Episode2. 王太子の来訪
重厚な扉が左右に開かれ、広間に一陣の風が吹き抜けた。
エシュリオンの国旗を掲げた使者が、声を張り上げる。
「王太子セドリック・フォン・エシュリオン殿下、ご到着!」
黄金の馬車から降り立ったのは、夜空の流星をそのまま固めたような銀髪の青年だった。王族らしい華やかさと、全てを見透かすような灰色の瞳を持つ、智謀の蛇。
リリアは、軍服の袖の中で無意識に拳を握り締めた。
(……来たわね、セドリック)
リリアはハンスに叩き込まれた通り、傲岸不遜な公爵の仮面を完璧に張り付け、一歩前へ出た。
「殿下。ノイシュタインへようこそ」
低く響く、重厚なアルベルトの声。セドリックは、眩しそうに目を細めて微笑んだ。
「やあ、アルベルト。元気そうで何よりだ。……今日から二週間、お世話になるよ。僕を目一杯楽しませてくれ」
「……は。殿下を楽しませるなど、武骨な私に務まるかどうか」
リリアは内心でそのつま先を踏んづけてやりたい衝動に駆られながら、不遜な態度を維持する。
一方のセドリックは、その言葉を軽く受け流すと、興味の対象をすぐさま隣へと移した。そこには、震える足で必死に立っている――リリアの姿をしたアルベルトがいた。
セドリックの唇が、にやりと歪む。
「ああ――愛しのリリー! 君に会えるのを、どれほど心待ちにしていたか!」
セドリックは、いつもそうしているように、いかにも仰々しくアルベルトの手を取った。
刹那、アルベルトの脳裏に、「リリアはセドリックが好きだ」という思い込みが閃光のように過る。
(リリアは……この男を愛している。つまり、俺がこいつを拒絶することは許されない。この男に怪しまれない為には、受け入れなければ……)
その悲壮な決意が、最悪の采配となった。
本来のリリアなら、淑女の笑みを保ちつつも、内心の嫌悪感から一秒でも早くその手を振り解こうとするはず。しかし、アルベルトは歯を食いしばり、セドリックの指が自分の掌に這うのを、無抵抗に許してしまったのだ。
「……殿下。お久しゅうございます。お元気そうで何よりですわ」
アルベルトは必死でソプラノの声を出し、淑女の礼を披露した。動作は優雅だが、その手首はセドリックへの嫌悪感と、己のプライドを削る屈辱で微かに震えている。
セドリックの灰色の瞳が、スッと細くなった。
「おや、リリー。顔色が悪いね。やはり君のようなか弱い女性に、この寒々しい北の地は合わないんじゃないかな。早く王都に戻っておいで。僕の隣はまだ空席だ」
セドリックは甘く囁くように言うと、アルベルトの手の甲に、あからさまに長く、吸い付くような口づけを落とした。
瞬間、それを横で見ていたリリアの中に、吐き気を催すほどの激しい怒りが湧き上がる。
(セドリック、あなたったら……! アルベルトの前でそんなことを言ったら、私が浮気性だと思われてしまうじゃない!)
リリアは憤りのあまり、セドリックを鋭い視線で睨みつけた。
セドリックは当然、それを「アルベルトがリリアへの独占欲から自分を睨んでいる」のだと解釈し、挑発的に口角を上げる。
「……ふふっ。アルベルト。そんなに怖い顔をしないでくれよ。こんなのただの社交辞令だ。本気じゃない」
セドリックは優雅に微笑んだ。だが、その瞳の奥には、獲物を探るような光が宿っている。
――いつものリリアなら、今の接触に対して、もっと洗練された『拒絶の毒』を吐いたはずだ。今の彼女は、それがない。
代わりに、隣に立つ公爵からは、これまで感じたことのない種類の、剥き出しの情念が伝わってくる。
これは何かある――と踏んだセドリックは、愉悦の笑みを深めた。
「さあ、舞踏会を始めよう。今夜はとても楽しい夜になりそうだ」




