懐かしいチョコレートの匂い
放課後、図書館。私はいつものように、貸出カウンター脇の静かな席で資料を整理していた。
すると、真横の椅子が遠慮なく引かれる音。
「……またここ?」
「うん。静かだし、ここ、落ち着くから」
「そのわりに、毎回物音の発生源になってるのは誰かしら」
「俺じゃなくて椅子の金属音がうるさいだけ説、あると思うよ?」
本棚からひょいと顔を出したのは、氷堂レン。例によって笑顔全開モードだが、今日はほんの少しだけ、目線が沈んでいた。
「静かで落ち着くとか言ってるけど、ここ、けっこう日当たり悪いし古い本が多いわよ。雰囲気目当てなら別に――」
「でも、ここの匂いっていいよね。インクと紙と……ちょっとだけ古いチョコレートみたいな」
私は思わず、手にしていた文献から視線を上げる。
「……その感想、普通の高校生は出さないわよ」
「レイナも“普通”から外れてるでしょ?だから、なんとなく――ここにいるとさ。昔、誰かとこうやって隣にいた気がするんだよね」
「……」
「なんて、ありそうでなさそうな回想風セリフ、どう?採用?」
「却下。中二病患ってる時間があるなら、本でも読んだら?」
そう言いながら、私は一瞬だけ視線を外す。
なぜだろう。
さっきの言葉――“昔、誰かとこうやって”のくだりが、やけに胸の奥で響いた。
図書館の匂い。薄暗い木の机。重ねられたページの匂い。
(……知らないはずのはずなのに)
「そういえば、レイナ」
「なに」
「好きな本って、ずっと変わらないタイプ?」
「……どういう意味」
「ううん、なんでも」
彼はわずかに笑った。
まるで、何かを確かめるように。
私はページをめくる指に力を込めた。
なぜか、インクの匂いが一層、濃く感じた気がした。
彼を殺すまで残り67日