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惑う少女

 居住型人体保護装甲――通称≪ヤドカリ≫

 宇宙服の大型、堅牢化の末に行き着いた、パワードスーツの収斂進化先。


 要するに、住める宇宙服なのだが、長らくひとりだったイルカのそこには、"音"がひとつふえた。


「わくわく惑星♪ らーらーらー♪」


 軽快でいて、どこか間の抜けたものだったが。

 少女はマグネットデスクチェアに陣取り、長い黒髪を周囲に振りまきながら歌っている。


 ――あの髪、本当に宇宙は初めてなんだ。


 イルカは少女から受け取った個人IDを検索しながら、横目で少女を眺めていた。

 宇宙では髪の長さも自由に選べない。

 乾燥した船内は静電気だらけだ。髪は広がりやすくて視界を妨げる。どこかに絡まってしまったら、事故や怪我にだってつながるかもしれない。


「……あなた、何しにこっちへ来たの?」


 BGMに混ざって響くのは、リズムも旋律もない、ただのハミングだった。宇宙の静寂に馴染んでいるのが、不思議だった。


「ライバーになるために」

「はあ?」


 イルカは表情を曇らせた。彼女の言葉だけが理由ではなかった。タロの示した検索結果を見たからだ。


 表示されたのは『カザリ・メイゲン』という名。さらには、プレミアム認証の印。


 ――プレミアムって、あほほど高くなかったか……?


 イルカの記憶では、国際上級公務員の身内くらいでしか聞いたことがない。これが“ただの少女”なわけがなかった。


「地球で何でもできるでしょ……」


 イルカは言ったが、カザリは振り返らなかった。


「私は地球にいる限り、快適なリニアトレインであやされながらの人生。そんなのより、私は自由でいたい」


 ……助けたのが馬鹿らしくなった。こちとら緊急事態と思って向かったのだ。

 ところが相手は、本来ならファーストクラスでのんびり宇宙へ来られたのだ。SAN値と合わせて、燃料と空気代を返して欲しい。


「宇宙で飛び降り自殺しながら歌うのが自由? さすが、違いますわね」

「言葉が強くなくて? 宇宙人さん? 地球と宇宙は違うの。あなたに地球はわからないでしょうけど」

「……そんなことは」


 事実、イルカは地球に降りたことなどない。スクリーン越しの存在で、デブリの破片が消えていく場所だった。


「言い過ぎました。確かめただけだから。本当になにも知らないってわかったから」


 見たことのない、聞いたことのあるだけの波の音。そんなBGMが響いていた。カザリはイルカに近づくと、声をひそめた。


「私がこっちに来たのは、選びたかったから。それに――」


 ――あなたみたいな人に、会いたかったの。


「……ステーションまでは送る、それでいい?」


 イルカは胸の内に浮かんだ言葉をすべて飲み込んだ。カザリの言う宇宙はまるで、自分の知らない空間だった。宇宙にある選択肢――。それがもしあるなら、自分は何を選ぶのだろう。


 --

 -


 帰還後、ステーションにヤドカリを接岸すると、整備士のパラボが真っ先に顔を出した。


「おい。なんでお前がアレを連れている? デブリ拾いじゃなかったのか?」


 なぜパラボがサガリを知っているのか。ひょっとして、自分は面倒を拾ったのかもしれない。

 イルカは「成り行き」と強調して言葉を続ける。


「救命信号したでしょ。ヤドカリの掟。救命優先。出前迅速! それよりさ……」


 イルカは背伸びしてパラボに耳打ちする。


「誰なの? あれ。有名人?」

「知らんのか!? ありゃ、地球で一番有名なハンターの娘だぞ。裏じゃ賞金もついてる」

「え?」


 知らなかった。宇宙で有名人といえば、地名になった偉人か万バズ常連のライバーくらいだ。星ほどのチャンネル数では『みんな知っている』ことは案外少ない。


「俺は軍にツテもある。ありゃプレアカだ。下手やったら……こうなる」


 パラボは自分の首を親指で切り裂くジェスチャーをした。プレミアムアカウント持ちなら、それくらいわけないだろう。ステーションを買い取って遊んで暮らしても、あり余るだけの価値だ。


「だが良かったな。気に入られてお付きにでもなってみろ。一生安泰だぞ」

「いやだね、あんなお嬢様。私はただのヤドカリ。ひとりでいいんだ」


 はっ、つまらねえ女。機体ログを眺めるパラボは背中越しにそう言った。


「……そうだ。今日はここに留まるのか?」

「たぶん。お嬢様の迎えがきてない」


 正直、放り出したかった。けれど、彼女を丁重に送らなければ、後々大変だと断言できる。惜しむ自身でもないが、好んで捨てるほど安売りはしたくない。


 そんな心内を知ってか知らずか、格納庫を覗いていたカザリが、イルカに問いかけてくる。


「イルカさん。ここにあるの、全部ヤドカリですか?」

「あー、そうだよ。ここで"殻"――居住区を降ろして泊まるんだ」


 格納庫には何十かのヤドカリが腰を下ろしている。赤やら青やら、塗装が施されたものや、やたらと太い腕を持つもの、脚がキャタピラ式のものなど、種類はバラバラだけど、みな背中に殻ーー居住区を背負っている。


「ヴィラみたいですね」

「ヴィラ? ……タロ」

≪はい≫


 タロを掴むと『ヴィラ』と打ち込む。あっという間に、いくつかの画像と概要が表示されていく。

 地球では、こんな広い空間に泊まるというのか。起きて半畳、寝て一畳の精神はどこへ行った。ヤドカリの格納どころか、ステーションまるごと入りそうだ。


「けっこう種類があるんですねー。……これは?」

「あぁ。それは……」

≪曳航用の作業機『壱型』です。ミス・メイゲン≫

「カザリでいいよ。タロウさん」


 タロとイルカを繋ぐリード線が瞬いている。どうやらタロは彼女を知り合いと認めたらしい。すぐ忘れるのに、とイルカは思った。


≪応答テストです。カザリ。この『壱型』には俗称があります。ご存知ですか? ヒントもお出し出来ますよ≫


 カザリの視線の先にある『壱型』は普通のヤドカリ10台分はあろうかという巨大な機械だ。いまは脱いで立てかけた宇宙服みたいに足を投げ出して置かれている。


「あら嬉しい。クイズってわけ? ならちょっと考えてみようか。ヒントは、もちろんいらないわ」


 カザリは凛として静かな歩みで『壱型』の前に立つ。まるで、絵画を品評するみたいに顎に手をやって、思考していた。


 なんだか少しだけ、周囲の温度が下がった気がさえする。


「あの空洞の奥にあるコネクタ、イルカのヤドカリと同じね。なるほど……。さっきタロウさんは『曳航用』と言ったわ。つまり、ヤドカリで操作する巨大ヤドカリーーと予測するわ。ヤドカリが元々、パワードスーツであったことからもありえる発想ね。ヤドカリは見た目でつけられた俗称……。それなら、そうね、私は旧世紀の書にある、北極海のUMA『ヒトガタ』だと推理します。シルエットがどことなく似ているし、兵器は『壱』を『ヒト』と読むから……。どう?」


 まるで子どもみたいにタロを見るカザリの姿は、イルカのお腹をくすぐるみたいに映った。どういうわけか眩しくて、目を逸らした。


≪素晴らしい。カザリ。アガサ・クリスティが存命でないのが、惜しいくらいだ≫

「タロウさん。探偵も最高だけど、私はクェスに夢中なの。あの歌声にね』


 『クェス』は知っている。ずいぶん前の歌手らしいけど、いまでも色々な人が歌っている。


 イルカはカザリと出会ったときを思い起こした。配信者になりたい、たしかにそう言っていた。


 宇宙は音のない世界だ。だからこそ、音を届ける配信者になる者は星の数ほどいる。けれど、有名になれるのは、ほんの一握りだけだ。

 イルカは訊ねる。


「ねえ配信……。ライバーになって何をするの?」

「そうですねえ、何が人気なんです?」

「ニュースとか雑談。変わったのだと……ASMRに、時報」


 イルカにはわかっていた。カザリが聞きたいのは、それではないと。でも、応えられなかった。


「歌はないの? 歌は」


 歌姫。そう呼ばれる存在をイルカが見たのは、一度だけだ。その歌は、宇宙に花を咲かせた。


 もちろん、歌で花が咲くはずがない。宇宙での通信に使われるスペースネットの端末ブイ。点と点で相互に繋がるネットワークが、歌姫の声で花開いたのだ。


 歌姫は人々を魅了する。歌を聞こうと視聴者が増えるに従って、端末ブイが歌姫を中心に集結したのだ。


 そうして、宇宙には星より輝く幾何学模様が描かれた。イルカの目にそれは、花だと映った。


「歌い手はたくさんいる。のし上がるのは難しいよ」

「そう。よかった」

「いいの?」


 カザリは、さっきよりも屈託ない、光る顔で笑った。


「だって。その方が自由になれるでしょう?」


 イルカに答える言葉は見つからなかった。パラボが呼びかけるまで、カザリの笑顔はイルカの背中を焦がし続けた。


「おい。検査は問題なしだ。燃料だけ。殻外していいか?」

「あ、あぁ。うん」


 返答にパラボは、イルカのヤドカリから居住区を分割するためにクレーン座席に腰を下ろす。じっとイルカを見つめて口を開いた。


「気をつけろよ」

「え、何を?」


 パラボはレバーを押し込みながらまるで独り言のように告げた。


「物騒なのが来てる」


 殻を外すクレーンの影が、イルカの視界を暗く塗りつぶした。



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