第一節 最上階の囚人 1-2
白い息を吐きながら若い看守が一人、石造りの階段を登る。
手には、朝食のスープを乗せた鉄製のトレイを持っている。
やがて、看守は一人の囚人が囚われる部屋にたどり着いた。
そこは、バースチ監獄所の中で最も高い塔の最上階に特別に造られた一室だった。
とは言え、囚人は囚人だ。
室内は簡素なもので、木製の机と椅子がそれぞれ一つずつ中央に置かれ、部屋の隅には硬いベッドが置かれている。
部屋の北側には小窓が一つだけあり、そこから入り込む小さな光の筋だけが室内を照らし出している。
「おい! 囚人番号1番」
看守が、扉越しに呼びかけると中で人が動くような音が聞こえた。
「朝食の時間だ。扉を開くぞ」
そう言って、木製の扉の鍵を開けてゆっくりと押した。
古い扉は、ギィギィと嫌な音を立てながら開く。
そこには、小柄な囚人が無言のまま椅子に腰を下ろしていた。
いつ見ても、看守にはその囚人が不気味に見えた。
なぜなら、その囚人は騎士が着用するような鉄製の仮面を被らされていたからだった。
この囚人が、いつからこの場所に囚われているのか看守は知らない。
だが、看守がこの監獄で働くようになってから一度としてこの囚人が仮面を外したところを見たことがない。
話によると、何週に一度だけ洗髪のためにこの仮面を外しているのは知っている。
その際は、監獄長が自ら立会うという。
よほど、高貴な血筋の人間なのだろうか。
だが、今はこのバースチ監獄所に囚われる囚人だ。
「1番、食事の時間だ。動くなよ」
そういうと、看守は鍵の束から一つ。小さな鍵を選ぶとおもむろに囚人に向けた。
「今、あごの部分をはずしてやる」
そう言って、仮面のこめかみ辺りにある鍵穴にゆっくりと鍵を入れた。
カチリ……
鍵の開く音が室内に響く。
あごを覆う仮面が外れると、その奥には形の良い紅色の唇が見えた。
「1番、口を開けろ」
そう言うと、スプーンに乗せたスープを運ぶ。
毎日繰り返される光景だった。
看守が、この囚人の朝食を運ぶようになってから一年ほどが過ぎていた。
いつも、半分ほど口にして後は口にしない。
普段は、このままトレイを下げてこの薄気味悪い空間から逃げるように、早足で階段を下りるのだが今日は違った。
看守は、気紛れに声をかけてみたのだ。
「おい1番。ちゃんと食べろよ。あんまり食べないと身体によくないぞ」
そう言って、もう一度スプーンを差し出した。
「……はい」
それは、看守が初めて聞いた囚人の声だった。
涼やかで、とても心地の良い声。
そして、その声の響に看守は驚く。
「お前、女なのか!」
囚人は、皆一様にボロを纏っている。
そのボロは、身体の線が分からないほど大きく体型だけでは男女を区別する事が出来ない。
「……オンナ? オンナとはなんですか?」
囚人は問い返す。
「なにって……女は女だろう」
憮然とした態度で言い返す。
「すみません」
囚人はうなだれる。
「お前、学を学んでこなかったのか?」
「ガクとは何ですか?」
「学問だよ。こんな所にいるってことは、元々は相当な家柄の出なんだろ! そういう所では学問を学ばせるものだろ」
そう言いながら、再度口元にスープを運んだ。
「わかりません。私はずっとここにいます。他の場所は知りません」
「なんだって! じゃあ、お前は外での生活を覚えて……」
その時、塔の下から聞きなれたラッパの音色が聞こえてきたのだ。
「しまった! 次の作業に取り掛からないと。……俺はダニエルだ。また明日、朝食を持ってくるから」
看守は無意識に名乗っていた。なぜ自分が名乗ったのか分からない。
とても変な気分だった。
しかし、今はそれよりも早く持ち場に戻らなくてはならない。
足早に部屋を後にした。
「ダニエル……」