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拾う少女

 宇宙に、音はない。


 まるで白夜であるかのように、昼も夜もない。

 見渡す限りの砂漠、果てのない海。生命のざわめき溢れる地球。そこから旅立ち、人は宇宙で営んでいる。


 配信局は今日も、静かで暗く、果てのない宇宙に住まう人のために声を届けている。誰かの語り、誰かの歌。誰かが「ここにいる」と示すための、誰かの声を。


 --

 -


 今日の周波数は、とても穏やかだった。

 アコースティックギターのアルペジオとストロークが、どこか懐かしい音色で宇宙の無音を満たしていく。いつも通り、外に広がる光景はどこまでも暗く、どこまでも続いている。


 それとは対照的な、暖かみある照明の空間。

 ベッドやイス。デスクの置かれた空間に、ひとりの少女が身体を丸めて浮かんでいた。金髪の奥にある青い目は、Sサイズの宇宙服に包まれて泳いでいる。


「いいくに作ろう……室町幕府?」


 『極東、宇宙の旅立ち』そう記された歴史書を前に、少女は、苦虫を噛んだ顔で呟いた。呟きに反応するように、少女の肩から伸びるワイヤーが淡く発光する。先端に繋がるクラゲみたいな浮遊体は淡々と発声した。


≪違います。イルカ≫


 浮遊体は言葉と同時に、答えと解説を空中に投影する。イルカには、穏やかだったギターの旋律まで低く鳴った気がした。


「タロ、歴史なんて意味ないよ……」


 ため息をついた、そのとき――

 穏やかな音楽を堰き止めているみたいに、アラーム音が空間をおおっていった。


「……きた」


 イルカは本を閉じて、両足で天井を蹴った。慣性で滑る途中、バイザーを掴んでかぶった。身体は座席へ吸い込まれる。


 瞬間、一面の深海だったようなイルカの周囲が輝き出す。まるで、指揮者が最初の一振りを待っていたかのように、数値やら現在地やらが、次々に視界を埋めていく。


 この瞬間が、やっぱりすごくいい――。


 イルカは何度繰り返しても新鮮な、宇宙に浮かぶような感覚を堪能しながら、告げた。


「PLT2。HUD3へ。接近までメインはタロ。収集は私に」

≪了解。パレットは腕と足に。モニターは三人称複合視点へ切り替えます≫


 視界が、自分の背中越しに変わる。こういう機械が、どういう仕組みなのかは知らない。けれど、こうしてデブリを拾って回収して、売れるのだからそれでいい。タロは色々勉強をさせようとするけど、それが『宇宙ヤドカリ』の役に立つとは思えない。


 マニピュレーターの動きを確かめていると、右肩が小さく振動する。右に視線を向けると、インウィンドウがデブリ接近を告げていた。それを合図に、音楽がボリュームダウンする。


 こういうとき、タロの声が固く聞こえるのは、きっと気のせいなんだろう。


≪デブリとの相対速度、補正範囲内。収集モードに移行しますか?≫

「イエス。収穫の時間だよ」


 すぐさま、自身の足とヤドカリの“脚”が連動する。脚はわずかに虚空を漂うと、デブリに接触する。


「着岩……!」


 イルカはつま先をデブリに刺した。


 操縦席が微かに後傾するのを、バーニアで丁寧に整える。イルカの指、それと連動するマニピュレーターはデブリをゆっくりと、だがしっかり掴んだ。


 まるで、ロッククライミングのようだ。巨大な隕石に両脚と片腕を固定させ、空いた腕で採掘を行う。掘削された破片は、背中のコンテナ兼居住区に吸い込まれていくのだ。


≪そろそろいいのでは?≫

「うん。でも、見て」


 イルカはレーダー範囲内に入ってきた航行船を意識する。地球と宇宙の定期便。彼らのためにも、デブリの採掘(ひいては除去に繋がる)は必要不可欠なことだ。


「事故があったら地獄……だから」


 一体、この宇宙にどれくらいの人が住んでいるのだろう。百万? 一千万? こうして、定住しない『宇宙ヤドカリ』も入れると、もっと多いのかもしれない。


 けれど、宇宙で人の気配を感じることはほとんどない。人のいるステーションでもない限り、夜も昼もなければ、音もない。


 音がないのは、孤独だ。だから、この宇宙では、ずっと誰かが、誰かに向かって発信している。配信している。


「ライバー……か」

≪それには、知識が必要です≫

「わかってる」


 宇宙で生まれ、ヤドカリで生きる自分には縁遠い話だ。次はどこの採掘かもわからない。そのうち、誰にも会わず、誰も知らないうちに宇宙の塵になるだろう。


「金塊でも拾えればね」

≪sXAUERTの価格は値下がりしています。コモディティ市場を確認しますか?≫

「いいよ。どうせわかんないし」


 このまま拾った鉱石を引き渡し、食糧やら燃料やらと交換。そしてまた、配信や音楽に抱かれながら宇宙へ出る。それが、『宇宙ヤドカリ』の生き方で、日常だった。


 けれど、その“日常"は、すぐに終わる。


「収穫完了。帰還信号を――……」


 ふと、何かが視界の端に跳ねた。


 イルカは眉をひそめ、スクリーンをピンチ操作でズームする。

 そこには、くるくると回りながら、虚空へ飛び立っていく人影があった。


「……は?」


 ありえない。定期便の船外作業? いや、こんな空域で? ヤドカリは? ないよ?


「こちらユニットN25……です。聞こえますか? 緊急救助は必要ですか? 応答お願いします。ユニットN25、緊急救助行動、応答を」


 まるで踊るように回る人影に呼びかける。でも、返事はなかった。意識を失っているのかもしれない。


「タロ、PLT1、HUD2。それから、ブラックボックスにログを!」

≪了解≫

「ユニットN25。緊急救助行動開始」


 ザザ、と通信ノイズが入る。聞き逃さないよう、反射的に耳元へ手を当てた。


「……て…… か……」


 流れてきたのは声だった。生きている。でも、ひどく音が小さい。


「……タロ、音楽、止めて」

 《警告:乗員の精神安定に支障をきたす恐れが――》

「いいから、早く!」


 怒鳴るように命じると、スピーカーが音を止めた。

 瞬間、きいんと耳に違和感を覚え、無の空間に投げ込まれる。空気の震えない沈黙。耳を澄ませると、背中と胃がじわじわ押さえつけられるように感じる。何もない? いや、確かに。微かに感じた。


「ら~♪ ふんふんにゃー♪」


 歌だった。宇宙に投げ出された女性が、歌っていた。

 イルカは沸騰するように操縦桿を握りしめ、推力バーニアを点火する。


「なにやってんの?! この女は!」


 宇宙を切り裂く閃光のように。ヤドカリは加速する。

 ヤドカリの脚が、歌声を残して宙に舞う女へと伸びていく。


 近づくにつれ、その女の歌声が大きくなっていく。接触回線の範囲内。もう一度、呼びかけた。


「聞こえる? 歌なら家でやって。回収するから、大丈夫?」


 ヤドカリなしで宇宙に飛び出した非常識な女。イルカは自分の目の前に、人間が横たわるようなことを考えたことなどなかった。


「落ち着け……。視界は一人称。これは、私の手……。私の手なの」


 妙な耳鳴りがする。心臓の動きを感じる。身体の中には、こんなにうるさいのに。宇宙は変わらず、静かだった。


「弾いたら……終わりだ」


 マニピュレーターを慎重に操作し彼女を包み込むように捕らえ、予備の回収ポッドへと格納する。


「やった」

≪強制行動:BGMを再開。操作をマスターからスレーブ≫

「お願い」


 イルカは息を吐く。静かに、木々の揺れる音が耳にさざめいていた。


 緊急帰還の信号を打ちながら、イルカは疑問を浮かべていた。服を傷つけていたら、あの子は死んでいたかもしれない。厳しい宇宙だからこそ、人はもっと強い服を――ヤドカリに乗るというのに。


 居住区に戻ったイルカはその子を入れた回収ポッドをモニターする。


 その視線の先。スクリーン越しに、少女がこちらを見ていた。あちこちに身体をぶつけながら、カメラに接近してどアップで――。


「……私は、泳いでいただけだから……」


 はぁ? とイルカは肩をすくめて、ぼそりと返す。


「頭打ったの? この子……」


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