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第十一話 糟糠の妻

 宋の時代のことである。

鄂州がくしゅう李少将りしょうじょうは、官命を受けて広陵こうりょうに赴任してきた。

赴任して数日は身の回りの支度のために休暇が与えられていた。

彼は支度を済ませて時間を持て余したので、街にいる良く当たるという女の占い師を戯れに訪ねてみることにした。

長い爪の、若い女の占い師は、李の顔を見るなり、こう言った。


「奥様が迎えに来られます」


「鄂州からか?そんな訳はあるまい」


「いえ、ここからです」


女占い師は見た目にそぐわないしわがれた声で地面を指差した。

李はぞっとして、その場を逃げるように去り、官舎に戻るとまだ昼間だというのに布団をかぶって寝てしまった。


 数年前のことである。


 「きゃあああ、奥様、奥様が!旦那様、旦那様どこに行かれたのですか!お助けください」


血溜まりの中で女が一人倒れており、もう一人の少女が叫んでいる。


「旦那さまは来ない」


冷ややかな声とともに賊の振るう刃は叫ぶ少女の胸をも貫く。

絶叫、そして静寂。

二人の女を惨殺した犯人は顔を隠していた頭巾を取る。


「何故なら、俺がその旦那さまだからな」


李が旅行の最中に妻と下女を殺めたのには理由があった。

李が軍で頭角を表すと、上司に大層気に入られた。

上司は、君が既婚でなかったら我が娘と娶せたかった、とまで言った。

若い頃から苦労を共にした糟糠そうこうの妻、妻の不在時に度々関係を持っていた下女、これらは俄に立身出世の邪魔者となったのだ。

李は揉み合ったような傷を自分につけると凶器の匕首あいくちを捨て、二人の死体を河に流す。

彼は郷里に戻ると、旅行中に賊に襲われて二人が河に落ちたと大騒ぎした。

疑われなかった。

喪が明けると上司の娘との縁談が持ち上がり、やがて再婚した。


 李は二人を殺した時の夢を見て、汗をぐっしょりとかいて目覚めた。

まだよいの口であった。

もう終わったことだ。

こんな時は商売女でも抱いて、酒を飲んで全てを忘れてしまおう。

彼は従卒一人を連れて、色街いろまちに繰り出した。

しばらく夜の街をふらついていると、花売り娘が袖を引く。


「もし、素敵な殿方。少しだけ私と遊んでいきませんか」


花売りといっても、もちろん夜に花を売っているわけではない。

娼婦が表向きの商売として花を売っているだけで、むしろ花を一輪持っていることが娼婦の目印であった。

李は好みの女かどうか顔をよく見たが、あっと声を上げた。


「お、お前は幽鬼か人か」


女は口に手を当て、わっと泣き出した。


「人にございます!ああ、旦那様、お懐かしい」


女は李が殺して沈めたはずの下女であった。

下女は今までの苦労をどっと話しだした。


「私と奥様は賊に襲われて、そのあと河に流されたのでございます。そうして下流にあたるこの街に流れ着いて、引き揚げられたときに幸いにも息を吹き返しました。しかし、お金もなく、旦那様のところに戻る手立てもありませんので、やむを得ず奥様とともに春をひさいで日々をしのいでおりました」


李は聞き返した。


「いま、奥様、と言ったか」


「はい、奥様も生きてらっしゃいます。どうぞ、お会いになって、私たち二人を苦界からお救いくださいまし」


下女に案内されて、李は裏町の一画にある粗末な家にたどり着いた。

従卒を玄関に待たせて、奥の間に進む。

戸を開けると、果たして殺したはずの妻がうらぶれた様子で坐していた。


「あなた!あなた!また生きてお会いできるなんて、ああ、夢のようでございます」


妻もわあわあ泣いて李に抱きついてきた。

李がなだめると、妻もまた今までの苦労について詳しく語った。


「仮にも軍人の妻ともあろうものが、このようないやしい境遇に身を落とし……うう……どうか、どうか叶うならば以前のように私を妻として遇してください」


「もちろんだとも。今まで苦労をかけたね。また一緒に暮らそう」


李はそう言って妻の頭を撫でながら、この二人をどのように始末しようかと考えていた。


「嬉しい!」


妻は李の胸に顔を埋めた。


「これからはまた一緒に暮らせるのですね。永遠に」


 玄関で待たされていた従卒はいつの間にか寝てしまっていた。

昼近くなっても音沙汰がないので、奥の間を開けて中を改める。

奥の間は、床一面に鮮血が広がり、ぼろぼろに裂けた李の衣服と白骨が散らばっていた。

隣家の者に尋ねると、その家は十年ばかりも空き家であると言った。

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