第十八話 糸切れる前に、救えるのなら
聞き覚えのある声だった。忘れるはずもない、忘れていいはずがない。からかい交じりの言葉が、ゆっくりと俺の鼓膜を揺らす。
「……」
『なんて顔してんの。幽霊でも見ちゃった?』
「…………」
『まぁその目、割と見えちゃいけないものまで見えるもんなぁ。ほら、疲れる前に一旦切っときなよ』
「………………」
『んー?切り方忘れた?』
「……………………そう、だね」
声にふわりと笑みが乗る。細められた瞳に慈しむような甘さが乗って、目尻をなぞる指がある。
『大丈夫。ゆっくり目を閉じて』
従いたかった。促されるまま懐かしい声に浸って、溺れてしまえば。……でも、冷静な思考が残酷な事実を突きつける。逸らすなと、痛みから逃げ出すなと俺自身が呪い続ける。
「……ずっ、と」
『ん?』
「夢なら、良かったって、思ってた」
『……』
「悪い夢だったって。目が覚めたら、笑い合えるような」
やめて、そんな沈黙は要らない。ただ甘い言葉だけを囁くのなら諦めもついた、都合が良すぎる夢なら、俺の弱さとして切り捨てられたのに。
『……夢じゃないよ』
嘘だと、まやかしだと。有り得ないことだと理解してるのに。ここで屈したら、俺は華蓮を救えないと理解していたことを認めてしまうのに。
困ったような声。違うと分かっていても脳をぐらぐらと揺らす言葉。まるで本当にただ心配してくれているような、本当の、言葉のような。
「……前を向くから。辿り着くから」
『うん』
「っ、だから、お願い。……その声で、その言葉で、俺の脳を揺さぶらないで」
息遣いにすら面影を見てしまうんだ、理解していてもきっと動けない。言葉はなかったけど、優しい呼吸が聞こえて面影は霧散する。生ぬるい風が手のひらを撫でて、確かな重みがその手に宿る。
『ドウシタノ?綾華』
「……」
もう懐かしい声は聞こえない。きっと、さっきまでの声は痛みが見せた幻。一瞬でも諦めようとした俺への罰だ。
取り戻した重みを握る。首にかけられた腕を折る。視界はぼやけて見辛かったけど、やけに気分は清々しかった。知らず知らずに乾いた笑いが口から溢れ落ちる。
「馬鹿みたい。俺も、お前も」
『痛イヨ、綾華』
「やるなら完璧に似せなよ。せめてテンションくらい揃えたら?」
『俺ノ事、嫌イ?』
「ああ。下吐が出る程嫌い」
どうして重ねてしまったんだろうな。幻でも、もっとましなものに重ねられたら良かったのに。華蓮を穢す全てが醜く映る、俺自身も含めて処分するべきだった。
耳障りな音を出す口がついた頭部を切断する。待望の静寂、しかしすぐさま鼓膜を破かんばかりの大音量で叫びだした。胴体と頭部は離れている、それ故に対処法が分からない。何度も何度も、何度も何度も何度も斧で顎を砕く。まだ足りないのか、叫びが耳から離れない。
「綾華」
頭がおかしくなりそうだ。ぐちぐちと生温い感触が手にも頬にもこびりついて離れない。どこから音が出てるんだろう、皮を剥いでも肉を抉り取っても音が消えない、飛び散った肉片全てが叫んでいるように、沢山の音が木霊する。
「綾華」
ふと、音が止んだ。後ろから引かれて、抵抗する間もなく天井が映る。生温さが拭われる。手を取られて熱いくらいの温もりに触れられる。穢れなど知らない指が、俺の頬に触れては熱を移す。
穢れてしまう、と判断したはずの身体はそれでもその柔らかさに抗えず。子守唄を歌うような穏やかな旋律が、少しずつ、少しずつ俺の意識を流していった。
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