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犬猿の仲の婚約者と身体が入れ替わってしまった 〜侯爵令嬢リリアと若き公爵アルベルトの男女逆転生活〜  作者: 夕凪ゆな
Stage3. 紅の洗礼

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Episode4. カシアンの来訪


「月の障り、だと?」


 リリアの寝室――豪華な天蓋付きのベッドの上で、アルベルトは打ちひしがれていた。


 ハンスとリリアから「女性の身体の仕組み」という、いかなる軍事機密よりも解読困難な説明を受けた彼は、呆然と自分の腹部を見つめる。


「これが……病では……ないというのか?」

「ええ、閣下。これは女性の身体が健やかである証拠。ひと月という周期で訪れる、いわば自然の摂理でございます。医者をかき集める必要も、遺言をしたためる必要もありません」


 ハンスは至って冷静に、しかし遠い目をして答えた。

 傍らに座るリリアは、あまりの気まずさに大きな体躯を小さく丸め、あらぬ方向を向いている。


「自然の摂理? これほどの出血と、内臓を素手で掴み取られるような激痛がか?」


 ――不便だ。女の身体とは、こうも不便なものなのか? これでは、歩くことさえままならないではないか。

 アルベルトはしばし茫然とし、ハッと顔を上げた。


「待て……! ハンス、お前は今、この痛みは月に一度訪れると言ったな!?」

「はい。言いましたが、それが何か?」


 眼鏡のブリッジを押し上げながら答えるハンスに、アルベルトはむんずと掴みかかる。


「おかしいだろう! 俺がこの身体に入ってひと月半が経っている! 計算が合わないぞ!」

「……はあ。まあ、そういうこともあるようですよ。疲れだとか、色々な要因で遅れることがあるそうです。私は男なので、詳しくはわかりませんが」

「…………、……そういうもの、なのか?」

「ええ、そういうものと聞いております」

「……そうか。…………そう、なのか」


 アルベルトは、剣で斬られた痛みも、肩を矢で射抜かれる熱さも知っていた。

 だが、それらはすべて「外敵」によるものだ。自らの肉体の内側から、抗いようのない暴力的な痛みが、しかも定期的に襲ってくるなど、彼の戦士としての常識を根底から覆す恐怖である。


「……リリア。君は、こんな地獄を毎月のように繰り返していたのか? ……世の女たちは……一人残らず、この痛みと戦っていると?」

「……え、ええ。当然、個人差はあるけれど……。……私は少し……重い方なのよ」

「重い? ……軽い重いがあるのか? つまり、君のこれ(・・)は、酷い方であると?」


 アルベルトの脳裏に、入れ替わる前の、まだリリアが「リリアの身体」にいた頃の記憶が蘇る。


 確かにリリアは、月に数日、体調を悪そうにしていることがあった。

 そんなリリアを、当時のアルベルトも内心では心配に思っていたものの、嫌いな男から声をかけられても嬉しくないだろうと、労わりの言葉一つかけたことはない。


 侍女たちを通してリリアの体調を尋ねたりもしたが、いつも決まりきったように「心配はいりません」と返してくるので、大したことはないのだろうと思っていた。


 それが、まさか「月の障り」。しかも、これほどの激痛だったとは。

 リリアはこれを、毎月のように耐えながら、過ごしていたというのか。


(俺は……なんて無知で、傲慢な男だったんだ)


 ぶるぶると肩を震わせるアルベルトの顔を、リリアは申し訳なさそうに覗き込む。


「そうね……。どちらかと言えば、酷い方かもしれないわ。でも、仕方がないことなのよ。ごめんなさい、アルベルト。貴方に辛い思いをさせて」

「なぜ君が謝る! 君のせいではないだろう! 寧ろ、日々このような苦しみに君が堪えていたことに気付かなかった俺の方こそ、謝罪すべき立場だというのに……」

「……アルベルト」


 突然襲い掛かったこの不足の事態。

 未だ考えが追いつかないアルベルトに、ハンスは呆れたように溜め息をつき、静かに立ち上がる。


「お話を遮るようで申し訳ありませんが、そろそろ出発せねば会議に遅れてしまいます。幸い、今日は閣下には何の予定もありませんので、よくお休みになられるのがよろしいかと。――では、参りましょうか、リリア様」

「え……ええ、ハンス。……じゃあ、行ってくるわね、アルベルト。身体が冷えると余計に痛むから、なるべく温かくしていた方がいいわ。細かいことは侍女たちに頼んでおくから」


「ああ。……承知した」


 アルベルトが頷くと、リリアはアルベルトを慰めるかのように慈愛の笑みを浮かべ、ハンスと共に出て行った。


 部屋が、しんと静まり返る。


「……とりあえず、休もう」


 リリアの身体に負荷をかけるわけにはいかない。

 アルベルトは、侍女が用意してくれた温かいハーブティーを飲み、言い付けられた通り腹部に温石を当てると、いそいそとベッドに潜った。


(……にしても、いくら『自然の摂理』とはいえ、毎月のように出血するなどと、体は本当に大丈夫なのか?)


 アルベルトは、ベッドの中で小さく身体を丸めながら、重い息を吐く。


 この、内側から腹部を締め付けられるような痛み。不快ではあるが、猛将のアルベルトにとっては、堪えられない痛みではない。走れと言われれば走れるし、剣を手にして戦うことも可能だろう。

 だが、それはアルベルトの強靭な肉体であればこそ。

 

 リリアの身体が、果たしてどこまで耐えられるのか――『自然の摂理』とはいえ、アルベルトは不安で仕方なかった。


(明日から、シェフに言って食事のメニューを変えさせるか? 血を補う食事を……リリアの胃がどこまで受け付けてくれるかはわからないが。いや、そんなことより……もし、この入れ替わりが戻ったら、彼女は、またこの痛みを味わうことになるのか?)


 リリアが負うべきだったこの痛みを、今、自分が肩代わりしている。そう考えると、この入れ替わりも悪くない。

 アルベルトは一瞬そう考えたが、すぐに考えを改める。


(俺は何を馬鹿なことを。――俺の身体に入っている方が、何百倍も危険だというのに)


 このノイシュタインは北の国境を守る重要な砦。

 もし、今、敵が攻めてきたらどうなるか。あるいは、前公爵である父亡き後、王弟派と繋がりを結んだグスタフ将軍らが反旗を翻したらどうなるか。


 まともに戦えないリリアは、なす術もないだろう。ハンスは命がけでリリアを守ってくれるだろうが、最悪、命を落とすこともあり得る。

 そんな危険な場所に、いつまでもリリアを置いておくわけにはいかない。


(彼女はあの日、『婚約破棄』は望まないと言ってくれた。……俺は、あの言葉だけで十分だ)


 とにかく、一刻も早くこの入れ替わりを解消せねば。――例え、どれほど多大な犠牲を払うことになろうとも。



 そんなことを考えているうちに、アルベルトは、強い眠気に襲われた。騎士の精神力ですら制御不能な、生理周期に伴う抗いがたい睡魔。

 アルベルトの意識は、あっという間に泥の中に沈んでいった。



 ――どれくらい経っただろうか。不意に、アルベルトは覚醒した。

 廊下の向こうが、どうにも騒がしいことに気付く。



「カシアン様、応接間でお待ちを……! リリア様は、わたくし達がお呼びして参りますから!」

「いいって。『リリアは休んでいる』って言ったのはそっちだろ? だったら、俺が出向いた方が早い」

「ですが、いくらご兄弟とはいえ、女性の部屋に無断で入るなど……!」

「何だよ、俺が入ったら不味い理由でもあるのか? 大丈夫だって。妹の看病をするのは慣れてるから」


 廊下に響く、快活な、有無を言わせぬ男の声。

 そして、それを止めようとする、侍女たちの慌てた様子。


「…………は?」

(カシアン……? 今、カシアンと言ったか?)


 アルベルトは戦慄した。

 ヴァロア家の次男にして、王室騎士団の副団長、カシアン・ド・ヴァロア。リリアを溺愛し、アルベルトを敵視する、リリアの兄。

 王都にいる筈の男が、今、なぜ、ここにいる……?


(一体どういうことだ? あの男が来るなんて、聞いていないぞ……!)


 セドリックも大概だが、あの兄は更に厄介だ。

 カシアンはリリアの身内。顔を合わせれば、入れ替わりに気付く可能性が極めて高い。


(……クソッ、――どうする……! 今、あの男と会う訳には……!)


 アルベルトは逃げ出そうと考えたが、部屋の出入り口は一つ。アルベルトの身体であれば、バルコニーから隣の部屋へ飛び移るのも可能だろうが、今の身体では不可能だ。もはや、逃げ場はない。


「――ッ」


 扉の前で、カシアンの足音が止まる。

 直後、静かに、しかし重々しい音を立てて、扉が開き――


「リリア、兄が来てやったぞ。……具合が悪いと聞いたが、大丈夫か?」


 ――という穏やかな声と共に、カシアン・ド・ヴァロアが姿を現した。


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