深夜、人も車もいない道路で赤信号を無視するのは悪いことなのか?
深夜、ふと小腹がすいてコンビニに出向いた。
しかし、いざコンビニに着いてみると「これといったものがない」とか「やっぱり深夜に物を食べるのはよくない」とか、そういう気分になって、結局何も買わずに店を出た。
若いバイト店員がいたが、彼は何を思ったのだろうか。「何か買っていけよ」と心の中で毒づいたのだろうか。あるいは「レジ打ちせずに済んだ」と喜んだのだろうか。まあ、どうでもいいか。
あとは帰るだけなのだが、こんな時間に外出したのは久しぶりだった。
どうせなら少し深夜の外出を堪能してみるかという思いになり、回り道をして帰ることにした。
住宅街を5分、10分と歩くが、誰ともすれ違わない。
まるでゴーストタウンのようだ。
といっても明かりがついている家はちらほらあるので、俺以外全員眠ってるというわけでもない。
こんな時間まで起きて、何をやっているやら。仕事か、勉強か、それともゲームでもやってるのか。こんなこと考えること自体、余計なお世話もいいとこだけどな。
歩いていると、近所の大きな道路にたどり着いた。
真ん中にオレンジ色の線が引かれた一車線道路。普段は人通りも多いし、車もしょっちゅう渋滞しているが、今は人も車もいない。
そんな中、俺は横断歩道と信号機を発見する。
ここの信号機は夜になっても点滅信号に切り替わることはないようだ。たとえ誰もいなくても、車用の方は青・黄・赤、歩行者用は青・赤のサイクルを繰り返すわけだ。なんだか律儀に感じて「こんな真夜中までお疲れ様です」と言いたくなる。
なんとなく吸い寄せられるように、俺は信号機の方に向かった。
横断歩道の前に立つ。
今、歩行者用信号は赤信号、つまり俺は渡ることができない。
なぜかって? だって「赤信号は渡っちゃいけない」って決まりがあるじゃないか。小学生、いやそれより小さな子供だって知ってる常識だ。
だけど、ふと思う。
このド深夜、人も車もいない道路で赤信号を無視して、道路を渡ることは果たして悪いことなのだろうか、と……。
別に俺は普段から、社会の常識に逆らうとか、そういうことばかり考えてる人間ではない。親にも教師にも上司にも従順だったし、例えば“成人式の会場で暴れる若者”なんてニュースを見ると「バカかこいつら」と思うタイプの人間だ。
本当に、なんとなくこう思ってしまったのだ。
改めてここで、なぜ赤信号を無視してはいけないのかを考えてみる。
真っ先に思いつくのはやはり事故るから、だ。
俺のような歩行者が無視すれば、車にはねられる危険性大だ。トラックなんかにはねられれば、それこそ一発でお陀仏だろう。
巷じゃ「トラックにはねられて死んで転生して……」なんて物語が流行ってるらしいが、本当にそうなったりして。いや、なるわけないか。
それはさておき、信号に従うことは自分の身を守ることにつながる。
もう一つ思いつくのは、誰かに見られるかもってことだ。
誰かに見られて「あいつ、赤信号を無視してるよ」と思われるのはやはりいい気分ではない。恥ずかしく感じる。
さっき例に挙げた“成人式で暴れる若者”の側に俺が立ってしまうことになる。
今の時代だと下手したら、動画に撮られたりして。思いきり顔が映ってる状態で、『信号無視してる奴を見かけた』なんてタイトルでネットに上げられたら目も当てられない。
他にも子供に見られたら、「あの人は信号無視してるんだから、僕もやっていいんだ」なんて考えになって、その子もやるようになりかねないしな。子供ってのは意外とよく大人を見てるもんなんだ。
それに警官に見られたら、言うまでもなく怒られるはずだ。
一度ルールを破ると、ルールを破ることに対する精神的ハードルが低くなるってこともあると思う。
「一度罪を犯すと何度もやるようになる」なんてのはよく聞く文言だしな。
赤信号の無視も、最初のうちは「悪いことしてるな」って感じながらやるけど、何度もやってればそのうち何も感じなくなるだろう。
どんどんエスカレートしていって、そのうち車がビュンビュン走ってるような道路でもやるようになったりして。
このように信号無視のデメリットは大きく分けて「事故の危険性」「誰かに見られる」「信号無視への精神的ハードルが低くなる」の三つとなるわけだが、これが深夜となると前二つの危険性は極端に薄れる。車なんか一台も通ってないから事故りようがない。人もいないから誰かに見られる心配もない。
もちろん、俺が横断歩道を渡ろうとした瞬間、猛スピードの車が突っ込んできたり、誰かが気配を消して俺を見張ってる可能性もあるが、そんな空想みたいな想定してもキリがない。
残るのは「信号無視への精神的ハードルが……」になるわけだが、これだって心の中で「今回だけだ」と強く決心すれば大丈夫だと思う。元々俺はルール破りが好きじゃない人間だしな。
つまり少なくとも俺にとっては深夜交通量のない道路での赤信号無視になんのデメリットもないと言える。
ようするに「悪くない」だ。
よし、決めた。
今、歩行者信号は赤だけど、渡ってしまおう。
だって悪いことじゃないんだから。
歩道から一歩踏み出した瞬間、それは起こった。
道路の中から黒い渦のようなものが現れて、たちまちに俺を吞み込んでいく。
「な、なんだ!?」
俺は叫んだが、渦はそんなことにかまわず俺の全身を包み込む。
抵抗してもなすすべがない。
俺は渦が現れる寸前、こんな声が聞こえたような気がした。
アカ、ナノニ、ワタッタナ。
ほんの一瞬で、俺は色んなことを考えた。
どうしてこんなことになったんだろう。
この道路には妖怪のようなものが住んでいたのだろうか。時間帯が悪かったのだろうか。信号無視に対する神様からの天罰なのだろうか。隕石に命中するような稀すぎる災難にたまたま遭遇してしまったのだろうか。
答えなんか出るわけない。
いずれにせよ、俺の命はここで終わるんだろうなってことだけはなんとなく分かった。
最期の瞬間、俺はこう悟った。
深夜、人も車もいない、道路で……赤信号を……無視す……るのは、わ、る……い……こ、と……。
完
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