第三十二話 遠く、波紋は揺れて
「ねぇ」
声に感情は乗せず、出来るだけ淡々とした口調を心掛ける。背後から声を掛けたってのに微塵も動じないその姿にむかついた。
「いやはや、ここは客人が多いな」
「勝手に入ってきたやつが何言ってんだか」
「はは、ぐうの音も出ないわ」
声音を聞く限り、本当に俺に対して警戒する様子がない。まるで俺が来ることを最初から知っていたような。或いはそう、俺の正体を知っているかのような。
害はない、敵対している訳じゃない。……だからと言ってその行動に悪意がないとは言い切れない。悪意がなくともあのミツバと呼ばれた子供の存在は言い逃れが出来ないくらい不味い性質を有している。どんなに懐かれていようが慕われていようが、絶対に見逃してはいけないもの、というのは存在する。
「お前が作ったクローン。……その素体の選定基準は何」
「……まぁ、強いて言うなら”式野の尻拭い”だが」
「…………」
「強い力には相応の代償が伴うだろう?危うい均衡を保つために番というものが存在するのに、わざわざ不安定にする意味が分からん。というか俺は最初から反対だったんだ、自分の好きなように研究するやつらにクローン作成は向いてない」
尻拭いとして、番のクローンを作った。そういう文脈の言葉に思わず口を閉ざす。一応表向きには職員……というか人間に番はいない、ってことになってるし、代わりに遣霊が現れるということになってるはずだ。俺達重戦闘区域の面々がそれを話半分にしているのは分かるけど、提唱元と言っても過言じゃない研究部門がこんなこというの、色々と問題にならないんだろうか。
「っていうかちょっと待って。……つまりお前は、夏音達……というかそのオリジナルであるアラン達の番を知ってる、っていうこと?」
「知ってるというのはあんまり正確じゃないな。そもそも番を決めるのは本能だろう?つまるところ、遺伝子情報を辿ればある程度情報は取れる」
「……正気じゃない」
「はは、今更」
狂っている自覚があるならコイツはとんだペテン師だ。罵倒を事実だと受け入れ、その上で必要だからと訴えを切り捨てる。言葉での説得が全て無に帰すタイプ、そもそもきっと――――コイツは大義だとか正義だとか……エゴでも献身でもなく、ただ純粋に必要だからとかいう合理判断でクローンを生み出したってことになる。
「……何故?」
「文脈が分からん」
「わざわざ余所の研究を手伝う意味」
「手伝いではないが?」
「手伝いみたいなもんでしょ。そのまま放っておけば死ぬだけの生き物を生かそうとするんだから」
均衡を踏み外せば待つのは死のみ。特にあの末っ子は本来あんな安定するはずがない生き物だ。少なくとも長男は酷く揺らいで壊れる一歩手前だったのに、あの末っ子揺らいではいたけど普通に暴れてたからね。なんでだよ。
「正直なところな、俺にとってはクローンやら人間やら、そんなもの全部等しく命だろうと思ってるんだ」
「……」
「きっかけはアレだがミツバ達だって等しく命、ただ無為に消費しようとする相手からは逃がすし自分の保護下になくとも気付いてしまったなら手を回すだろ」
「そうやって――――外羽のことも逃がしたの?」
「へ?」
一歩踏み込んだと思ったら空振った。きょとんとした表情で思わず振り返った札木博士は、もう一度気の抜けたような声で外羽、と口に出す。
「あれ、重戦闘区域の方で手を回したと思ってたが」
「違うけど。え、じゃああの謎の結晶とかもお前じゃないの?」
「知らん知らん。えー……?ちょっと待ってくれ、疑問が増えたんだが……?」
「それこっちのセリフ」
重戦闘区域でも、札木博士の仕業でもない。明確に頭に浮かんだのは第三者、というにわかには信じ難い可能性で。
「……定期的にツルギを寄越す。正直あそこに情報を残すのは得策じゃないからな」
「は?」
「共闘といこうじゃないか、館童子」
その笑みが、どこぞの知り合いに重なった。
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