1 風来坊、帰省する
日暮れとともに降りだした雨は、朝が来るころには止んでいた。緑の葉陰から落ちた雫が不規則な音をたてる。リフはほら穴から冬眠明けのクマのようにのっそりと出て、大きく伸びをした。金色の長い髪が、さらさらと背中に流れる。木漏れ日が白い額にまだら模様を作るのがまぶしくて、木の実のような地味な色合いの瞳を細めた。砂ぼこりに汚れた手を一度ぱんぱんと叩いて手早く髪を一まとめにすると、エルフ特有のツンと先のとがった耳があらわになった。
リフは小さく舌打ちをして、腰に大ぶりのベルトを巻く。ベルトには、エルフに不似合いな金色の銃が収まっている。エルフといえば弓を使うものが多いのだが、リフは銃を好んで使っている。ツタ模様の彫り物が施された銃を、一度くるりと手の中で回転させてホルスターに収めると、リフはたった今髪をまとめたことも忘れて、がしがしと頭をかいた。
「あー、帰りたくねェ」
銀果樹の里ほど閉鎖的で排他的な場所はない。世にも珍しい品を求めて売りさばく人間や、エルフの子を食べると長寿になると聞いて襲ってくる怪鳥たちを嫌ううち、里のエルフたちは純血以外の者を嫌うようになった。おかげでリフのような人間とエルフの間に生まれた者や、ダークエルフとエルフの間に生まれた者は大変居心地の悪い思いをする。リフは十八で旅に出て、風来坊になった。リフの妹、リリィのように里で偏見に耐えながら暮らすこともできるが、そんな我慢比べのような暮らしはまっぴらごめんだ。
「いい加減あきらめろ、オレ。往生際が悪いだろ」
一人で過ごすうち、独り言もすっかり板についた。里を出て五年が過ぎたとき、精霊便……精霊が届けるエルフ特有の郵便である……で、妹のリリィが結婚することを知った。純血種ばかりの銀果樹の里で、ハーフエルフの娘と結婚するなんて見上げた男がいたものだ、と感心したのはほんの一瞬。愛する妹の懐妊を知らされて、相手に対する印象は最悪になった。長い年月を生きるエルフは貞操観念も古い。リフは事情を知るとこめかみに青筋をびきびきと走らせ、空に向かって銃を何発も撃った。
一発殴ってやらなければ気がすまない。
怒りに駆られたリフはすぐに銀果樹の里を目指そうとしたが、エルフばかりでなく人の世も世知辛い。船に乗るには金がいる。里を遠く離れてぷらぷらしていたその日暮らしの風来坊に金のあるはずもなく、リフは銀果樹の里までほとんど歩いて戻るはめになった。
そうこうするうち、リリィが無事子供を産んだという精霊便が届いた。これが一週間前のことだ。リフがふてくされて足元の石を蹴ると、水たまりの泥がはねあがった。子供まで生まれてしまっては、相手を殴り飛ばす訳にもいくまい。呪うべきは金のなさ、つまりはリフ自身の甲斐性のなさである。
ため息をつくたび、雨上がりの湿った空気が肺にしみこんだ。心なしか身体が重くなったようだ。乱れた髪をもう一度まとめようと手を伸ばした瞬間、びん、と空気を切る音が森にこだました。
とっさに身を低くする。頭上で、ととっ、と小気味いい音がして、大樹に矢が刺さった。先端に魔力のこもったエルフ特有の矢だ。
「危ねェよ!」
正確に発音されたエルフ語に、弓を射かけた者の動きが止まった。
「ごめんなさい。薄汚れたボロを着ていたから、銀果樹を盗みに来た人間と間違えた」
涼やかな声とともに、弓を射かけたエルフの少女が姿を現した。枯草色のマントがふわりと揺れ、薄い白銀の胸当てが日の光を反射している。リフは口の端を歪めた。
「旅人を片っ端から襲うような見境のないバカはお前か、エス」
背筋をしゃんと伸ばしたエルフの少女──エスことエスフィアは、透き通るような白い頬と緑の瞳に薄く笑みを浮かべた。
「だってあなたからはヒトの臭いがするんだもの。仕方ないと思わない?」
「ハーフエルフで悪かったな」
「ハーフエルフだからって里から逃げ出すなんて卑怯よ」
エスはふくれてリフをにらみつける。やわらかな色の金髪が肩で揺れた。薄桃色の唇は薄くつややかで、顔だけ見ていれば教会の壁画のようだ。
「おかえりなさい、リフ。悪いけど、銀果樹の里はあなたを歓迎しないわ」
「わかりきったことをいちいち言うところに、お前の性格の悪さが出てるな」
「だってあなた、直接言わなきゃ気付きそうにないんだもの」
鈴が転がるように小さく笑いを漏らして、エスはリフを里へと導いた。