第九節 決行と代償 1-2
息を切らせながら、闇に紛れて進む二人の人影。
遥か後方に見えるバースチ監獄所の高い塀。
大きなフードで顔を覆ったその人は、手を引かれながら懸命に足を進める。
足元を照らし出すはずの月の光は厚い雲に隠され、いつ石や木の根に足を取られてもおかしくない。
草木も眠るような真夜中。そんな時間帯なのに、さらに人目に触れないように森の中を歩くのは用心のためだ。
それほどに、二人の行動は危険に満ちている。
監獄からの脱獄は、問答無用で死罪とされる。
「大丈夫かアン?」
気遣いながらも、険しい表情で視界の悪い道筋を眺めている。
もう、しばらく進むと大陸を横断する貨物列車の停留所にたどり着けるだろう。
行き先は、隣国の地方都市。
貨物列車に忍び込めれば、後はどうとでもなるだろう。
列車の中でアンの仮面を外し、彼女を王家の呪縛を解き放つことが出来る。
その後はどうしよう。
そのような事を考えている間に、目の前に大きなレンガ造りの建物が見えてきた。
「ダニエル、これは何?」
そこには、見たこともない鉄で出来た大きな箱が置かれている。
「これが鉄道という乗り物だ。今から、これに乗り込むんだよ」
そう言って、少し高いところにある列車の入り口に手を掛けた時だった。
「残念だがそこまでだ」
底冷えするような抑揚のない言葉がかすかに聞こえた。
額に浮かぶ汗を拭う事もできないまま、静かに振り返るとそこには意外な人物が立っていた。
「ジョン……どうしてここに? それにその格好は」
そこには、普段見慣れた囚人服姿ではなく、誉れ高き王国騎士の正装に身を包んだジョンが静かにたたずんでいる。
「すまない」
その言葉が、ダニエルの耳に届いた刹那。
抜き放たれた細身の剣先が、一瞬の迷いも無くダニエルの左の肩に突き刺さる。
焼けるような痛みが左肩を襲った。
「ダニエル!」
アンの悲鳴が建物の中に響く。
「なぜだ!」
紅く染まる左肩を押さえながらジョンを見る。
「王女を連れ出す事は許されない」
それは、静かな威迫だった。
「ジョン、なぜお前がその事を」
確かに、ジョンにアンの事を話した。
しかし、その身分まで話した覚えはない。
「俺は、王命でバースチに王女が幽閉された時からそのお姿を見守ってきた」
どこか、物悲しげな表情を浮かべながら二人を見比べる。
「王女の為にと思い、お前に鍵を渡したのだが……」
そこには、暗い後悔の色が滲み出る。
「二人目の王女の存在を公にするわけにはいかない」
剣の柄を握る手に力がこもる。
「捕まれば断頭台へと連れて行かれるだろう。ならば俺の手で」
目の前に迫る切っ先に目を閉じるダニエル。
そこにあるのは絶対なる死。
紅い飛沫が舞い上がる。
アンの声にならない悲鳴が建物内に反響するのが聞こえた。
「これで、大犯罪者ダニエルは死んだ」
剣を鞘に収めながらジョンは呟く。
「……こ……これは?」
死を覚悟したダニエルだったが、まだ生きているようだ。
「痛っ……」
右頬に痛みが走る。
「獄長は、ダニエル頬に大きな傷があることを知らない」
背中越しに話し始める。
「その肩の傷はすぐ治療すれば治るだろう。もうすぐ獄長たちが駆けつける。王女は……アンのことは俺に任せて、お前は早くこの場から立ち去れ」