Episode14. ノイシュタインの新たな日常
その後、カシアンはアルベルトと共にリリアの元を訪れ、声を震わせ謝罪した。
リリアは最初、兄が『アルベルトを殺そうとした』ことに憤りを隠せない様子だったが、カシアンの反省ぶりと、これまで兄から受けてきた深い愛情――何より、アルベルトの「今回の件は俺にも責任がある。すまなかった、リリア。カシアンを許してやってくれ」という言葉に根負けし、兄の謝罪を受け入れた。
数日後。
カシアンは一度王都へと戻り、ハンスから託された一通の手紙を、王太子セドリックへ手渡した。
セドリックは手紙を読み終えると、窓の外を眺めて優雅に、しかしゾッとするような愉悦を瞳に宿した。
「くくっ……ははは! なるほど、君はリリーに剣を向けたのか。……アルベルトはさぞや肝を冷やしたことだろうね。その場に立ち会えなかったことが残念でたまらないよ。僕がそこにいたら、迷わず君を斬り伏せてあげたのに」
「――っ」
「ああ、そんな顔をしないでくれ。ほんの冗談だ。そもそも、君を北に向かわせたのは、この僕なのだからね」
カシアンは絶句した。そして、悟った。
『王太子はリリアのことを愛している』――カシアンは確かにそう思っていたが、この王太子がリリアに抱く感情は、そんな生易しいものではない。それは、慈しみという名の執着だ。
カシアンは、目の前の王太子が放つ、無邪気かつ底知れない言動に、心底恐れを抱いた。
「さて、カシアン。君には新しい仕事を与えよう」
「……仕事? いえ、私は――」
言いかけるカシアンの前で、セドリックは書状に羽ペンを走らせると、それを手渡す。
「……『北方国境防衛督戦官』? なんですか、この職位は」
「君が休暇を取っている間に、僕が作った。君には督戦官として北の地に行ってもらう。ああそれと、副団長は兼任だから」
「私が不在の間に、作った……? いや、そもそも、兼任というのは……」
「文字通りだよ。まさか王国騎士団が、簡単に君を手放すと思っているのかい? いくらアルベルトからの申し出とはいえ、君の後任はすぐに見つかるものじゃない。それに、大事な副団長を北に派遣するという形にした方が、王室が北を重視しているアピールができて都合がいいんだ」
「!」
セドリックは椅子に深く背を預け、冷ややかな視線を投げてくる。
「君のような優秀な戦士を北に置く。それは周辺諸国への強烈な警告になる。……アルベルトに大きな貸しを作るのにも最適だ。君は今日から、ノイシュタインの防衛を支える王家の象徴になるんだ」
「いや、ですが、私は――」
「言っておくが、これは決定事項だ。もはや今の君にとって、職位などどうでもいいものなのだろう? ならば、貰えるものは貰って、愛する妹の傍にいたらいい。――異論は、受け付けないよ」
「……っ」
カシアンは、新たな職位と副団長の兼任という――実質的な「出世」という形になってしまったことに納得できなかった。
それなのに、自責の念に駆られ、罰を求めていた自分に、王太子は敢えて「さらなる責任」という名の鎖を繋いだのだ。
だが、これは王太子の命令。一騎士に拒否権はない。
「こっちはしばらく団長に頑張ってもらうから、君は、北の地で務めを果たすといい。部下も数人、連れて行くように。人選は君に任せるよ」
カシアンは拳を握りしめ、重い息を吐くと共に、頭を下げるしかなかった。
「…………御意。……殿下の、御心のままに」
それからさらに数日後。
カシアンは、彼が信頼を置く数名の精鋭部隊を引き連れ、再びノイシュタインの地を踏んだ。
公爵領の正門を潜る際、カシアンは自身に言い聞かせるように、深紅の外套を強く握りしめた。
王太子に利用されようと、政治的な駒にされようと、構わない。
自分にできることは、ただ一つ。
切っ先を向けてしまった最愛の妹と、その婚約者アルベルト――そしてこの荒々しくも美しい北の地を、命を懸けて守り抜くことだけだ。
――そういう訳で、カシアンは『督戦官』として、北の兵士たちに訓練を行うことになったのである。
(……まさかカシアンが『督戦官』として送り返されてくるとは……。やはりあの男は、――食えん!)
時は戻り、現在のノイシュタイン演習場。
初夏の陽光の下、ノイシュタイン演習場では、リリアの姿をしたアルベルトが細剣を振るっていた。対峙するのは、彼の正体を知る騎士のうちの一人、ヨハンだ。
「閣下、その踏み込み……リリア様の身体とは思えぬ鋭さです!」
「おい、今の俺はリリアだぞ。閣下と呼ぶなと、何度言ったらわかるんだ」
「あっ、申し訳ありません、つい! ですが、この区画には我々しかおりませんし。リリア様の方こそ、もっと淑女らしくしたらどうです? その身のこなし――見る人が見れば、すぐに正体がばれますよ」
「ふん、望むところだ。もし俺の正体が知られ襲ってくる者がいたら、今度こそ返り討ちにしてやる。そのために、俺はこうしてリリアの身体を鍛えているんだからな」
アルベルトが訓練に参加することになったのは、ハンスの進言がきっかけだった。
『閣下がそのお姿で訓練に参加すれば、事情を知る騎士たちの緊張感は保たれます。何より、リリア様の細い身体に最低限の筋力をつけるのは、生存戦略として合理的。……そうでなければ、いつか閣下が、リリア様のお身体を壊してしまうかもしれませんよ?』
ハンスの不敵な笑みに納得させられたアルベルトは、この二週間、リリアの身体に最適化した独自の戦法を構築し続けているのである。
だが、ヨハンは困惑を隠せない様子だ。
「ええ? まさか、それ本気だったんですか? リリア様の身体で敵に立ち向かうって? 流石に無茶では……」
「俺も少し前まではそう思っていた。だが、やれることはやらねばならん。俺は二度と、リリアの身体を傷つけるわけにはいかないんだ」
「……まあ、気持ちは理解しますよ。でも、あまり無理はなさらないでくださいね。リリア様のお身体は、ひ弱なんですから」
「そんなことは、俺が一番理解している。お前に言われるまでもなく、な!」
アルベルトは一歩踏み込むと、リリアのしなやかな肢体を最大限に活かし、細剣を鞭のように振り抜いた。
剛剣を誇るヨハンの剣筋を、鋭い刺突で弾き飛ばす。
「うわっ……!?」
均衡を崩したヨハンは、固い地面に尻もちをついた。その喉元には、寸止めされたレイピアの切っ先が突きつけられている。
その様子を、横で審判を務めていたラインハルトが、呆気にとられたように呟いた。
「は……はは、すげぇ。流石、閣下……いや、リリア様」
力でねじ伏せるのではなく、速度と精密さで相手を無力化する。それは、アルベルトがこの二週間、血の滲むような試行錯誤の末に掴み取った「新たな剣」だった。
ヨハンとの打ち合いを終えたアルベルトは、木陰で身体の熱を冷ましながら、己の手首――リリアの白い肌を眺めた。
ハンスが手配した名医の処置により、刻まれていた無数の切り傷は、今や目を凝らさねば分からぬほどに消え去っている。
(……これで、ようやく俺の気持ちを、彼女に伝えられる)
あれから二週間、アルベルトは結局、リリアに『愛』を伝えられていなかった。
傷が残るうちに告げてしまっては、加害者としての「責任」や「贖罪」に聞こえてしまうのではないか――そう危惧したら、言えなくなってしまったのだ。
だが、傷跡という『負い目』が消えた今なら、対等な立場で、リリアと向き合うことができる。
今夜こそ、リリアに気持ちを伝えよう。アルベルトはそう、心に深く誓った。




