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第五話 街

 唐の乾符年間のことである。

りゅう某とよう某という二人の若い僧が連れ立って修行の旅をしていた。

臨海りんかい県のある山を二人が登っていると、苔むした石像、等身大の人間を彫った石像に出くわした。

驚いた二人だったが、目を凝らすと森の奥に更に幾体かの像があった。

皆一様に、こちらに手を伸ばしておいでをしているような、あるいは何かから逃れようとしているような格好であるのが異様である。

像の群れを辿っていくと、山肌にぽっかりと開いた洞窟に行き当たった。

楊が洞窟に入ろうとするので、劉は静止した。

しかし、楊はせせら笑う。


「なに、怖いのか。御仏の加護があれば、鬼が出ても蛇が出ても、なんということはあるまい。恐れるのは修行が足らないのだ」


そう言われると劉も腹が立つ。


「何が怖いものか。行くとも、行けばいいのだろう」


二人が洞窟の中に入ると、穴の横幅は狭く、地面はぬかるんでいてすこぶる歩きにくかった。

しかし、それも二十里あまりのことで、次第に開けて乾いた地面となり、光が見えてきた。


 洞窟を抜けると、そこは賑やかな街であった。

行き交う人々は皆笑顔を浮かべ、物売りが元気よく売り口上を謳い、市場にも活気が溢れている。

桃の花が咲き乱れ、小川のせせらぎの音が心地よい。

二人は雑踏を歩いている一人の女人に目をとめた。

その女人は、錦の着物の上に麻の葉の形をした被肩をつけていた。

頭は髷を結っていて、余りの髪は長く伸ばしている。

それらの時代がかった格好も、爪が鳥のように長いのも奇異の感があったが、二人が彼女に目を止めたのは別の理由があった。

彼女だけが、その顔に憂いを帯びていたからである。


「もし、貴女も旅の人ですか」


劉は女人に声をかけた。


「ええ、わたしはながい旅をしています。永く、永く」


年の頃は十八、九に見えるのに、何歳から旅をしているのだろう、と劉は思った。

いっぽう、楊は女の美しいのに気づいて鼻の下を伸ばして言う。


「女の一人旅とは驚いた。この街は拙僧らと一緒に回らんか。賑やかで楽しそうな街であるし……」


僧侶のくせにこいつは、修行が足らないのはどっちだ、と劉は思った。

女はこんな事を言った。


「楽しい街、そう感じるのは、私たちが通り過ぎるだけの客人だからではないかしら。住むともなれば、楽しいばかりではないでしょう。……同じ旅人として、ひとつご忠告差し上げるわ」


女はすたすたと二人の間を通り過ぎる。


「永く住むのでなければ、無闇に土地の物を口にしないことね。はながたくなるから」


女の声がひどくしわがれていたのに驚いて二人は振り向いたが、女は既に消えていた。


 街を歩いていると二人の腹がなった。

飢えはだんだんと抑え難くなる。

さらに歩いて食い物屋を探すと、いい匂いがしてきた。

二人はすぐに焼餅を売る露店を見つけた。


「さあさ、熱いうちにお召し上がりなさい。美味しいよう」


店主はにこにこと笑いながら言う。

楊は舌を火傷しながら意地汚く焼餅を平らげた。


「さあ、どうしたの、冷めちゃうよ」


店主がしきりにすすめるので劉も焼餅を口に運ぶ。


“ 永く住むのでなければ、無闇に土地の物を口にしないことね。はながたくなるから"


劉の脳裏に女の声がよぎった。


「食べましたねえ、食べた、食べた」


店主は調子の外れた声でそう言った。

その顔から笑みが消え、目がぐりぐりと回る。


「みんなぁぁぁ、新しいお仲間だぞぅぅぅぅ」


店主は唾を散らしながら、大声で叫ぶ。

街の人々が一斉にこちらを見るのがわかった。

みな、無表情だ。

劉は飲み込まずにいた焼餅を吐き出した。

街の人々は、無表情のまま、二人に向かって駆け始めた。


「この街はおかしい!逃げよう」


楊も頷いて、二人は走り出した。

元来た道は住人たちで溢れかえっているので反対方向に走る。

振り返ると、女も子供も杖をついた老人も、皆が能面のような顔で追いかけて来ている。

街を抜け、森に入り、無我夢中で山を登る。

山肌には入り口と似たような洞穴があったので、意を決して二人はそこに入った。

最初は開けた道であったのが、徐々に狭く、ぬかるんだ道になっていく。


「劉、なんだか身体が重いんだ。あの餅に毒でも入ってたのかな。ああ、どうしよう」


「ここを抜けたら直ぐに医者に連れてってやる、頑張れ」


二人はひたすらに暗闇を進んでいく。

追いかけてくる複数の足音が次第に遠ざかり、ついに消えた。

やがて、ちいさな光が見えてきた。

出口であった。


「やった、やったぞ、楊よ。助かったんだ」


劉が振り返ると、そこには楊の姿をした石像が立っていた。

苦しげに外の光に向かって手を伸ばしたまま、楊は石になってしまっていた。

劉は悲鳴を上げながら、転がり落ちるようにその山を降りた。

山の下には砂浜が広がっていて、一人の漁夫が怪訝な顔で劉を眺めていた。


「もし、ここは臨海県のどこですか」


劉がそう尋ねると漁夫は笑った。


「馬鹿を言っちゃいけねえ。ここは牟平ぼうへいの浜だあよ」


自分はどうやら一日で三百里の旅をしたことになるらしい。

劉はただ呆然として静かに打ち寄せる波を見つめるしかなかった。

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