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解ける少女

 その日の深夜、イルカは警報と振動で目を覚ました。


「タロ。何が起きてる?」

≪ネットワーク機能に障害。外殻損傷の可能性。宇宙服の装着を推奨≫


 聞いている間にも振動や爆破音が響いてくる。

 居住区――殻の中に変化はない。けれど、いまは本体から外されている。打ち捨てられた殻も同然だった。


「イエス。安全なルートの検索。周囲のAIと協力して、できるだけ探って」

≪了解。カザリの目を覚ますことを推奨≫

「くそ、忘れてた」


 今いるのは、ステーションの先端にある一時滞在区画だ。この辺りは他の層より狭く、外――宇宙とも近い。外殻が壊れているとすれば、すぐに影響が出てくるだろう。


「カザリ、起きてください。起きて、カザリ=メイゲン」

「わたしは勇者じゃ……むにゃ」


 イルカは口端が歪むのを感じた。このやろう、と布団を剥ぎ取って放り投げる。――まずいな、とイルカは気づいた。微かにだが、布団が宙を泳いでいた。


「急いでください。時間がありません」


 イルカの呼びかけに、丸まっていたカザリは、目をこすりながらのんびり立ち上がる。


≪推奨。お召し替え≫


 無言で両手を広げるカザリへの対応として、タロの言葉は正しい。けれど、この状況で寝ぼけ女に与える慈悲は見つからない。


「勝手にしろ!」

「うむ……。くるしゅうない」


 この空間には時間がない。外殻が壊れているなら、宇宙へ空気が流出していくからだ。残るのは宇宙と変わらない真空空間だけ。音も光も、空気もない。そんなところで、前のように閉じ込められたら――。


≪警告:ストレス値の上昇≫


 タロの落ち着いた言葉が思考の連鎖を遮った。


「わかってる」


 イルカは首を振って、乱暴にカザリへ船外用ヘルメットを押し付ける。カザリはようやく半分ほど宇宙服を着ているようだった。


「隔壁の向こう、熱源はある?」

≪やってみます≫


 タロの背中にサーモグラフィーが表示される。赤を通り越した白い箇所が放射状あちこち広がっている。


「……ネットワークは?」

≪不通。周辺AIと連携の結果、被害は局所的なEMP攻撃によるものと判明≫

「こんなところをわざわざ?」


 パラボが言っていた『物騒な連中』かもしれない。強盗の典型的な手口ではある。だけど、中央の広い層や工業層と違って、こんな端に金目の物はない。


「……タロ。この層に強盗するとしたらさ」

≪はい≫


 ――一体、何を盗むのが良い? 聞こうとして、どこか引っ掛かった。強盗じゃないのかもしれない。恐らく、この層で最も価値が高いのは――。


「イルカさん。どこの扉も開きません! 一体、何が……?」

「タロ……また後で」


 カザリが駆け寄ってきたのを見て、イルカは言葉を飲み込んだ。いまは、生存する方が大事だった。


 イルカはカザリを見つめながら、バイザーの耳部分を指さした。カザリはきっと、宇宙服を着こむと声が通らないことに気づいていないだろう。


「聞こえる?」


 カザリは慌てた様子で、バイザー越しに耳に手を当てている。


「あっ、えっ。うん」

「落ち着いて。この近くでトラブルが起きてる。扉が開かないのはそのせい」

「あっ、開く扉……探さないと……」


 イルカは大げさに首を振った。カザリは宇宙服を着たやり取りに慣れていない。出来るかぎり動作を大きくして見やすくしないと、落ち着くまでに時間がかかってしまう。


「ここにいれば……安全だから」

「で、でも……」


 退路が見つかるとは限らない。そうなったら、殻で待つほかなかった。イルカが想像している『物騒な連中』の目的が、『強盗』ではなく『誘拐』だとしたら、隔壁に塞がれているこの状況は、幸運かもしれない。


「あら、そこの扉は? とても古いようですが……。鍵式?」


 少し落ち着いたのか、カザリは不思議そうに、イルカの脇にある錆びの浮いた古い扉を見つめている。それは、物理式の鍵を用いた非常用扉だった。


「あぁ。そこはきっと……」


 カザリはすぐ近くにあった、赤の強調印がついたボックスを開ける。その中身に、目を丸くして声をあげた。


「鍵が……こんなに? どうして……」

「安全祈願なんだよ。それ。マスターもあるだろうけど、見つからないよ」


 イルカはカザリの横から鍵を摘まむと、力を入れて曲げた。鍵はわずかにたわんだ後、弾けるように折れた。


「鍵作りはヤドカリの操作練習にちょうどいいし。暇つぶしにみんなやるんだ」


 物理扉なんて、地球のお偉いさんが決めた安全基準で作られただけだ。大きさも生身が通れるくらいで、宇宙服では行きにくい。


「鍵を作るのが……どうして安全祈願に?」

「開かないことが平穏だから。誰が言い出したか知らないけれど、開けられなくしているんだよ」


 ――笑っちゃうような話だけど。とイルカは唇をかすかにゆがめた。


「……偽物でも開く?」


 カザリは手のひら一杯の鍵を見つめている。イルカは首を振った。


「いいえ。さっき見せたけど、たぶん折れる。鍵穴が塞がるでしょうね」


 開けられないようにしている扉なのだから、開くはずがない。イルカはそれを知っていて、見向きもしなかった。


 カザリは不合理を感じているかもしれない。けれど、宇宙というのは、地球の常識では計れない場所だ。


 イルカはヤドカリの殻、その資源残量を確かめる。


「三日くらい、か。タロ、殻の状態は?」

≪強度、状態に問題なし。ただし、バッテリー残量が約20%です≫


 イルカの胸に暗い影が訪れる。バッテリーは空気の循環やネットワーク通信、BGM管理など不可欠だ。節約して静かに過ごせば、救助を待つだけの時間は耐えられるかもしれない。


「……見つけた」


 カザリの、静かで凛とした声だった。

 イルカが振り返ると、そこには、不敵な笑みを浮かべながら、一本の鍵を持つカザリの姿があった。


「……こんなミステリーがあったかしらね。目の前に爆弾と大量の鍵。身体は椅子に縛り付けられている。さあ、本物の鍵はどーれだ? って。答えは磁石よ。本物の鍵だけが、鉄製……」


 カザリは、ゆっくりと物理扉へ鍵を差し込んで――。

 イルカは背中を氷で撫でられる感覚に、弾かれたように走り出した。タロとイルカを繋ぐワイヤーが伸び、焦燥を表すかのように色が踊る。


「あ、あけるなー!!」

「なぜ? ここを開ければ外に……ぐう!」


 イルカはカザリに向かって飛びかかる。ステーションの回転軸がずれて、重力は減っているはずなのに、ひどく身体が重たかった。宇宙服か、と飛びつきながら思った。


 イルカと宇宙服分の質量をぶつけられたカザリはまるで、自転車にはねられたかのように吹っ飛んだ。


「な、なにを……? げほ……出たくないんですか?」

「あの扉を開けたら……死ぬぞ」


 息が熱い。空気が薄い気がした。いや、実際にそうなのかもしれない。カザリを止めなければ、その一心で無理やり走ったからか、背中や腕にインナーがまとわりついている。


「え?」


 これが、ただ閉じ込められただけなら、カザリに感謝していたところだろう。でも、今は違う。カザリの、こいつの行動は宇宙では通用しないことばかりだ。頭はいいのかもしれない。けれど――。


「壁の向こうはたぶん真空だ。それに、熱源もある。そんなところに向かって、空気のあるここから穴を繋げたらどうなるか……」

「……減圧された空間に空気が流れ込んで、火災が起こる――いわゆる『バックドラフト』現象」

「わかってるなら……!」


 宇宙服のバイザー内でイルカの声が響く。

 カザリなりに考えた結果なのはわかる。でも、頭の良さが、無鉄砲なところが……。『カザリ』という高級品を誘拐するために、この状況があるとしたら、いまのイルカには受け入れられなかった。


「もういい。タロ。他のAIはどうしてる?」

≪……≫

「タロ? くそ……!」


 イルカからタロへ細く伸びるケーブルが赤く点滅していた。不具合だろうタロは何の反応も示してこない。二人で転がったとき、どこかにぶつけたのかもしれない。


「タロウさん……。私のせいで」

「っ!」


 イルカはカザリの手を乱暴に掴むと、殻の前まで引っ張っていった。


「ここに籠城する。もう喋るな。空気がもったいない」

「イルカ……」


 フロアの照明が、点滅して落ちていく。イルカとカザリの二人は暗くなっていく居住区の中で座り込んでいた。


「……」

「……震えているの?」


 イルカは暗くて、音のない空間が怖かった。ヤドカリの中から見つめる宇宙には、言いようのない高揚を覚える。だから、この生活は嫌いでない。


 けれど、周囲に誰ひとりとしていないような、暗く冷たい深海に突き落とされて沈んでいくような、そんな空間は怖かった。


 イルカは宇宙孤児だった。

 記憶はおぼろげだけれど、暗く、静かで、寒いところで、ひとり何日も取り残されていた。誰も、いなかったのだ。


 ――あのときは、端末ブイに運ばれて……。


 イルカの脳裏にうっすらと幼い頃の記憶が立ち上がる。宇宙で死ぬものに声はないのだ。ラストウィスパーも辞世の句も、空気がなければ、伝えられない。


 イルカは沈んでいっていた。耳も目も役に立たない虚空へと――。


『月明かりも届かない 暗い世界の底で』


 ずっと遠くで、微かに何かが聞こえる。なんだろう? 近寄ってみたいけれど、身体は氷みたいだった。イルカは耳を澄ませて、ずっと遠く、地平線より遠い、宇宙の彼方を見つめた。


『あの日からそれはずっと きらめいてる』

 ――歌?


 あのときのように、ずっと遠くで感じていた音が、少しずつ近づいてくる。ゆっくり踊るみたいに。軽やかに歩くように。


『触れたんだ 夢でいいの』


 イルカは気づいた。自分の横で、カザリが歌っていたことを。


 ――カザリ?


 カザリは歌いながら、イルカの手を握っていた。慣れないであろう宇宙服越しの、不器用な仕草で。


 ゆっくりと、イルカ周囲に光が瞬いていく。


 カザリは、出会ったときから歌ばかりのめちゃくちゃな奴だ。彼女とはグローブで何センチも隔たれていて、何の感触も伝わらない。それなのに、そのはずなのに、その手には確かに熱を感じた。


 イルカにまとわりついていた氷は解けて、真っ暗だった視界にカザリの微笑みが飛び込んできた。


「……空気の……無駄になっちゃう……から」

「はいはい」


 カザリは宇宙の寒さと暗さを知らない。だから、こんなに暖かくて、明るく歌えるのだ。イルカの震えは少しずつ収まっていた。


「さっきは、ごめん」

「……助けてくれて、ありがとう」


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