第十八話 登仙郷
唐の天宝年間のことである。
当時、河南にある仙鶴観という道観には、彪真人という年嵩の道士をはじめとして七十人あまりの道士が居住していた。
皆、修道を怠らない熟練の道士であり、未熟な者は入れないとの評判だった。
ある年の九月三日、河南の剣客である譚富栄という者が県令の張竭忠の依頼を受けてこの評判の道観を目指していた。
譚がついた時、門の前で女道士と白髪の老人が言い争っていた。
女道士は麻の被肩をかづき、錦の着物を着たまずまずの美人だ。
団子のように高く結い上げた髪と、長い爪が印象的だった。
対する老人は長い黒衣を身にまとい、背は高く、その目は射るようで、随分と迫力のある風体であった。
譚はあれが彪真人であろうと見当をつけ、身を隠して、その様子を窺った。
「その登仙の仕組みに興味があるの。確かめたら、すぐに帰りますから」
「うちは女冠は入れていない。帰りたまえ」
二人は互いに譲らず、ついに彪真人は女道士をなかば突き飛ばすような形で追い出すと門を閉めてしまった。
女道士はしばらく門の前に立っていたが、木の影に隠れている譚の方を向くと歩いてきた。
「お侍さん。あなたも登仙の真偽を確かめにきた方かしら。私の名は、麻姑。こういった仙術に興味があるの」
見つかってしまっては仕方ないと、譚は木陰から身をあらわした。
「おう、今日が年に一度の登仙の日だからな。もっとも、俺は仕事で来たのだが。俺は、譚富栄だ」
この道観にはある噂がある。
毎年九月三日の夜をもって、一人が登仙する、というのである。
この日、自室で瞑想する道士たちの内、必ず一人が忽然と姿を消す。
道士たちは今年こそは自分が、と祈りながら天からの迎えを待つのである。
「信仰にけちをつけにきたわけではないけれど……」
「うむ、県令殿もこの旧例には懐疑的でな。依頼を受けてその真実を調べに参ったのだ」
二人は同じ目的を持つ、ということで夜までここに潜み、道観を監視することに決めた。
◇
宵に至るまでは何事もなかったが、夜も三更を打つ頃、道観の中から黒い大きな影が躍り出た。
影は一人の道士を咥えているようであった。
譚が矢を射かけると、影は道士を振り落として、闇の中に消えた。
麻姑が松明に火を灯す。
振り落とされた道士は失神しており、道には転々と血痕が残っていた。
「一旦応援を呼びに山を降りる?」
そう問う麻姑に譚は答える。
「いや、そんなことをしていると取り逃がす。大丈夫。血が出る相手ならば、殺せるはずだ」
二人は血痕をたどり、道観の裏手にある古い陵墓に辿り着いた。
陵の入り口はぽっかりと開いており、誰かに盗掘された後は荒れるに任せてあるらしかった。
二人が石室にたどり着くと、一匹の黒豹がこちらを見据えて唸っている。
麻姑はおもむろに胸元から鉄牌を取り出すと、黒豹に向かって投げつけた。
破裂音が石室内に響いて鉄牌が爆裂した。
大きな黒豹はだがしかし、鉄牌の破片が突き刺さった顔から血を流しつつも、麻姑に踊りかかった。
黒豹は麻姑に覆い被さったまま、その動きを止めた。
譚の抜いた刀が、横合いから黒豹の首を貫いていた。
洞窟の中には、無数の人骨と、ぼろぼろになった道士の衣冠が散らばっていた。
黒豹が退治されたその日以降、仙鶴観で登仙する者は出なくなった。
また、彪真人も姿を消した。
仙鶴観は、次第に訪れる道士もいなくなり、今では廃寺になっているという。