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第七話 比丘尼

 長い爪をした女性は、私の前に盃を置くと瓢箪から紅い液体をとくとくと注いだ。


「手当てはしたけれど、それは一時的なものに過ぎない。このままで何もしなければ薬の効き目が切れたときに貴女は死ぬ。助かるにはこれを飲むしかない……ただし、それには代償があるわ」


「え……」


「死ねなくなるの」


私はこの人は何を言っているのだろう、と思った。

しかし、女性は真剣そのものの表情で続ける。


「それも、ずっとよ」


 東晋の桓温かんおんは数多の武功を打ち立て、その位は軍事の最高位、大司馬にまで登った。

しかし、自ら勝ち取った栄光と周囲からの阿諛追従あゆついしょうとに包まれて多年を過ごす内に、彼の心にはある野心がむくむくと首をもたげてきた。

そんな折、宮中に比丘尼びくに、つまり尼僧にそうがやって来た。

その尼僧の容貌は若く見えたが、古のことに通じており実年齢はずっと上のようであった。

仏門の者にしては爪を長く伸ばしているのが奇異であったが、西域からの渡来僧ということなので、皆そういうものかと納得した。

皆がその才あり徳ある美しい尼僧を持て囃したが、桓温も彼女に心酔した一人で、彼は自身の邸宅に一室を設けて尼僧を住まわせることにしたほどであった。


尼僧が桓温の屋敷で暮らす中で、一つ奇妙な事があった。

その入浴時間が甚だ長いのである。

一般に女の風呂は男のそれよりも長いのは言うまでもないが、いささか度を越していた。

桓温はこの事をいぶかしく思うようになり、ついにその浴室を覗いてみることにした。

はじめは尼僧の裸身の美しさに年甲斐もなく見惚れていた桓温だったが、その後に出来した光景を見て次第にその顔は蒼白となった。

尼僧は小刀をつぷりとその腹に刺すと、臓物を取り出した。

続いて、自分の首を断つとそれを風呂桶において、こんどは片手と両脚を切り落とした。

そこまで来て、桓温は風呂桶に置かれた尼僧の首がじっとこちらを見つめているのに気がついた。

桓温は恐れをなしてその場を逃げた。

桓温が更に驚いたことには、浴室から出てきた尼僧の姿は傷ひとつなく元通りであった。

しかし、彼も一代の英雄であるから、勇を振り絞って尼僧を呼びとめると自身の見たことを伝えて仔細を問いただした。

尼僧はくすくすと笑う。


「このように堂々とした覗きの告白があるとは。私、驚きましてよ」


「嘘を言え。お前は私が覗いているのに気づきながら、あれを見せたのだろう。お前が奇術師で何かの繃子ペテンにかけようというならば、そうはいかんぞ。あるいはお前が妖魅ようみの類で、宮中に出入りして帝を狙おうという者ならば、この大司馬だいしば桓元子かんげんしが成敗してくれる」


「あら、忠臣みたいなことを仰るのね。……あれを見せたのはあなたにご忠告したかったからよ」


尼僧はおごそかに言った。


かみしのごうとするのなら、ああなる事を覚悟なさい」


桓温は顔の色を失った。

彼は自身の勢威を恃みに謀反むほんを企んでいたのである。

尼僧はその夜、何処かへと姿を消した。


桓温は謀反を実行に移さず、臣節を全うして世を去った。

しかし、彼の息子である桓玄かんげんは謀反を起こし、比丘尼の予言の如くに無惨な最期を遂げた。

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