表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
犬猿の仲の婚約者と身体が入れ替わってしまった 〜侯爵令嬢リリアと若き公爵アルベルトの男女逆転生活〜  作者: 夕凪ゆな
Stage3. 紅の洗礼

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

25/30

Episode9. 牙を剥く月光


 その頃、ノイシュタイン邸では――。


 リリアは、アルベルトの漆黒の髪を夜風に揺らし、執務室の窓から暗い街並みを見下ろしていた。


(アルベルト、一体何があったの? 今、どこにいるの……?)


 ――今より数時間前、城に侍従が飛び込んできたあの瞬間から、リリアの時間は凍りついたままだ。



『閣下! すぐに屋敷にお戻りを……! リリア様が……リリア様が、カシアン様に連れ去られてしまいました……!』


 その報告を聞いた瞬間、リリアを襲ったのは、頭を鈍器で殴られたような困惑だった。


「連れ去った……? おに……カシアンが、リリアを……? 一体、どういうことだ」

「そ、それが……カシアン様が突然屋敷を訪れ、止める間もなくリリア様の部屋に入ってしまわれて……。少しして出てこられたのですが、物凄い剣幕で。その後……すぐに、カシアン様が馬に乗ろうとしたところ、リリア様が何か大声で呼び止められたと思ったら……ええと」

「続けろ」

「は、はい。リリア様が、寝室を飛び出し、カシアン様と何か言い争いのようになった後、意識を失い、そのまま、カシアン様の馬で……。今、数名の侍従が、カシアン様を追っておりますが……屋敷は混乱状態で……」

「――っ、わかった。すぐに戻る」


 正直、どうしてそのような状況になっているのか、何故王都にいるはずのカシアンがノイシュタインにいるのか、リリアは少しも理解できなかったが、彼女はハンスと共に急いで屋敷に戻った。

 すると、侍従の言った通り屋敷は大混乱に陥っており、当然、アルベルトの姿はどこにもない。

 

 ハンスは、即座に屋敷を指令室へと切り変えた。


 彼は動揺する使用人たちを冷徹な采配でまとめ上げ、騎士たちに命じてノイシュタインの全関所を封鎖。

 ほどなくして、カシアンを追っていた侍従たちが戻り、旧市街地付近でカシアンを見失ったとの報告を受け、今現在、旧市街地付近の店や宿屋を一軒残らずしらみつぶしに洗わせているところだ。



(お兄様のことだから、私の身体を無体に扱うことはないと思うけれど……そもそも、どうしてこんなことに。一体、どんな目的で……)


 リリアにはわからなかった。

 王都にいるはずのカシアンが、どうして前触れもなく北の地に現れたのか。アルベルトとどのようなやり取りをしたのか。なぜ、彼を連れ去る必要があったのか。


(アルベルトは無事かしら。……今日の『(リリア)の身体』は、月の障りで思うように動けないから、きっと困っているはずよ)


 焦りばかりが募る。


「……やっぱり、私も探しに行った方が」


 眼下の街を見下ろしながら、ぼそりと呟いた――その時だ。


 屋敷の門前が一瞬にして騒がしくなる。

 何事かと思ったら、そこに、馬に乗ったカシアンがいた。


「……カシアンお兄様!」


 リリアの声を聞き、ハンスが駆け寄ってくる。

 ハンスは眼鏡のブリッジを押し上げながら、冷静に門前を見下ろした。


「どうやら、ヴァロア卿お一人のようですね」


 カシアンは、使用人らに馬を止められ、何か喚いているようだ。「アルベルトを出せ」と、そう言っているように聞こえる。


「私、お兄様と話してくるわ!」

「お待ちを。まずは私が行きます。リリア様は、私が合図を出すまで待機を」

「待機? どうして……!」

「お二人の入れ替わりについて、ヴァロア卿がどこまで知っているのか、あるいは、何も知らないのか。それによって、対応が変わってきます。私がいいと言うまでは、何があろうと、決して出てきてはなりません」

「!」


 リリアはすぐには納得できなかったが、ハンスの言う通りだと、しぶしぶ頷いた。




 ――それから数分後。

 ノイシュタイン邸の正面門は、一触即発の戦場と化していた。


 数分前。カシアン・ド・ヴァロアが馬を乗り入れ、門衛を怒鳴り散らしたその瞬間、ハンス・ヴェーバーは全てを悟った。


 彼は窓辺にいたリリアに「決して出てこないように」と命じ、非武装の使用人たちを即座に下がらせた。

 そして、たった一人カシアンの前に立ちふさがり、一方的に喚き散らすカシアンの言い分を、冷静な頭で分析していた。


(なるほど。つまりヴァロア卿は、ベッドに臥せっている妹の姿を見て閣下に恨みを募らせたと……。しかもなお悪いことに、閣下は「自分がアルベルトだ」と入れ替わりを仄めかすことを言い……この男はそれを「妹が狂った」と判断したわけですね。――ふむ。確かに一般的に考えれば、妥当な判断と言わざるを得ない。……さて、これをどう対処するべきか)


 アルベルトがカシアンに正体を明かそうとした今、最も確実なのは、入れ替わりを信じてもらうことだ。しかしその為には、アルベルトの身体に入ったリリアに会わせなければならない。

 だが、今のカシアンは頭に血が昇っている。アルベルトの姿を見れば、迷わず斬りかかるだろう。つまり、このまま会わせるわけにはいかない。


 ――思考を巡らせるハンスに、カシアンは苛立ちを込めて咆哮する。


「いいからそこを退け、ハンス・ヴェーバー! お前じゃ話にならないと言ったはずだ! それとも、俺の刀の錆になるか!?」


 カシアンの眼には、もはや騎士としての理性など微塵もない。あるのは、「妹を壊したアルベルト」に対する、狂信的なまでの復讐心だけ。


「……ヴァロア卿。どうやら、何か大きな誤解があるようです。まずは少し、お互い冷静になりませんか? 私は貴方と敵対するつもりはない。閣下も同じ気持ちです」


 ハンスは、ひとまず時間稼ぎとして、事務的に言い放った。

 カシアンは顔を歪める。


「冷静に、だと? ――ハッ、冷静になったら、アルベルトを出してくれるっていうのか?」

「ええ、勿論です。貴方がその殺気を消し、閣下に決して手を出さぬと、誓ってくださいされすれば」

「……それは無理な頼みだな。俺はリリアの兄として、一人の騎士として、アルベルトを許さない」

「でしたら尚の事、会わせるわけには参りません。私には私の役目があります。主人を危険に晒すとわかっている人間を、おいそれと通すわけにはいかないでしょう? どうぞ、お引き取りを」

「――! てんめ……ッ、リリアは俺のところにいるんだぞ! なのに追い返すってか!? 結局、あの男にとってリリアはその程度の存在だったってことなんだな!」


 カシアンは激高する。

 それを、ハンスは冷たく切り捨てた。


「いいえ。我が主人は、貴方を追い返した私に罰をお与えになるでしょう。ですが、私の最も重視するは閣下の御身。それが主人の意に背くことであろうとも、私は私の目的を貫きます」

「――ッ、なるほどな……わかった。つまり、アルベルトに会いたけりゃ、力づくで通れってことかッ!!」


 カシアンは、雄たけびを上げながら腰の剣を抜き放った。月の光を浴びた白銀の刃が、鈍く光る。

 それに対し、ハンスは眉一つ動かさず、静かに剣を構えた。


「……仕方がありません。不本意ですが。閣下の身の安全のため、ここで貴方を拘束します」

「拘束だと? できるものならやってみろッ!!」


 カシアンが一気に踏み込み、大剣を振り下ろす。

 凄まじい風圧。ハンスはそれを最小限の動きで受け流し、剣先に火花が散った。


 実力は、ほぼ互角。

 剣筋の重さ、踏み込みの鋭さ。両者ともに騎士団の精鋭であり、戦場を幾度も潜り抜けた猛者だ。


 だが、この戦いには決定的な、そして致命的な「枷」が存在した。


(……浅い。だが、これ以上は踏み込めない)


 ハンスの剣先がカシアンの喉元を掠めるたび、ハンスは僅かに剣を引いた。


 カシアンはリリアの兄であり、侯爵家の人間だ。ここで彼に傷を負わせれば、主であるアルベルトの立場が悪化する。

 その「配慮」が、ハンスの刃から毒を奪っていた。


 対して、カシアンはなりふり構わぬ殺意の塊だ。

 防戦一方に追い込まれていくハンス。一歩、また一歩と、ハンスは後退を余儀なくされた。




 一方、屋敷の物陰。

 柱の陰で息を殺し、その光景を凝視していたリリアは、恐怖に震えていた。


(あんなに怒ったお兄様、見たことない。……怖い)


 自分には、いつだって優しかった兄。それが、今はまるで別人のようだ。

 もしこのまま戦いが続けば、最悪、どちらかが命を落とすことになるのではないか。少なくとも、大怪我は免れない。


(駄目よ。そんなの、絶対に駄目……。でも、私には二人を止めることはできない。……どうしたらいいの?)


 月光の下で絶え間なく響く、鋭い金属音。狂ったように叫ぶ兄の声。――近づいてくる、死の気配。

 あまりの恐ろしさに、リリアは両手で耳を塞いだ。


(怖い、怖い。……無理よ、こんなの。……助けて。助けて、アルベルト……!)


 その時だった。


 激しい打ち合いの末、カシアンの放った重い一撃がハンスの剣を大きく跳ね上げた。体勢を崩したハンスの背後で、積み上げられていた観賞用の重厚な石鉢にカシアンの剣先が激突し、爆鳴と共に粉々に砕け散る。


 突然の破壊音と、飛散した石礫が頬を掠めた衝撃。

 極限まで張り詰めていたリリアの精神は、ついに悲鳴を上げた。


「きゃぁぁああッ!!」


 それは、戦場に響く勇壮な叫びなどではない。恐怖に突き動かされた、あまりに無防備な悲鳴だった。


「――っ!?」


 カシアンの動きが、一瞬だけ止まる。


 彼は、ハンスを仕留めようとしていた刃を止め、ぎりりと首を回した。その視線の先――暗い柱の影に、月の光を浴びて青白く震える「アルベルト」がいた。


「……アルベルト、そこかッ!!」


 カシアンの瞳が、獲物を捉えた獣のようにギラリと光る。


 騎士として鍛え上げられたアルベルトならば、これほど無様に、これほど隙だらけの姿を晒すはずがない。だが、カシアンはそれすらも「妹を壊し、自分さえも狂わせた臆病者の末路」と断じ、狂気を加速させた。


 カシアンは力任せにハンスの細剣を叩き伏せると、よろめくハンスを歯牙にもかけず、地を蹴った。真っ直ぐに、吸い寄せられるようにリリアへと突進する。


「よくも、リリアを――ッ!!」


 数メートルの距離が、瞬時にゼロになる。


 リリアの瞳に映るのは、自分を慈しんでくれたはずの兄の、鬼のような形相。

 カシアンは、憎き仇敵(アルベルト)に向け、その鋼の腕で剣を頭上高く振りかぶった。


 月の光を背負った刃が、逃げ場のない死の象徴として、リリアの視界を覆い尽くす。


「い……、や……」


 リリアの喉から、震える声が漏れる。


 彼女はもう、アルベルトとして振る舞うことすら忘れ、なす術もなく目を見開いていた。


「リリア様ッ――!!」


 ハンスの絶叫が夜空に虚しく響く。


 次の瞬間――カシアンの渾身の一撃が、何の防御も持たぬリリアの脳天を目がけて、容赦なく振り下ろされた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ