第九話 裏で蠢く
「――――ここ、は」
意識が浮上して、我に返る。少し記憶の整理をしていたのだが何かに引き摺られたんだろうか。きょろきょろと周囲を見渡す、どうやらとあはいないようだった。
「……重戦闘区域で迷子になるのは笑えませんね」
現在地を把握してから歩き出す。今はどこに居ても叱られることはない、こうして穏やかな心持ちで廊下を歩けるようになったのは重戦闘区域に来てからだった。
廊下には月の光が静かに降り注いでいる。外は酷く殺風景で、何か目立つようなものもない。それでもゆっくりとした足取りで進む廊下はとても得難いものに見えた。
「……あれ?」
ふと、薄暗い廊下の先に誰かがいるのを見つけて立ち止まる。遠い上に暗くて誰かは分からない、けれど廊下でしゃがみ込んでいるので誰かが体調を崩したのだろうかと心配になった。
「あの……大丈夫ですか?」
驚かせないように控えめに声を掛ける。近付いてみても誰かは分からない……もしかしたら俺の知らない重戦闘区域の職員かもしれない、散々青藍さんの技量を見てきたからか、侵入者かもしれないという考えはなかった。
「うう……」
「ええと……体調が悪いんですか?一緒に医務室に行きましょう」
「ああ……」
俯いたまま呻く職員。微かな疑念よりも心配が勝って、肩を貸すために手を伸ばした。掴む手が予想よりも随分と力強くて、油断していた俺は特性を起動する間もなく地面に押し倒される。
「うっ……!」
誰を問う間はなかった。兎に角犯人の姿を映そうとじっと目を凝らすけれど、認識阻害がかかっているのか上手く輪郭を捉えられない。寧ろ強く握られた腕の痛みに視界が滲んで、思わず声を上げていた。
「や、だ……!」
怪異じゃない、これは間違いなく”人”の仕業。そう判断して叫ぼうと息を吸った瞬間、相手の手が首にかかる。唐突に過去の記憶が押し寄せて、訳も分からぬまま思考がぐちゃぐちゃになる。
息ができない、声が出てこない。逃げなきゃ、隠れなきゃ、見つかったら今度こそしんじゃう。いたいもあついもくらいも、透の知らない”苦しい”はどれもこれも耐え難いものだった。
「っ……あ、ぇん……!」
「助けてっ……」
「泰誠っ!!!」
急に息が出来るようになって、暖かなぬくもりに包まれる。吸うばかりで吐きだせなかった呼吸を強く抱き締めることで整えさせたアランさんは、蹴り飛ばした相手を鋭く睨んでいた。
「……逃げたか」
「アラン、さん」
「無事ですか東雲さん」
俺を安堵させるように普段通りの口調で問いかけるアランさん。少しだけ言葉には警戒が残っていたけれど、その程度なら気にならないくらい頼もしかった。
「はい……ありがとうございます」
「いえ。……良かった」
本当に、心底安堵したというようにアランさんは目を細める。掴まれた腕と首を確認するように指が動く。きっと透のことを重ねているんだろうということは容易に知れた。
「アランさん。大丈夫ですよ」
本当は、透に囚われていてほしくはない。けれど俺がここにいる理由の一つにきっと透の存在があって、”東雲泰誠”という存在は透なしでは成立しない。こうして気休めの言葉を吐くくらいしか出来ないのは、少しだけ歯痒かった。
「……あの相手、怪異じゃありませんでした」
「はい。あとで青藍にも詳細は問おうかと思いますが……目的が知れませんね」
意識を意図的に切り替え、先程の相手について考える。認識阻害済みの、人間。外から来たのなら青藍さんが真っ先に反応するだろうし職員だとしても無断で侵入することは難しい。一番可能性があるのは鳥飼さんということになるけれど……。
「……何がしたかったんでしょうね」
「ええ。本当に」
握られた腕の痛みが、いつまでも思考に鈍く滞留するのが不快だった。
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