第二十六話 その滴に名前をつけて・後編
「……」
「……」
俺もアランさんも揃って沈黙。式野、ということはアランさんが研究部門で関わっている職員だ、”救われてはいけない”と足掻くその意地が毒を防ぐ何よりの手段だった。名前を変えたことでアランさんは苦しみながら立ち続けることが出来ていた。
「……以前、アランさんは管理人をこれ以上増やさないために苦痛を苦痛のまま生きていく、と言ってましたよね」
「……はい」
「俺、シンさんと最初に任務に出た時言われたんです。『一歩違えば愉しく生きられた』って。……そのとき、俺は自覚のないまま進むことを選ぶしか出来なかった、今でもそれでいいと思ってる……けど」
苦しむことを悪だとは言わない。進むことが間違ってるとも思わない。俺もアランさんも、そうやって進み続けてきたのだから。
「苦しむことが最善じゃないなら。俺は苦しまなくていい道を探します。救いの道はひとつじゃない、他者から与えられる幸福より、自分の手で切り開いた未来を大事にしたい、って」
「志葉さん……」
言葉はまだ、本当の意味で届いていないのかもしれない。綺麗事で変えられるほど俺達は純真じゃない、分かっているけど言葉を止めはしない。だって、ここで言葉を止めてしまったら、みうが報われないじゃないか。
「別に、その救いの手段に俺がいてもいなくても良いですけど。みうやリアムさん、東雲みたいに――――”アレン”のことを、どうしたって失いたくないひとのことを、ちょっとでも救いの手段として換算してくれるなら」
「……」
根本すら揺るがされてしまったら孤独である意味はない。俺がアランさんの救いになれるなんて楽観論は最初から持っていない。誰も彼もが痛みを抱えて……そんな中で、アランさんの中で一際特別な意味を持っていそうな三人の名前を出す。
「…………俺は、リアムのことを、みうのことを、東雲のことを……救えなかった。それどころか、刃を向けて殺そうとしたことがあります」
「……」
「リアムが死にかけたとき、リアムにとって大切な人を殺そうとした。東雲が死んだとき、俺はヘブンの職員を全て殺した。みうが現れたとき、俺はみうすらも殺してしまおうとした」
「……」
「きっと、これから先も俺は繰り返す。我を忘れ、大切なものすら見失って全部を壊す。夏音の懸念は間違いじゃない、少なくとも俺の素質を継いだのならそれは……管理人なんて関係なく、いつか致命的な選択をするだろうから」
大切であることが贖罪相手への罪滅ぼし。そういう意図はないのだろうけど、アランさんが距離を取る理由が漸く見えて来る。
三度、アランさんは後悔を重ねた。四度目が起こらない可能性は限りなく低くて、いつかその刃が大切な相手を貫いてしまう可能性に怯えている。夏音と同じように、もしかしたら夏音よりも殊更に。
「だからこそ救いなどないと言い切れた。死んだところで管理人という呪いが残るから、生きていてもいつかの恐怖に怯えるから。…………だから。もし本当に、俺が救いを求めてもいいというのなら」
アランさんの手が伸びて、俺の服を掴む。襟首を引かれ、身体を起こしたアランさんと視線が絡み合う。煌々とした薄紫色の瞳が、強く俺を射抜いていた。
「約束してください、俺を殺すことを。この身も魂も、全てに至るまで何も遺さないようにしてくれる、って」
痛いくらいに本気の願いだった。言葉は強く、静かな色を纏っているのに向けられた視線は迷子になった子供のように揺れている。滲む色が、少しだけ記憶に重なった。
「分かりました。貴方がもう後悔しなくて済む様に。この先誰にも、その身も魂も何もかも利用されることのないように。俺が、貴方を殺します」
きっと、この約束を聞けば誰もが止めるのだろうけど。アランさんを救いたいと願う人達には殊更受け入れられないのだろうけど。
全てを見ていた夜だけは、何も言わずに俺達を包んでいた。
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