Episode13. 初夏の演習場
あの怒涛の事件から、二週間が過ぎた。
ノイシュタイン公爵領。城に併設された広大な演習場には、初夏の爽やかな陽光とは裏腹に、肌を刺すような緊張感に包まれていた。
整列した数百名の騎士や兵士たちの前に立つ、アルベルトの姿をしたリリア。
その隣には、王国騎士団の騎士服に身を包んだカシアンと、彼が王都から連れてきた、数名の精鋭たちが並んでいる。
「今日からお前たちの訓練を任されることになった、カシアン・ド・ヴァロアだ! 王国騎士団副団長の名に懸けて、みっちりしごいてやる! 覚悟しておけ!!」
カシアンの怒号が大気を震わせる。
苛烈なまでの宣戦布告に、兵士たちの間にざわめきが広がった。
「……なぜ、王国騎士団の副団長殿がここに?」
「本気で指導をなさるのか? 王都の職務と兼任すると聞いたが……」
「いや、それよりも見ろ。隣におられるのは……」
兵士たちの視線は、カシアンの傍らに立つ、もう一人の人物に釘付けになっていた。
そこにいたのは、リリアの姿をしたアルベルトだった。
しかし、その装いは華やかなドレスではない。身体に程よく馴染む上質な革と布で作られた、女性用の騎士服だ。腰には細剣が添えられている。
「どうしてリリア様が騎士の格好を……?」
「ヴァロア卿の勇姿をすぐ側で見守りたいと、我儘をおっしゃったらしいぞ」
「本当に兄君がお好きなんだな……。だが、あの眼光、まるで戦場に立つ閣下のようで……」
「――静粛にッ!!」
兵士たちの私語を、カシアンの一喝が切り裂いた。
「訓練中だぞ、私語は慎め!」
カシアンの威厳に、演習場は再び水を打ったような静寂に包まれる。
アルベルトは、カシアンの隣でその光景を見つめながら――事の始まり――二週間前の「あの朝」のことを思い出していた。
アルベルトがカシアンに拉致された事件の、翌朝のこと。
日が昇り切る前に地下牢から出されたカシアンは、ハンスによって、アルベルトの前に連行された。
その時、アルベルトは全身の筋肉痛と月経痛により、寝台で伏せっており、カシアンの相手をするどころではなかった。けれど、カシアンがあまりにも憔悴しきっていたせいで、追い出す気力も失せてしまった。
しかも、カシアンはプライドの欠片もなく、額を床に擦り付けたのだ。
「……アルベルト。本当に申し訳なかった! 俺は騎士として、リリアの兄として、決して許されないことをした。謝って済むことじゃない。だが、せめて――謝罪させてくれ!」
アルベルトは驚いた。
一晩の間にいったい何があったのか。確かにその潔さは騎士のそれだが、かといって、カシアンがこれほど反省を見せるとは、想定外もいいところ。
「……カシアン、お前、どういうつもりだ」
確かに、昨日のカシアンの行いは浅はかだった。入れ替わりを知らなかったとは言え、リリアを殺そうとしたことは、決して許せることではない。
だが冷静に考えれば、昨日カシアンが見せた反応は、至極『真っ当』なもの。
身体が入れ替わるなど、普通は考えもしないだろう。それに……。
(そもそも、カシアンを追い詰めた責任は、俺にある)
自分は十七年もの間、リリアを蔑ろにしてきた。
それを側で見ていたカシアンの怒りは、どれほどのものだったか。それなのに、カシアンは昨日以前まで、自分を明らかに敵視するような、問題行動は起こさなかった。
それは、カシアンがリリアを深く愛していたからであり、そしてまた、彼に騎士としての矜持があったからに他ならない。
「……顔を上げろ、カシアン。俺への謝罪は必要ない。お前が謝るべき相手は、リリアだろう」
「いいや。……俺はもう、リリアに会わせる顔がない」
カシアンは床に額を擦りつけたまま、嗚咽を堪えしのぶ。
「……俺は、騎士団を辞める。あんな真似をした俺に、騎士を名乗る資格はない。ヴァロアの家名も……捨てるつもりだ」
「――何?」
瞬間、アルベルトは絶句した。
――騎士を辞める? それは、自分たちにとって『死』と同義だ。
「辞めるだと……? 正気か? 副団長ともあろう男が、自分のしでかした不始末から逃げるために、剣を捨てるというのか!」
「ああ、そうだよ! 俺はリリアを殺そうとした! リリアは俺の命なんだ! お前に、俺の苦しみがわかるのか!?」
「――ッ」
「……もし、もし、リリアに軽蔑の目を向けられたらと思うと……俺はもう、生きていられない」
「…………ハッ」
アルベルトは、リリアの身体で鼻を鳴らした。
あまりにも悲壮感漂うカシアンの姿。それが逆に、アルベルトの思考を冷却していく。
(何なんだ、こいつは。昨日とはまるで別人じゃないか……)
正直、ここまで落ち込まれると、鬱陶しい。
全身の疲労感と、月経痛。それに加えて、カシアンの相手までしなければならないのか。
そう考えると、ズキズキと、腹の痛みが強まる気がした。
「おい、ハンス」
「――はい」
「お前は、どう思う?」
もはや考えることさえ面倒になったアルベルトは、部屋の隅に立つハンスに丸投げする。
すると、ハンスは思案する素振りを見せながら、カシアンの肩にそっと手を置いた。
「ヴァロア卿、顔をお上げください」
「……ハンス」
「そもそも、王国騎士団に勤める貴方には、勝手に騎士を辞める権利はございません。それを決められるのは、王族だけでございます。――ですよね、閣下?」
「ああ……。まあ、それはそうだな」
ハンスは続けた。
「それに、ヴァロア卿。貴方の騎士としての腕を失うのは、この国にとって大きな損失。まず間違いなく、陛下は、貴方の辞職をお許しにはならないでしょう」
「――だが、俺は罪を……!」
「ですから、こうするのはどうです?」
ハンスは眼鏡を押し上げると、事務的な、しかし容赦のない口調で追い打ちをかける。
「ヴァロア卿には、この地で罪を償っていただくのです。……それを、閣下から殿下に申し伝える、というのは」
「……何?」
「閣下もヴァロア卿も、昨夜のリリア様の悲鳴をお聞きになりましたよね? いくら閣下の身体に入っていても、あの方は根っからの淑女。戦場には不向きです。騎士たちの中にも、最近の閣下の様子に違和感を抱き始めている者もおりますし……。ですから、今後騎士たちの訓練は、ヴァロア卿にしていただく、というのは?」
「――!」
アルベルトはハッとした。
確かに名案だ。カシアンのことは好きではないが、その腕は買っている。
「……なるほど。それはアリだな」
カシアンがいれば、リリアの危険を減らせる。自分とリリアの入れ替わりが戻るまで、この男に働かせればいい。
――それは、アルベルトの利害が、ハンスの思惑と完全に一致した瞬間だった。




