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犬猿の仲の婚約者と身体が入れ替わってしまった 〜侯爵令嬢リリアと若き公爵アルベルトの男女逆転生活〜  作者: 夕凪ゆな
Stage3. 紅の洗礼

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Episode12. 炎の盟約


 その日の夜更け、屋敷全体がようやく落ち着きを取り戻した頃。ハンスは、屋敷本館から最も離れた「北塔」の螺旋階段を、地下に向かって下りていた。


 本館では、極度の身体的疲労によりアルベルトがダウンし、リリアもまた、精神的なショックから深い眠りについている。


 ハンスはそんな二人に代わり、騎士団に箝口令(かんこうれい)を敷き、宿屋への口止めや事後処理の一切を完璧に片づけ終えたところだった。



 カツン、カツンと乾いた靴音が反響する。ハンスはランプの灯りを片手に、『リリアの手首』に刻まれた無数の切り傷を思い返していた。


(……幸い、閣下の傷はどれも軽傷だった。しかし)


 命に別状はない。だが、問題は傷痕だ。

 騎士や武官であれば「傷は名誉」で済む話。だが、リリアは淑女であり、何よりアルベルトが愛する女性なのだ。


(軍医の荒い縫合では、傷痕が残ってしまう。形成外科に長けた専門医を、至急探さなければ)


 加えて、懸念はもう一つ。王太子セドリックのことだ。

 ハンスは、カシアンとの正門前での会話から確信していた。カシアンという「猛犬」をこの地に解き放ち、今回の引き金を引いたのは、セドリックであることを。


(全く。あれほど強く忠告したというのに、本当に困った方だ。……とにかく、ヴァロア卿に事の詳細を確認しなければ)


 階段を降り切ったハンスは、迷路のように入り組んだ長い地下通路を進む。奥に向かうにつれ、埃やカビ、染みついた人間の体液の匂いが濃くなっていく。


 やがて、鉄格子がずらりと並ぶ独房エリアに辿り着いた。ハンスは守衛らの横で立ち止まり、拒絶を許さぬ口調で命じる。


「ヴァロア卿に話がある。私がいいと言うまで、お前たちは外に出ていろ」

「……は。……しかし……彼は王国騎士団の副団長です。万が一……」

「私を誰だと思っている。これは上官命令だ。行け」

「――っ」


 その威圧的な声に、守衛たちは逃げるように持ち場を離れた。

 ハンスは鉄格子の前へ立つと、独房の中で項垂(うなだ)れているカシアンを見下ろした。


「カシアン・ド・ヴァロア卿。貴方に、いくつか確認したいことがあります」


 カシアンの肩が微かに揺れ、濁った碧眼が、ゆっくりとハンスを見上げる。


「……ハンスか。わざわざ守衛まで下げるってことは、余程重要な話なんだろうな? それとも……反逆者の俺を、始末しに来たか?」


 掠れた声には、最愛の妹を死なせかけた自己嫌悪が混じっていた。

 だがハンスは、その悲愴な問いかけを、無機質な一瞥(いちべつ)で切り捨てる。


「まさか、ヴァロア家の貴方をどうこうしようなどとは、少しも考えておりませんよ。それに、そんなことをすればリリア様が悲しむ。女性を泣かせる趣味はありませんので」

「……は。よく言うぜ。アルベルトの為なら、リリアの涙どころか、俺の首くらい平気で差し出すくせに」


 カシアンは知っている。ハンスの恐ろしいまでの冷徹さを。アルベルトへの異常なまでの忠誠心を。

 自分が今生きているのは、ハンスが「生かしておく方が主君の利益になる」と判断したからに他ならない。もし損得勘定が逆だったなら、自分は今頃、物言わぬ肉塊になっていただろう。


「……ま、いいさ。今の俺には、拒否権なんてないも同然だからな。だがその前に、俺の質問に答えてもらうぞ、ハンス・ウェーバー」

「質問……。それは、お二人の『入れ替わり』について、でしょうか?」


 当然と言わんばかりに眼鏡を押し上げるハンスに、カシアンは自嘲気味に笑った。完全に思考を読まれている。


「そうだ。……お前は、アルベルトは、この事態をどう考えている? 入れ替わりの原因は何だ。打開策はあるのか? こんなこと、いつまでも隠し通せるわけがない。お前なら、とっくに分かっているはずだ」


 カシアンは、この独房に放り込まれてからの数時間、それだけを考え続けていた。

 入れ替わりを事実として認めながら、それでも、納得できないことがある。


「リリアに戦闘は無理だ。あの悲鳴を聞いただろう? いくらアルベルトの身体に入ったからって、妹に人は殺せない。俺たちとは違うんだよ! なのにあの男は……アルベルトは、妹を戦場に立たせ、俺たちと同じように戦わせようっていうのか? そんなこと……俺は、絶対に許さないからな!」


 鉄格子に縋り付くカシアンの瞳には、妹を想う烈火のような情愛が宿っていた。

 ハンスはその熱を、冷めた眼差しで静かに受け止める。その「当然の怒り」こそが、王太子の仕掛けた罠の鍵であることを知っているからだ。


「……わかっていますよ。そのようなことはさせません。何より、リリア様を戦場に立たせることを、閣下は絶対にお許しにならないでしょう」

「なら、どうするって言うんだ!」

「簡単なことです。リリア様の代わりに、貴方が戦えばいい」

「……なに……?」


 カシアンの眉が、ピクリと震えた。


「貴方はその為にここに寄こされたのでしょう。――と、私は推測しますが……。しかし、まだ確証がありません。ですから確認したいのです。貴方は、地上で私と剣を交える前、こう仰いましたね。『殿下から、リリア様の惨状を聞いた』と。……しかし、本当にそれだけですか? 他にも何か殿下から……そう、例えば『伝言』などを預かってはいませんか?」

「……伝言?」

 

 刹那、カシアンの脳裏に電流が走った。

 激情に駆られて忘れていたが、自分は、セドリックからアルベルト宛の手紙を託されていたのだ。


「……これのことか?」


 カシアンは、懐から一通の封書を取り出す。


「封書、ですか。なるほど」


 ハンスはそれを、奪うように受け取った。そして躊躇(ちゅうちょ)なく、その封を引き裂いた。


「お、おい! 何してる! それはアルベルト宛の親書だぞ!」

「問題ありません。殿下のこれは、私宛(・・)ですから」

「は? 一体、どういう意味……」


 カシアンが言い終えるよりも前に、ハンスは、壁に掲げられた松明にその便箋を近づけた。

 激しい熱が、紙を(あぶ)る。


「な――おい、やめろッ!」


 証拠隠滅か、あるいは裏切りか。

 ――カシアンは血の気が引いたが、けれど、すぐに別の困惑に塗りつぶされる。

 紙の余白に、じわりと茶褐色の文字が浮き上がってきたのだ。


「……炙り出し、だと?」


 絶句するカシアンの前で、ハンスは浮かび上がった情報を網膜に焼き付け、わずかに顔をしかめた。


「……何とも、まどろっこしい真似を」


 吐き捨てるように呟き、灰色の瞳でカシアンを射抜く。


「やはり、私の予想は当たっていた。殿下は、閣下の代わりの戦力として、貴方をここに寄こしたようだ。……ヴァロア卿。殿下は、既にお二人の入れ替わりをご存知なのですよ」

「……なに?」

「貴方が聞かされた『リリア様の体調不良』は、中身が閣下であることを知った上での発言。殿下は貴方のリリア様への愛情を利用し、貴方をここへ放り込んだのです」

「……な」


 カシアンは困惑する。


「……なぜだ。なぜそんな回りくどいことをする!」

「王宮にはどこに耳があるかわかりませんから。……閣下が本領を発揮できない今の状況で、北の防衛を確実にするには、貴方という『王国最強の剣』を、自らの意思でこの地に縛り付かせるのが最も効率的だ――とでも考えたのでしょうね。……昔から(・・・)、そういう方なのですよ、殿下は」


 ハンスが、鉄格子のギリギリまで歩み寄る。その瞳に宿るのは、獲物を追い詰める猟犬のような鋭い光。


「殿下は、貴方が騒ぎを起こすことも、こうして私が貴方を組み伏せることも、全て織り込み済みでこの手紙を託された。……殿下の意を汲み、今回の件は不問に伏しましょう。しかし」


 ハンスの声が、逃げ場のない圧迫感となってカシアンを捕らえる。


「……ヴァロア卿。貴方には、我らの剣になっていただきます。よろしいですね?」


 有無を言わせぬ宣告。カシアンは、頷く代わりに――苦し紛れに問いかけた。


「……ハンス、お前……一体、何者なんだ……。一介の騎士の態度じゃねぇぞ……」


 王太子に対する、あまりに不敬な発言の数々。どう考えても、臣下の態度ではない。

 ハンスはカシアンの挑発的な視線を受け、その口角に愉悦を浮かべた。


「私が何者か……知りたいですか?」

「……ああ、知りたいね。教えてくれよ」

「…………いいでしょう。お耳を」


 鉄格子を挟んで、二人の距離がゼロになる。

 ハンスの唇が、カシアンの耳元で冷たく囁いた。


「”――――”」


 その名を耳にした瞬間、カシアンの全身が凍りつく。

 そう、それは、二十年前、動乱の中で死んだはずの王族の名。


「……っ……馬鹿な! あり得ない……!!」

「そうですね。事実、私はその名を捨てましたから。今は、ただのハンスです。……内緒ですよ。閣下にすら、秘密にしていることですから」


 放心するカシアンの前で、ハンスは手紙を完全に火に()べ、灰へと変えた。


「では、私は戻ります。明日にはここから出して差し上げますから……。良い夢を」


 ハンスは優雅に踵を返し、闇の中へと消えていく。


 カシアンは――地下牢に響く松明の爆ぜる音を聞きながら――その背中を、呆然と見送ることしかできなかった。


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