第四話 玄徳墓
唐の世の話である。
唐の判官であった李邈という男は、高陵に荘園を持ち、多数の客を抱えていた。
その内の一人、温某という者が李邈にこう打ち明けた。
「俺は元墓荒らしです」
「それは、犯罪ではないか」
目を丸くする李邈に、温某が答える。
「その通りですが、今はすっかり足を洗いました。心を入れ替えるきっかけになったお話をいたしますので、旧悪についてはお目溢しください」
温某は語り始めた。
◇
蜀の奥深い山中にて、温某と五人の手下は焚き火をして仕事の準備に取り掛かっていた。
ふと甘い香りが漂う。
「おい、誰か、焚き火に何か入れたか」
皆一様に首を振る。
その中に見たことのない女が混じっていたので、温某は驚いた。
「誰だ、お前」
「私は、麻姑。これからあなた達が行くところに参ってきた帰りよ」
麻姑と名乗る女は、麻の葉のような形をした被肩の下に、山に似合わぬ錦の衣を身につけている。
髪は団子に結って、その余は長く伸ばしている。
目はつぶらで、唇は桜色、形のいい鼻をしているまずまずの美人だ。
「故人の眠りを妨げるのはおよしなさい」
麻姑と名乗る女はそう続けた。
温某の部下の一人が蛮刀を構える。
「お頭、この女は俺たちの稼業に気づいている。バラしちまいましょう」
温某は部下を制止する。
「よせ。大事な仕事の前に無駄な血を流すな。ケチがつく」
「験をかついでる場合ですか。この女が亭長にでもチクッたら……」
「ここから成都までは遠い。この女が訴えてから捕り方が来るにも2日はかかる。それまでに逃げおおせられない俺たちでもあるまい。それに、俺たちは、墓荒らしであっても凶賊ではない」
部下達もついには黙った。
温某は女を見据えた。
「そういうわけだ。見逃してやるから、とっとと行け」
「あら、墓荒らしも一流の者は矜持があるのね。気に入ったわ。あなたには助言を差し上げましょう」
そう言って、女は温某に近寄ると、耳元で囁いた。
「陛下に見えたら、蜀人のするようになさい」
その声が見た目と不釣り合いに老けたものだったので、温某は驚いた。
しかし、意味を問いただそうとすると、女は煙のように姿を消していた。
◇
温某達は奇妙な女のことを頭から振り払って、目的地に向かった。
苔むした土塊の中に、石碑が倒れている。
石碑は摩滅していて何が書かれているかはわからなかったが、おそらくここらしい。
深い松林を五、六十丈も切り開くと、自然のものではない、人の手になる土の盛り上がりがある。
土を掻き分けると、確かに石の門が見えてきた。
遂に目的の陵墓に辿り着いたのだ。
石門は溶けた鉄で隙間が塞がれていたが、温某一行は熟練の墓荒らしである。
こちらも火を焚いて溶かした糞汁を根気よく鉄の部分に浴びせ欠け、遂には石門の隙間の鉄を融解させた。
いよいよ開門である。
喜び勇んで石門を開いた部下が、あっと悲鳴をあげるとばったりと後ろに倒れた。
その身体には無数の矢が刺さっていた。
温某の手下は四人になってしまった。
温某が門の横から風呂敷をひらひらとさせると、これも針鼠のようになった。
温某たちは手近な木を切りたおして丸太の盾を作り、それに隠れながら進んでいった。
矢はどうも部屋に設置された人形から放たれているらしい。
十分近づいて丸太を押し倒すと、人形は腰からへし折れた。
矢の雨が止まった。
人形は弓を構えた白髭の老将のようだった。
いかなる絡繰であろうか、弓の所に穴が開いていて、そこから矢が飛び出てくる物らしい。
「この人形、蜀の五虎将軍のひとり、黄忠だ。こいつが護っているということは……間違いない。ここが劉玄徳の陵、蜀の昭烈帝、劉備の墓だ」
“成都近郊の劉備の墓は諸葛孔明が盗掘を避けるために造らせた偽の墓であり、本物は別のところにある”
墓荒らし達の間で囁かれてきた伝説である。
しかし、いま伝説は現実のものとなった。
墓の中は多層構造になっていて、黄忠の人形の後ろに更に扉があった。
扉を慎重にひらく。
布や石を投げ込んでみるが反応がない。
一人の部下が恐る恐る入っていくと、がちっという重い音がした。
部下は悲鳴をあげる間も無く、壁から伸びた槍によって串刺しにされてしまった。
槍は連続で抜き差しされ、部下の身体は穴だらけだ。
温某は槍が突き出された瞬間を見計らって、その穂先を剣で斬り落とした。
部下を助けおこすが、既に事切れている。
これで残る部下は三人。
部屋の中には壁から出てきたと思しき、折れた槍をむなしく突き出し続ける趙雲の絡繰人形があった。
「こちらは重さで動く絡繰か」
次の扉を開く。
石を投げてみる、反応なし。
温某は部下の死体を次の部屋に放ったが、これも反応なし。
部下の一人が進んでいく。
「お頭、この部屋は何もな」
上から馬に跨った金属製の武者の像が落ちてきて、部下をぐしゃぐしゃにしてしまった。
音に反応する罠であったらしい。
残った部下は二人。
馬超の像と潰れた蛙のようになった部下を横目に、無言で次の扉を開く。
床の真っ黒な部屋の中には燭台が立っていて驚くべきことに煌々と灯りがついていた。
奥には棺があって、その後ろには棺を見守るように羽扇を持った諸葛孔明の像が佇んでいた。
玄室についに辿り着いたのだ。
二人の部下と共にゆっくり進む。
温某は侵入前に出会った奇妙な女の言ったことを思い出していた。
“陛下に見えたら、蜀人のするようになさい”
蜀の人は、劉備に対すること神のごとくである。
人が信仰する神に出会ったら、することは……。
「ひざまずく」
温某はそう叫ぶと同時に、その場に膝をついて跪拝した。
しかし、二人の部下は間に合わなかった。
壁に描かれた関羽と張飛の絵の隙間から飛び出た大刀と矛によって、一人は胴から両断され、もう一人は首を刎ね飛ばされてしまったのである。
遂に温某は一人になってしまった。
温某は這いつくばりながら進み、棺に手をかけた。
諸葛孔明の像の方を見るが、特に反応はない。
棺を開ける。
いかなる技術によるものか、劉備の亡骸はまるで生者のようにみずみずしく、まったく腐敗していなかった。
しかし、その身体には副葬品が何もなく、ただ粗末な杯が三つ、胸の上に置いてあった。
温某がその杯を手に取ると、かちり、という音がした。
諸葛孔明の像の手が動き、羽扇が顔の前を通過する。
孔明の顔が赤く鬼のような形相に変わっていた。
風がどこからか吹き込んでくるのがわかる。
棺が軽くなると動作する罠だ、そう気づいて杯を戻すが、もう遅い。
風が燭台を倒す。
床が燃え始めた。
床の黒いのは瀝青であるらしかった。
背後で勝手に扉が閉まり始める。
無我夢中で駆け、どう逃げ出したか、もう覚えていない。
墓から飛び出した温某が振り返ると、陵墓全体が燃えていた。
温某は燃え落ちる墓の中から、何者かが高笑いするような声が響くのを確かに聞いた。
それ以来、温某は墓荒らしをやめた、ということである。