「無能」な家政婦として追放されましたが、私の「掃除」スキルは実は「神域浄化」だったようです 〜呪われた辺境伯様に溺愛されすぎて、捨てた王国は汚泥に沈みました〜
「シルフィア・エヴァンス! 貴様のような、掃除と洗濯しか能のない女が我が公爵家の、そして将来の王妃の座に居座るなど、もはや耐え難い辱めだ。本日を以て、貴様との婚約を破棄し、国外へ追放する!」
王都の豪華な舞踏会場。その中心で、第一王子レナード・フォン・アルカディアは、金髪を振り乱しながら高らかに宣言した。彼の隣には、華やかなドレスを着た聖女候補の娘が、勝ち誇ったような笑みを浮かべて寄り添っている。
私、シルフィア・エヴァンスは、床に膝をつき、手に持っていたハタキをぎゅっと握りしめた。
「……レナード様。私は、エヴァンス公爵家の令嬢として、そしてあなたの婚約者として、この王宮の『衛生管理』に全てを捧げてまいりました。私が去れば、この城の魔力的循環は滞り、三日で汚れに沈むことになります。それでもよろしいのですか?」
「ふん! 家事などという、下男や下女がやるような雑用を『魔力的循環』だと? 笑わせるな! 貴様がいなくなれば、代わりに本物の聖女であるマリアが、その強力な神聖魔法でこの国を輝かせてくれる。……さっさと失せろ、掃除女!」
周囲の貴族たちからも、クスクスと忍び笑いが漏れる。
「エヴァンス家の恥晒しが」「家事しかできない無能」……。
彼らは何も分かっていない。
私の加護『神域洗浄』。それが、ただの掃除ではなく、この世界に漂う呪毒や悪意、そして魔力の澱みを物理的に「拭き取り、洗い流す」唯一無二の権能であることを。
「分かりましたわ。……そこまで仰るなら、私はこの地を去ります」
私は立ち上がり、最後に一つだけ付け加えた。
「ただし、私が一度磨き上げた場所から離れる時、私の魔力も全て引き上げさせていただきます。……あとの掃除は、そちらの『本物の聖女』様にお任せしますわ」
私は優雅に一礼し、最低限の掃除用具だけを鞄に詰めて、王都を後にした。
行き先は、北の果て。「呪われた辺境伯」と呼ばれるヴォルガード家。
魔王の残滓が色濃く残り、住む者すら消えたと言われる死の土地。
そこなら、いくらでも「磨き甲斐のある汚れ」があるはずだ。
馬車を乗り継ぎ、たどり着いたヴォルガード辺境伯領は、まさに地獄のような有様だった。
空はどす黒い雲に覆われ、地面からは常に不気味な瘴気が立ち上っている。かつては美しかったであろう屋敷も、今や黒い蔦に覆われ、窓ガラスは曇り、死の気配が漂っていた。
「……素晴らしい。これほどの汚れ、家政婦として血が騒ぎますわ」
私は屋敷の門を叩いた。
現れたのは、ボロボロの服を着た老執事、セバスさんだった。
「……どちら様で? ここは呪われた地。命が惜しければ……」
「今日からこちらで家政婦として働かせていただきます、シルフィアと申します。さあ、まずはこの玄関マットの叩き出しから始めましょうか」
私は戸惑うセバスさんを押し切り、屋敷の中へと足を踏み入れた。
そこには、獣のような咆哮を上げながら、黒い霧に包まれて苦しむ一人の男性がいた。
アリスティア・フォン・ヴォルガード。
戦場で魔王の呪いを受け、肉体も魂も「腐敗」に蝕まれているという、この地の主だ。
「……グアァァ! 誰だ……来るな……! 私の汚れがお前まで……」
「うるさいですよ、旦那様。……安静にする前に、まずはお部屋の換気が必要ですわ」
私はアリスティア様の苦しみを無視し、まずは窓を全開にした。
そして、愛用の「神域のハタキ」を一振りする。
「加護発動――『神域洗浄・広域換気』」
一瞬だった。
屋敷の中に滞っていた数十年分の呪毒と悪臭が、私のハタキが作り出した聖なる突風によって一気に窓の外へと吸い出されていった。
「な……!? 呪いの霧が……消えた?」
呆然とするアリスティア様の前に、私は自作の「聖属性洗剤」を染み込ませたタオルを持って立った。
「旦那様、少し失礼します。そのお顔の『汚れ』、非常に気になりますわ」
私は、彼の額にこびり付いていた魔王の呪紋――誰も解けなかった絶望の呪いを、ただの「食べこぼしのシミ」を拭き取るかのような手つきで、キュッキュと磨き上げた。
「――っ! 熱い……いや、清々しい? 私の魂を焼いていた呪いが……洗い流されていく……?」
数分後、そこには醜い獣の姿ではなく、白銀の髪を持った、息を呑むほど美しい青年が横たわっていた。
アリスティア様は、自分の白い手を見つめ、そして私を仰ぎ見た。
「お前は……一体、何者だ?」
「ただの家政婦ですわ、アリスティア様。……さあ、旦那様が綺麗になったところで、次はこの『ゴミ溜め』のような屋敷を磨き上げますわよ!」
それからの数日間、私は狂ったように掃除をした。
床を磨けば聖なる光が宿り、カーテンを洗えば魔除けの結界となり、井戸を浄化すれば万病を治すエリクサーが湧き出した。
アリスティア様は、日に日に健康を取り戻し、以前のような「冷徹な最強騎士」としての覇気を取り戻していった。
それと同時に、彼の私に対する視線も、感謝から「異常なまでの執着」へと変わっていったのだが……当時の私は、掃除に夢中で気づかなかった。
私が辺境を楽園へと変えていた頃、私を捨てたアルカディア王国は、文字通り「ゴミの山」に沈みつつあった。
王宮の豪華な廊下には、いつの間にか黒いカビが繁殖し、どんなに磨いても落ちない。
それどころか、私がかつて浄化していた水源が腐敗し、王都の住民たちは原因不明の下痢と高熱に悩まされていた。
「マリア! 何をしている、早く聖なる魔法でこの汚れを消せと言っているだろう!」
レナード王子が、異臭を放つ玉座の間で叫んだ。
聖女候補のマリアは、顔を青くして杖を振るうが、彼女の魔法は上辺を光らせるだけで、根源的な汚れ(呪毒)を消すことはできない。
「無理ですわ! こんな……こんな、泥を捏ねるような掃除、私の聖女としての誇りが許しません!」
「誇りだと!? 食事も腐り、兵士も病に倒れ、もはやこの国は滅びる寸前なのだぞ!」
彼らはようやく気づき始めていた。
私が毎日、当たり前のように行っていた「掃除」という雑用。
それが、国の魔力結界を維持し、国民の健康を守り、魔王の残滓を抑え込んでいた、唯一無二の「国家防衛システム」であったことを。
「……そうだ、シルフィアだ! あの女を連れ戻せばいい! 無能な女だ、こちらから『戻ることを許してやる』と言えば、泣いて喜ぶに違いない!」
レナード王子は、鼻をつまみながら、辺境へと向かう使節団を組織した。
辺境伯領は、いまや「聖域」と呼ばれていた。
私が街の下水を掃除し、水源を浄化したことで、農作物は例年の数倍の収穫を上げ、領民たちは皆、ツヤツヤとした肌で幸福そうに笑っている。
そんな中、王都からの使者が、ドロドロの馬車に乗ってやってきた。
「シルフィア・エヴァンス! 殿下が寛大にも、貴様の帰還を許可された! さあ、今すぐ王都に戻り、あの汚い城を磨き上げろ!」
現れたのは、かつて私を「掃除女」と嘲笑った外交官の男だった。
彼の顔は、王都の不衛生のせいで酷い吹き出物だらけだ。
私は、愛用のアロマワックスを床に塗りながら、冷ややかに微笑んだ。
「お断りします。私は現在、ヴォルガード公爵様の専属家政婦。……汚れた王都の空気を持ち込まれるのは、お掃除の邪魔ですので、お引き取りください」
「な、なんだと……!? 貴様、王命に背くというのか!」
その時、背後から凄まじい圧力が放たれた。
「――私のシルフィアに、その汚らわしい指を向けるな」
呪いから完全に解き放たれ、全盛期以上の魔力を取り戻したアリスティア様が現れた。
彼は私の腰を引き寄せ、氷のような瞳で使者を睨みつけた。
「シルフィアは私の命の恩人であり、この地の守護聖女だ。……あんなゴミ溜めのような所に、二度と彼女を返すつもりはない。……失せろ。さもなくば、お前たちを『物理的に』排除する」
「ひっ、ひぃぃぃ!」
使者たちは腰を抜かし、自分たちが放つ異臭の中に転がりながら逃げ帰っていった。
「シルフィア。……お前はどこへも行かせない。私の隣で、この家と、私の心を永遠に磨き続けてくれ」
アリスティア様は、私の耳元で熱く囁いた。
「家政婦として」と言いたかったが、彼の瞳にあるのは、もはや雇い主のそれではなく、獲物を絶対に離さない猛獣の執着だった。
王都が自らの不潔さで自滅し、レナード王子がゴミに埋もれて発狂する中、天界の神々が私の「浄化の力」に目をつけた。
空から降りてきた天使が、神々しい光と共に宣告する。
「シルフィアよ。神の国を掃除する『神域清掃官』として、汝を召喚する。人間界など捨てて、神と共に歩め」
「……天使様。光るのは勝手ですが、逆光で床のホコリが見えません。あと、羽毛を散らかさないでいただけますか?」
私がハタキを振るい、神の光を「消臭・除菌」すると、天使は絶句した。
さらに、アリスティア様が激怒した。
「神だと? 私のシルフィアをスカウトするなど、一万年早い。神界が彼女を欲しがるなら、今日この時を以て、神の国を『大掃除』してやろう」
アリスティア様は空を斬り裂き、神々の住まう宮殿に巨大な亀裂を入れた。
神罰として落ちてきた雷は、私が「全自動乾燥機」のエネルギー源として吸収し、シーツをふっかふかに仕上げるのに利用した。
神々ですら、私の「家事への情熱」と、アリスティア様の「重すぎる愛」には勝てなかったのだ。
そして、私は決意した。
この世界に漂う「悪意」や「戦争」といった、目に見えない『概念的な汚れ』。
それを全て洗い流し、世界中を「清潔で幸福な場所」に変えてしまおうと。
「加護発動――『神域創生・概念洗浄』」
私のハタキから放たれた純白の光が、惑星全体を包み込んだ。
武器の錆が落ち、人々の心から偏見という名の油膜が剥がれ落ちる。
光が収まったあと、世界は文字通り「新品」のように輝き、あらゆる病と争いが消滅した。
それから数年。
世界には「ヴォルガード聖潔帝国」という、世界一綺麗で幸福な国が誕生した。
その国の中央にある、塵一つない白銀の城で、私は今日もハタキを振るっている。
「シルフィア。……また掃除か? 今日は私たちの『成婚記念日』だろう」
後ろから抱きついてくるアリスティア様は、今や世界の皇帝として崇められているが、私の前ではただの「甘えん坊な旦那様」だ。
彼の独占欲は日増しに強まり、私が掃除に出かけようとすると、結界を張って私を寝室に閉じ込めようとするのが困りものだ。
「旦那様、記念日だからこそ、最高にピカピカな空間で過ごしたいのです。……あ、そこ、少しホコリが」
「……お前の瞳に映るホコリになりたいくらいだ。……愛している、シルフィア。お前のいない清潔な世界より、お前のいる汚れた部屋の方がマシだ(汚させはしないが)」
「あら、それは家政婦として聞き捨てなりませんわ」
私は微笑み、彼に情熱的な接吻を贈った。
世界を救い、神を黙らせ、最強の男を虜にした家政婦の戦いは、これからも続いていく。
なぜなら、汚れがある限り――私のハタキが止まることはないのだから。
(完)




