第二十五話 その滴に名前をつけて・前編
監視、というからには寝ずの番も含まれる。流石に東雲は不味いということで基本的に俺が夜間の番をすることになった訳だが……。
「……寝ないんですか?」
「そうですね……少し眠気が遠くて」
声のトーンを落として会話する。アランさんの声には確かに睡魔が感じられない、俺の腹にへばりついているスミレやアランさんの隣ですやすや眠っているみうを起こさないようにそっと表情を伺った。
”アレン”と名乗っていたときに比べると随分陰があるな、と思う。いやあれは単に乾燥しきっているが故の明るさだったのかもしれないが。必要以上に明るくも暗くもなく、線を引くわけでも踏み込んでくる訳でもない。今のアランさんに比べれば距離が近くて、それでも他者であることを実感させていた。
「……俺が、オーシャンに志葉さんと東雲さんを呼んだと聞きました」
「はい」
「実は研究部門からオーシャンに向かった記憶すらないんですけど……どうやら、あまり善くはない錯乱を見せてしまったようで」
「……」
意識が歪められて、なけなしの抵抗で”アレン”は目覚めたと言っていた。無意識だったんだろう、その状態で伸ばされた手を”信頼”ととるか”妥協”ととるかは個人の自由だ。
「すみません。ご迷惑をおかけして」
「いえ……」
ふと、丁度良いなと思った。誰も彼もが寝静まった夜更けで、急な乱入もないと言えるような空間で。アランさん、そう呼べば視線は向けられる。
「貴方にとって……幸福を求めることは、悪いことなんですか?」
「……」
真意を問うように少しだけ目を細められる。心当たりがないという訳ではないんだろう、ゆっくりと逸れた視線はみうに向けられ、充分な沈黙を経てから口は開かれた。
「……俺は、少なくとも……今の俺が幸福になることは許容出来ない、と判断します」
「それは。……アランさんにとって、自分自身が憎むべき存在だから……です、か?」
「そうですね。……誰も俺を憎まないのなら、自分でその罪に向き合うしかありませんから」
言葉が詰まる。違うと言いたかったのに、そんなの、と言ってしまいたかったのに。ただ赦すことはときに苦しみになる、アランさんにとっては優しさが痛みになるのだと理解してしまった。
「っ……それでも、不幸であり続けることは……」
「理解してほしいとは思いませんよ。表立って不幸であれと拒絶することもありません。……これが、ただの意地だということも理解しているので」
「……」
言葉を返したかった。是でも否でも、せめて俺の言葉を届けたかった。現実の俺は一言だって発せずに口を閉ざして、アランさんはもう話すことなどないと言わんばかりに瞼を伏せる。引かれた境界線を超えるには、あまりにも溝が深すぎる。
「式野巡は高範囲の精神汚染を有している。それこそ名前さえ知っていれば過去すらも書き換えられるような」
「え」
滔々と喋り出した相手に俺もアランさんも思わず動揺を露わにした。まさかとは思うが、最初から起きていたのか……?こちらの動揺など一切頓着しないのはなんというか、まるで本当に寝言のようだ。
「奴の常套手段は相手の不幸に救済の選択肢を与え、救われたと認識させることで心の裡に潜り込む。自身の提案を唯一の救いだと誤認させるということだな」
「……ええと、あの」
「録音だろうが音を聞いた時点で貫通する。常に邪魔が入らないよう柔和なイメージを植え付けているのも厄介なところだな」
「それは────」
「ぐー」
いや誤魔化すの下手か。あんだけはっきり喋っておいて寝言は無理がある。
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