異常観測
※登場する人物、地名、団体名等はすべて架空のものです。実在のものとは関係ありません。
また、作者は専門的な知識は無く、インターネット等で調べた程度です。その為、矛盾等があるかもしれませんが、ご理解ください。
国立天文解析センターの地下深く。
冷房の効きすぎた室内には、サーバーの唸り声と、無機質なキーボードの打鍵音だけが響いていた。
「き、教授‥‥こ、これって?」
若手解析員である神代善輝は、震える手でタブレット端末を差し出した‥‥
画面に映し出されているのは、次世代宇宙望遠鏡が送ってきた最新のデータだ。
そこには、漆黒の宇宙を背景に、中心が完全な「無」で塗り潰された歪な円が写っていた。その周囲では光が飴細工のように引き伸ばされ、燃え上がるような降着円盤が渦巻いている。
『そ、そんな‥‥あ、あり得えん‥‥あり得んよ』
隣で画面を覗き込んだ教授の声が、ひっくり返った‥‥
いつもは厳格で、理論から外れたことを嫌う彼の顔が、みるみるうちに血の気を失い、土気色に染まっていく。
「で、ですが‥‥どう見ても‥‥ブラックホールですよ! 降着円盤の歪み、半径の計算値、すべてが教科書通りの、それも超巨大な――」
『き、君の言う通りだ、私にもそう見える。だが神代君、考えてみたまえ、この解像度で観測できる距離に、これほどの質量の天体が存在するとしたら?』
教授の問いに、善輝は背筋が凍るのを感じた‥‥そうだ、この鮮明さは異常だ、計算するまでもない。
「……太陽系の、すぐ外側……」
『そうだ!もし本当にそんな場所にブラックホールが現れたのなら、その圧倒的な重力で地球の軌道などとっくに狂っているはずだ。我々は今頃、重力崩壊で素粒子レベルに分解されているか、太陽系ごと飲み込まれているはずなんだ!』
教授は、何かに取り憑かれたようにキーボードを叩き始めた。
ブラックホール――光さえも逃げられない重力の牢獄
それが目と鼻の先にある‥‥なのに、なぜ俺たちは今こうして冷えたコーヒーを飲み、呼吸をしている?
物理法則が根底から裏切られている恐怖‥‥まるで、誰かがそこに意図的に『置いた』かのような、不自然な安定。
「教授、一週間前の定期観測では、ここには何もありませんでした。自然発生なんてあり得ない!」
『謎が多すぎる……。だが神代君、もっと深刻な問題があるようだ』
教授が別のモニターに切り替えた。そこに表示されたのは、太陽系全域のシミュレーションモデルだった。
『これを見ろ、地球の公転軌道だ』
「え……? 軌道が……内側にズレている?」
画面上の地球の軌道は、きれいな円ではなく、太陽に向かって落ちていく『螺旋』を描いていた。
「まさか、あのブラックホールの重力が、ブレーキをかけているんですか?」
『その可能性が高い。目には見えない微細な重力干渉だが、この太陽系の絶妙なバランスを崩すには十分すぎる』
教授の指が、赤いラインで引かれた境界線を指し示した。
『地球が太陽に近づきすぎれば、海は沸騰し、大気は蒸発する‥‥生命が生存できる領域「ハビタブルゾーン」を逸脱するまでの時間は――』
「……じゅ、10年。たったの、10年……」
『何てことだ‥‥今生きている子供たちが成人する前に、この星は灼熱の地獄と化すということか‥‥』
室内を沈黙が支配した‥‥世界が10年後に終わる‥‥その事実があまりにも大きすぎて、善輝の脳は理解を拒絶しようとした。だが、目の前のモニターで無機質に点滅する数値は、残酷なほど正確にその未来を裏付けていた。
「……な、なぜ……こんなことが……」
『私にも分からんが……一人だけ、心当たりがある……』
教授がおもむろに白衣のポケットからスマートフォンを取り出した。
「心当たり……? まさか、あの『異端児』ですか?」
『そのまさかだ。主流派からは笑い者にされ、学会を追放された男……文本彩斗だ。あいつがかつて提唱していた「空間制御理論」‥‥今思えば、あれはこの現象を予見していたのかもしれん』
教授は一瞬躊躇し、そして覚悟を決めたように画面をタップしようとした。
救いなどないかもしれない‥‥だが、この悪夢のような現象を解明できる人間がいるとすれば、狂人と呼ばれた彼しかいない。
それが、俺たちが国家という巨大な怪物に飲み込まれ、そして異世界へと堕ちていく長い旅路の始まりだった‥‥




