石の記憶 回想編 思い出をありがとう
思い出をありがとう
朝の柔らかな陽射しが部屋を包む。
「玲奈。」
リビングから母が声をかけた。
「このところ調子がいいわね。」
玲奈は小さく微笑む。
「うん。前よりずいぶん。」
「せっかくだから、今日は少しドライブでもしない?」
「ドライブ?」
「うん。どこか行きたいところある?」
玲奈は少し考えた。
ソファに座る隣には、お母さんにプレゼントしてもらった豚のぬいぐるみ。
自然と抱き寄せる。
そして、ゆっくりと言った。
「……久しぶりに。」
「うん?」
「ブタさんのお店、行きたい。」
母は一瞬きょとんとした。
「え?」
「ブタさんのお店。」
その言葉で思い出す。
高校生だった娘が、小さな豚の彫刻ビーズのブレスレットを宝物のように抱きしめて帰ってきた日のこと。
店の名前は覚えていなくても、玲奈はずっと「あのブタさんのお店」と呼んでいた。
母は優しく笑う。
「そうね。行ってみようか。」
車は街へ向かう。
窓の外には見慣れた景色。
それでも少しずつ変わっていた。
新しい建物。
閉店した店。
昔とは違う看板。
商店街を二人で歩く。
「あっ。」
玲奈が立ち止まる。
「あのお店、なくなったんだ。」
「そうね。」
少し寂しい。
でも歩みは止めない。
ふと、雑貨店の店先に小さな豚の置物が並んでいる。
玲奈は思わず笑った。
「かわいい。」
母も笑う。
「玲奈らしい。」
二人で笑いながら歩く。
それだけで十分だった。
この街で過ごした時間は、何もなくなってはいない。
自分の中にちゃんと残っている。
帰り道。
海沿いの道を車がゆっくり走る。
穏やかな瀬戸内の海が午後の日差しを受けてきらめいている。
玲奈は助手席で豚のぬいぐるみを抱いたまま、静かに窓の外を眺めていた。
しばらくして母が尋ねる。
「どうだった?」
玲奈は少し考え、微笑んだ。
「変わってた。」
母は黙って頷く。
玲奈は海を見つめたまま続ける。
「でも。」
「ブタさんに出会えたことは忘れない。」
「……。」
「お母さん。」
「なあに?」
玲奈は母の方を向いて笑った。
「ありがとう。」
母も笑顔で頷く。
「こちらこそ。」
車は穏やかな海岸線を走り続ける。
人は変わる。
街も変わる。
だけど。
思い出は変わらない。
玲奈の心の中では、あの日出会ったブタさんも、あの街も、これからもずっと生き続けていく
石の記憶 ~完~




