第二十話 軽やかに、いっそ空を舞うような
「……りあむ?」
「兄さんっ……!」
ぎゅうぎゅうと強く抱き締めるリアムさんを藍沢先生は止めなかった。アランさんの視線は少しだけ横にずれ、隣ですやすやと眠るみうくんとうぱーくんを見てからまた戻された。
「気分はどうだ」
「ええと……すみません、そもそも研究部門から帰ってきた記憶がないんですけど」
「あれ、オーシャンでおかしくなったって聞きましたよ?」
「なぁん」
「ま、ほぼ意識なんてあってないようなモンだったってことだろうな」
「……?」
意識を歪まされた状態での記憶がない、というのはある意味不幸中の幸いなのかもしれない。俺から見ても藍沢先生からみてもアランさんに異常がないということは、後遺症などは残らなかったと見て良いだろうし。
「色々進展やらはあったが取り敢えずお前は休んどけ。今回、リアムと青藍だけじゃなくみうと東雲辺りも暴れたからな」
「はぁ……?」
「リアム、一旦アランを休ませるからお前は退室しろ」
「嫌ですここにいます」
「おなす?」
「宇月」
「はーい。リアムさんちょっと引っ張りますねー」
意地でも動く気のないリアムさんを引っ張って隣の部屋へ連れていく。事前に雪代さんから移動補助術式を借りていたお陰で、抵抗はされたけどそこまで苦じゃなかった。普段なら好きなようにさせておくけど、これからアランさんは少し検査もあるから……研究部門での所業に荒れ狂うリアムさんの地雷を踏まないとも限らない。だから説明せずに引き剥がした。
「うぱーは許されたのに……」
「うぱーくん寝てましたからね」
「隣で大人しくするが!」
「はいはい駄々こねないでお仕事しましょうねー」
リアムさん、子供っぽいな。取り繕えないくらいにはアランさんのことが心配だったんだろうけど……傷のスレスレ、ともすれば心が悲鳴を上げそうなほど核心に近いものなのに、リアムさんの傷の原因にはなり得ない。
「……」
「……何だ」
「いいえ?ちょっとだけ考え事です」
いくつも刻まれた傷の中で、未だ癒えぬ痛みのひとつで。それでも尚遣霊は手を伸ばさなかった、それ以上の絶望から遣霊は生まれた。それこそ────その生を投げ出そうとするくらいに深い底で。
「……以前も少し気になったんだが。お前……心の傷が見えるのか?」
すい、と向けられた視線は興味も警戒も浮かんでいない。ただ純粋な疑問で、確認だ。……救いを求めるわけでも、期待を掛けるわけでもない、凪いだ水面のような瞳。
「……まぁ、そんな感じですね」
心の傷、それだけが見える目。苦しさを可視化したところで根本的な解決にはならない、深さが分かっても理由までは分からない。なんの役にも立たない目だ。しかも制御不能とか、欠陥にもほどがある。
「以前言っていた傷の新しさ、というのも?」
「あー……」
俺としては本当に、リアムさんの傷が新しい割に痛みに苦しんでいる様子がないのが意外だったのだ。もっというと、本当に数週間前についたようなものだったから。随分と切り替えが早いんだな、そう思ったのを覚えている。
「そう……ですね、はい。リアムさんから見える傷が、やけに新しかったから、少し意外で」
「……傷というのは繰り返すことで抉られるんだろう?そうだとしたら────そうだな、最近死のうとしたから、そのときの傷だろうな」
まるで、日常生活を話すような声の気安さに、思わず目眩がするような錯覚を覚えた。
面白かったらブクマや高評価お願いします。喜びます。