さめる少女
イルカは目を覚ました。すぐ目の前にカザリの顔があった。
「おおう」
寝顔がなんだか眩しかった。照れくさくて、イルカは身体を引く。
そこでイルカは気づいた。電気がついている。
≪再接続完了。外部ネットワークは復旧しました。現在、緊急警報レベルは解除済みです≫
「タロ! もう大丈夫なの?」
AI≪タロ≫の不具合も直ったようだ。イルカとタロを繋ぐワイヤーは、いつも通り淡く光っていた。
イルカは肩の力が抜けるのを感じていた。
≪はい。再起動から約一時間半経過しました。電力・空気に心配はありません。外殻の修理も87%まで完了しています≫
「よかった」
ううん、と小さく声を出して、カザリが目を覚ました。
「助かった……?」
「うん。助かった」
イルカは思わずカザリの手を握った。カザリは微笑んだ。
事件の前と後で、二人の関係は変わっていた。イルカのトラウマをカザリが歌で癒したことで、少しは通じ合えたのかもしれない。
だがそんな安堵の瞬間は、タロの発した不穏な言葉に遮られた。
≪優先メッセージ:見つけた≫
――硬質で、そして血の凍るような声だった。
空気が一気に冷えたみたいだった。
「見つけた……何を?」
「サイアクだわ」
カザリは俯いた。短く一言だけを口にしただけで、それ以上は何も語らなかった。
「っ!」
隔壁のロックが開いて目に入ったのは、荒れたステーションの光景だけじゃなかった。
『Silence and freedom are the biggest Twilight.』
無重力下で描かれたその文字列は、まるで救いの手を伸ばすように泡立ち、固まっていた。
「カザリ。なんて読むかわかる?」
「沈黙と自由は最大の黄昏……偉大な作曲家の言葉をもじった言葉ね……こっちはこっちで……趣味が悪いわ」
「歌が気にくわないやつらがいる?」
格納庫に向かうと、整備士パラボが片手で機材を持ち上げていた。油と静電気と音楽と罵声が混ざる、いつもの場所。
「で、昨日のあれ――何だったの?」
イルカは工具棚にもたれかかりながら問いかける。
「さあな。よくあるシステム障害さ」
「よくあることの方は聞いてない」
パラボは溜息をついた。
「噂だよ。軍にいる過激な反歌姫派……。知ってちゃやばい話。だから、これは独り言だ。回転軸が狂ったらしい。どっかのバカが、端の層をぶっ壊そうとしやがったせいでな」
回転軸――それはステーションの“命”とも言える機構だった。遠心力で重力を生み出し、L2ポイントに安定して浮かぶ。そのどちらも、回転軸が担っている。
「何のためにそんなことするのさ?」
「だから独り言だ。あちこちに描かれたメッセージに、端層の復旧作業中の窃盗。次の犯行予告が来てるだなんて、口外するなと言われてるよ」
「わかった。ありがとう」
「……フン。お陰で商売あがったりだよ。どいつもこいつもヤドカリ持って志願しに行きやがった」
「『自分の身は自分で守れ』……宇宙ヤドカリなら誰でもそうするよ」
宇宙に安寧の場は少ない。その数少ないステーションに害を加えようというなら、立ち上がって当たり前なのがヤドカリ乗りだ。イルカとて、再び殻に閉じこもって、救いを待つのはごめんだった。
「パラボ。わたしのは?」
「まだ無理だ。一回燃料を抜かなきゃなんねえ」
「早く頼むよ! はやく」
パラボが言うなら無理だ。整備士の言葉を聞かずに起こったことは、すべて自業自得なのだ。
作業場を出た二人は、待機所にある端末前に座った。
イルカは、ステーションへの襲撃と反歌姫勢力を思い浮かべながら口を開いた。
「……閉じめられたやつ、さあ」
イルカがつぶやく。カザリは振り返る。
「……?」
「誘拐だったんじゃないか? 本当は。"誰か"をさらいたかった」
カザリの瞳が一瞬だけ揺れた。ように見えた。
「まさか私を、とでも? ありえない」
「けど……。このステーションで一番価値があるのは、カザリだよ」
タロに届いていた『見つけた』というメッセージ。もちろん、反歌姫という予告もある。けれど、それは隠れ蓑かもしれない。
「なら、簡単ね」
ふっと笑って、彼女は言った。
「他の事件を調べましょう」