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第三話 鬼

 明の世のことである。

平陽の刑場に女が泣く声が響いていた。

形場では革の鞭を持った男が、赤裸に剥かれた女を追い回して、執拗にその鞭を振り下ろしている。

その様子を多くの見物人が見ている。


「あの女の人は、どんな大罪を犯したのですか」


見物客の男の一人に、傍に立っていた女の見物客が尋ねた。

その女性は、頭に二つのお団子を作って余の髪は長く腰まで伸ばし、麻の葉の形をした被肩の下に錦の衣を着ていた。

とりわけ、特異なのはその手の爪が鳥のように長いことであった。


「いんやぁ、ただの娼婦だよ。だが、朱鑠しゅしゃくさまは売春のたぐいを厳しく禁じていてね」


長い爪の女からは甘い香りが漂っている。


「朱鑠さま?」


「この平陽の県令けんれいさぁ。とにかく風紀に厳しい方で、ああやって自ら罪人を罰しなさる。泥棒の手首を切り落としたり、額に墨を入れたりを自分でね。宮刑のときはアレを手ずからちょん切ったり。あと、微罪でも女には特に厳しいんだ」


形場の朱鑠は、鞭打たれて全身にみみず腫れが出来た女の首を引っ掴むと剃刀で乱暴にその髪を剃り始めた。


「やりすぎではないかしら」


「そうさなぁ、でもここで一番偉いのは県令だし、家族もあの調子で諫めるものもおらんのよ」


朱鑠の妻や子、妾らしき着飾った美女、そして下男下女と思しき一団は、刑場の特等席から朱鑠に声援を送ったり、拍手をしたりして不気味な笑顔を浮かべている。

朱鑠は仕上げとばかりに小刀を取り出すと、娼婦の鼻の穴にそれを差し込んで引き割いてしまった。

娼婦の絶叫と、朱鑠の高笑いが刑場に響く。


「はっはっは、淫売め。これで客を取れるものなら取ってみろ」


見物客の男も、見物に来ていたにも関わらず、たまらず目を背ける。


「ああ、ひでえ。頭がどうかしてる。鬼だよ、朱鑠さまは。あんな鬼が、街の治安を回復させた功績で中央にご栄転というのだから、世の中もどうかしてる」


「鬼ならば退治しなければね」


女の声が急に低く、しわがれた老婆の声のようになった。

驚いて男が横を向くと、女は消えていた。


 中央に栄転となった朱鑠は一族を引き連れ、道中の旅館に宿を取った。

旅館の主である夫婦に案内されているとき、朱鑠は不可解なことに気づいた。


「おい、一番広い作りの角部屋が空いているのに、なぜここを案内しない」


一族の他の者と同じ広さの部屋とは家長を舐めているのか、と朱鑠は喚き散らす。


「は……この部屋は、そのぅ、出る、と言いますか」


旅館の主人は、角部屋には鬼が出るため現在は使っていない、ということを朱鑠に伝えた。


「はっはっは、この朱鑠が、物の怪などを恐れるものか」


朱鑠は主人が止めるのも聞かず、角部屋に泊まることにした。

夜も三更、つまり零時を過ぎた頃、部屋の戸を叩く者があった。

朱鑠が剣を手に戸を開くと、そこには老婆が一人立っていた。


「わたしは物の怪ではありません。この宿の先代の妻、いまの主人の母にございます」


「そのばばあが俺に何の用だ」


老婆は涙ながらに語る。


「私の夫はこの部屋の怪異にとり殺されてしまいました。息子夫婦は怖がるばかりで夫の仇を討ってくれません。今日は年に一度、かの鬼が現れる日にございます。この日に貴方様のような貴人、まことの勇者がお泊まりになったのも、天の思し召しにございましょう。どうか、夫の仇を討ってくださいまし」


気を良くした朱鑠が快諾すると老婆は涙の中にも笑顔を見せた。

老婆は長い爪で顔を覆いながら言う。


「もうすぐ鬼が現れます。鬼は何匹もありますが、貴方なら大丈夫。一刀のもとに斬り伏せてくださいまし」


果たして、すぐに戸を叩くものが現れた。

朱鑠が思い切って戸を開けると、そこには蚯蚓みみずが女物の衣服を着たような化け物がのたくっていた。

朱鑠は怯みながらもその化け物を斬り伏せる。

化け物は相次いで現れた。

鼻のない蛙のような化け物、手からびゅーびゅーと血を噴き出す蜥蜴とかげのような化け物、全身に入れ墨のような模様の入った蛞蝓なめくじのような化け物。

最後に歩く陰茎のような比較的小さい化け物を斬り伏せると、夜が明けた。

肩で息をしている朱鑠の部屋を旅館の主人が覗く。


「おう、見ろ。やったぞ」


「あ、あ、あ、とんでもないことを!お客様、なぜ、そんな」


旅館の主人は朝の膳をその場に落としてしまった。

朱鑠の周囲には無惨に斬り殺された朱鑠の妻や、妾、下男下女、そして息子が転がっていたからだ。

朱鑠もやっと我に帰った。


「な、なんだこれは。俺はお前の母に涙ながらに頼まれて」


「私の母はとうの昔に死んでおります」


「じゃあ、あの、ばばあは」


「貴方がた一族の他には、今朝早く出立した十八くらいの女のほかは、お客はおりません」


朱鑠は刀を取り落とした。

茫然自失となった彼は捕らえられ、詮議を受けた。

事件は公的には、朱鑠が夜中に大声で独り言を喋りはじめたのを心配して隣室の妾が様子を見に来た、それを錯乱して斬り殺し、その騒ぎを聞きつけてやってきた一族郎党を次々に手をかけたものである、という事になった。

精神錯乱による責任能力の有無などという丁寧な議論のなされる時代ではなかったから、朱鑠は死刑に処されることとなった。


刑場に引き立てられた朱鑠は叫んだ。


「鬼が、鬼が、いたんだ。確かに」


野次馬が罵って言う。


「鬼はお前だ!この殺人鬼め!」


刀が振り下ろされ、朱鑠の首が湿った音とともに転がった

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