愛している。


この作品は舞月朝影さん、藍川琉斗さんとの競作、三題噺として執筆いたしました。

三題噺とは、三人でひとつずつ、お題を出し合い、そのすべてを入れて短編小説を書くというものです。


今回の条件は以下の通りでした。

お題:「慟哭」「春」「時計」

文字数:2500文字以下

制限時間:できるだけ早く


というわけですみません。粗いです。

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