第九話 術競べ
宋の時代のことである。
鼎州の開元寺というところは、流れ者を憐れんでよく泊めてやるので、その中には怪しい者も混じっていた。
寺の庭を眺めて数人の客が世間話をしていると、若い女が井戸に水を汲みにやってきた。
「ちょっと、すぐ帰すには惜しい美人じゃあないか。寧先生」
客の一人がそう言うと、寧先生と呼ばれた男がゆらりと立ち上がった。
その男、寧はもじゃもじゃ頭で襤褸を纏っているが、無精髭に目をつむれば顔立ちは悪くない。
寧は口の前に指をかざすと何事かつぶやいてにやりと笑った。
すると、女の水桶が動かなくなった。
女は困り顔で言う。
「ちょっと、御冗談をなさってはいけません」
寧は色々と不思議の術をなして騒動をまきおこしている道士であった。
他の客もにやにやと笑っており、寧も術を解くそぶりを見せない。
すると、女は急に低い声で言った。
「よろしい。ならば術競べだ」
女が水桶を担いできた棒を放り投げると、それはたちまち一匹の白蛇に変じて、寧に向かってきた。
「小娘、中々やるな」
寧は懐から布袋を取り出すと、その中から黒い粉を巻いて、自身の周囲に輪を描いた。
白蛇がその輪に接すると火花が散って入れない様子だ。
「どうだ」
女は水桶の水を口に含むと白蛇に吹きかけた。
白蛇は大きくなり、輪から散る火花にひるまず、その中に入っていった。
女は冷然と言う。
「もうやめておけ、小僧」
寧はそんな言葉に耳を貸さず、輪を何重にも引いていく。
輪を越えるたびに白蛇の受ける抵抗は強くなる。
しかし、女がその度に水を吹きかけると白蛇もまた大きくなるのだ。
第十五の輪から火焔の柱が立つが、もはや怪獣の様相を呈した大蛇はついに突破して、寧の身体に巻きついた。
みしみしと白蛇が寧の身体をしめつける。
周囲の客はひざをついて謝った。
「けしかけたりして悪かった。どうか、寧先生を離してやってください」
女がぽんぽんと蛇を叩くと、その白蛇は瞬く間に元の担い棒に戻った。
這いつくばってぜえぜえ言っている寧のもじゃもじゃ頭を女は掴んだ。
「お前の術はまだ未熟なのに、何故こんなことをする。私だからよかったが、他の術者に逢えばきっと殺されていた」
女の爪や髪はいつのまにか長く伸びていて、服装も不思議なものに変じていた。
錦の艶やかな着物の上に、麻の葉のような形の被肩をかづいている。
「ま、まさか、麻姑さま!?とんだご無礼を!」
寧はこうべを擦り付けて謝った。
彼はこの女に追いすがり、ついにはその弟子になったということである。