英雄を訪ねて
イライナ本線(現イライナ東部線)
イライナがノヴォシアに併合されていた時代の路線の一つ。帝都モスコヴァから現イライナ首都キリウまでを結んでいた。当時のイライナは食料生産地としてだけでなく、工業化を進めるための投資が積極的に行われていた地域でもあり、技術者や労働者の移動が多かった事から特に需要の高い路線として知られていた。
しかし1894年のイライナ独立後、イライナの国防政策によりキリウ~モスコヴァ間の直通運転が行われる事はなくなった。ノヴォシア側の抗議に対しイライナは『イライナ側の線路の酷使による老朽化』を原因として主張しているが、実際は【ノヴォシアの侵攻が実施された際、国土に列車でそのまま乗り入れられる事を防ぐため】であったとされる。
そのため現在モスコヴァからキリウに向かうには高価な空路で移動するか、マズコフ・ラ・ドヌー駅で降りてからタクシーやバスで移動する必要があるなど不便になっている。なお、ノヴォシア側から『マズコフ・ラ・ドヌーからリュハンシクまでの短距離を結ぶ”イライナリレー線”を用意してはどうか』という提案があったが、工事費と安全保障上の懸念点から2025年現在でも実現していない。
このように直通運転こそされていないが線路自体は残されており、また定期的な点検と整備も行われている事から走行に支障はなく、巧妙に偽装されたイライナ側の列車が不定期的にノヴォシア側に乗り入れる事もあるという。
1907年 5月4日 12:38
ノヴォシア社会主義人民共和国連邦 マズコフ・ラ・ドヌー駅
最近、やけにイライナの方が騒がしい。
懐中時計を取り出して時刻を確認、ホームの上に吊るされている時刻表を確認しながら、マズコフ・ラ・ドヌー駅に努める駅員は今朝の事を思い出す。
アラル山脈で山火事があった、というニュースが流れてきたかと思えば、未明に”蒼い彗星を見た”という住民の目撃情報が新聞やらラジオで報じられている。そしてイライナのアレーサ方面で津波があった、とも。
幸いマズコフ・ラ・ドヌーはアルミヤ半島が盾になってくれる形で位置しているため、多少の潮位の変動は観測されたものの殆ど津波による被害は出ていない。
いったい昨晩は何が起こったのか―――まだ眠い瞼を擦りながら時刻表を確認するが、定刻になったというのに列車がホームへとやってくる気配はない。
やれやれ、と呆れかえる。ノヴォシア帝国時代はといえば、それはもう列車がやってくる時刻はぴたりと正確だった。広大な国土を移動するための手段である鉄道はノヴォシア帝国にとっては生命線であり、その整備や維持に巨額の投資を行い、また運転士への指導も徹底されていた事もあって『ダイヤが狂えば明日は雨が降る』と言われるほどだった。
しかし帝政ノヴォシアが崩壊し共産主義政権になってからというもの、美徳でもあった正確な列車の到着時刻は過去のものとなった。
5分や10分、15分の遅延は当たり前。すごい時などは30分も遅延したり、その便が無かった事になったりと、帝政時代を知る人間からすれば信用を失墜させるに十分すぎるほどの醜態を晒している。
こんな事は決して口が裂けても言えないが、諸悪の根源は言うまでもなくノヴォシア共産党だ。レーニンとスターリンが主導する大粛清で軍人や政治家ばかりか大勢の民間人も処刑、または強制労働の対象となっており、その中にはベテランの駅員や運転士も大勢含まれていたというのだから笑えない。
今の運転士は速度と時間の計算どころか、そもそも文字も読めず、簡単な計算も出来ない者が当たり前だという話を聞いて頭を抱えたくなる。
《Внимание пассажирам: через платформу 4 скоро пройдет специальный экспресс. Это опасно, поэтому, пожалуйста, подождите за белой линией(お客様にお知らせいたします。間もなく4番線を、臨時の特急列車が通過致します。危険ですので白い線の内側に下がってお待ちください)》
「ん」
4番線、という放送に顔を上げた。
自分の立っているホームの柱には、確かに”4”と記載されている。
さては遅延回復のためにマズコフ・ラ・ドヌーを通過するつもりか、と一瞬ばかり考えたが、よくよく考えてみれば今のノヴォシア西部鉄道はこのマズコフ・ラ・ドヌー駅が終点である。モスコヴァから出た列車がマズコフ・ラ・ドヌーを経由して、イライナの首都キリウまで乗り入れていたのは帝政ノヴォシア時代の事だ。
しかも列車の案内にはしっかりと『モスコヴァ行き』と記載されている。そもそも進行方向が逆なのだ。
(なんだこれ……ここ下り線だぞ?)
マズコフ・ラ・ドヌーの車両基地から出たばかりの列車ですら、一度はここに停車して時間調整をしてから出発するのが慣例だ。このような案内は聞いた事がない―――それこそ、かつてのイライナからの直通運転でもない限りはこんな案内がされる筈が無いのだ。
装置の故障か何かか、と思いながら線路の方を覗き込む駅員。しかし遥か西方、かつてイライナ領内へ乗り入れる線路があった方向から列車のライトが見え、この案内が決して間違いなどではない事を悟る。
「……嘘だろ?」
見間違いでなければ、確かにイライナ側の線路から列車が乗り入れてきている。
これは夢か何かか、と思っている間にも列車はどんどん駅に迫ってきた。通過するというのは本当らしく、速度を微塵も緩めるつもりが無いのが分かるが―――問題はその速度だった。
目測でも明らかに130㎞/h以上は出ている。200……いや、300㎞/hほどは出ているのではないだろうか。風を切る音を高らかに響かせながらどんどん迫ってくる謎の列車。その車体形状は異形の一言だった。
蒸気機関車とも、イライナでちらほらと現れ始めたディーゼル機関車とも異なる鋭角的な形状をしていた。車高が低く、先端部が未来の飛行機のように鋭角的で、”鼻”がはたらと長いのだ。さながらカモノハシを彷彿とさせるその列車は、速度を微塵も緩めることなくマズコフ・ラ・ドヌー駅のホームへと突っ込んできた。
「うおわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
ごう、と突風が駅構内を薙いだ。
異形の列車に気付いた乗客の何人かが悲鳴を上げ、思わず身を震わせる。
普通の通過列車では決してこうはならないだろう。
凄まじい速度で突入してきた異形の列車は瞬く間にホームを通過して、モスコヴァ方面へと走り抜けていった。
「……な、なんだ今の」
思わず腰を抜かしそうになりながらもそう絞り出す駅員。
あんな列車は見た事がない―――推定300㎞/hで走る列車など。
―――まさか異世界で新幹線に乗る日が来るとは。
はー、と小さく漏らしながら車内を見渡す。
車内は前世の世界の日本を走っていた新幹線と似通ってはいた。そのままではない理由は単純明快、そもそもALFA-Xが試験車両である事と、パヴェルが色々と手を加えているためだろう。
確かに座席は用意されているが、その数が大きく削減されている事が分かる。
少なくとも2025年現在の新幹線は3人掛けと2人掛けの座席がそれぞれ通路を挟んで用意されているのが一般的だ(山形新幹線と秋田新幹線は2人掛け×2)。
しかしこのALFA-X……イライナ仕様の試験車両はというと、座席は通路を挟んで2人掛け×2。それも座席のいくつかは取り外されていて、まるでベッドのように大きく後ろに倒して仮眠を取る事が出来るようになっていた。
おそらく出発の直前に行った簡易的な処置なのだろう、と思う。
パヴェルの話ではイグルーツクまで420㎞/hでかっ飛ばして推定12時間程度の長旅である、という。チェルノボーグ号では130㎞/h程度が限界だったから、あっちで移動していたら居住性は良いだろうがもっと時間がかかっていたに違いない。
祖国存亡の危機が迫っているのである。居住性に拘っている場合ではない。
座席には仮眠を取る際に使うためなのだろう、もふもふのブランケットが用意されている。
「すげー!」
「はっや」
「パヴェルのジジイ、こんな隠し球を用意してやがったか」
はしゃぐアザゼルと素直に驚くラフィー、そして驚きながらもいつものペースを崩さないラグエル。パヴェルの事をジジイ呼ばわりするのはラグエルくらいのものだ。
腕を組みながら感心するラグエルの頭に、こつん、と優しく握り拳が落ちてくる。なんだよ、と抗議する視線を送るラグエルの目の前に現れたのは綺麗な黒髪が特徴的なツナギ姿の少女だった。
パヴェルが娘として保護しているホムンクルスの少女、シズルである。
セシールの妹、という扱いになっている彼女ももう17歳。テンプル騎士団叛乱軍壊滅の際は0歳の赤子だった彼女も、今となっては立派な少女に成長。今ではパヴェルの仕事を手伝う傍ら冒険者デビューしており、姉のセシールと一緒に活動しているという。
オラオラ系のラグエルも、しかしシズルには頭が上がらない。
「こぉら、ラグちゃん。ダメでしょそんな事言っちゃ」
「げ、シズ姉……」
くすくす、とアズやアラエルたちの笑う声が聴こえてくる。
2人は歳が近い(2歳差だ)事もあって小さい頃からよく遊んでいたものだ。ラグエルの容姿がボーイッシュだけど女の子っぽいから、という理由でシズルのドレスを着せられて着せ替え人形と化した時などは、まあラグエルもやっぱり尊厳破壊の宿命から逃れられないんだなと思ったものである。
「い、良いのかよ俺なんかに構ってて」
「んー? 何よツンツンしちゃって。可愛いわね?」
「うわバカバカやめろ抱きしめるなモフるな吸うな、うわシズ姉いい匂い……」
「んふふ、ラグちゃんってホント小さい頃から変わらないわよね。こうやってケモミミの裏側撫でられるの好きでしょ?」
「ンな事……にゃぷ」
全力で否定しようとするラグエルだが、もうどこからどう見ても飼い主に甘える猫のそれだった。目を閉じながら顔をとろけさせて長い尻尾をゆらゆらと……何とも幸せそうである。末永くお幸せに。
2号車を後にして、先頭車両へと向かう。一緒に来たクラリスはというと撫でられている我が子の写真を撮るのに夢中……非常事態だが平常運転な彼女に、ちょっと安心させられる。
「ご主人様?」
「……いや、何でもない。ごゆっくり」
クラリスから逃げるように2号車の扉の向こうへと足を進めた。
……あそこで特攻を選んでいたら、こうして家族と再会する事もなかっただろう。
あの時、機首を上げて特攻を回避したのは半ば無意識だった。自分の意思ではなかったのではないか、とすら思う。まるで第三者が身体を乗っ取ってそうさせたかのような、そんな気にさせられる。
先頭車両は座席がすっかり取り払われていた。
その代わりに設置されているのは、オシロスコープのような波打つ波形が映し出されるモニターや計器類が取り付けられた、黒くて巨大な箱のような機械。表面には『Небезпека: Енергія знищення. Поводьтеся обережно(危険:対消滅エネルギー。取扱注意)』と記載された黄色いステッカーが貼りつけられている。
対消滅エンジンだ。
それが2基、先頭車両の座席があったスペースを潰す形で占有しており、エンジンから伸びたケーブルが床や天井へと伸びている。
本来、新幹線は電化区間でなければ運用できない車両だ。だから新幹線を走らせるには線路だけでなく電線の配置も必要になってくるわけだが、あいにく今のイライナの鉄道は電化率0%。とても新幹線を走らせられる状態ではない。
そこで何をトチ狂ったか、パヴェルは先頭車両と最後尾に対消滅エンジンを後付けしパンタグラフなどの受電設備を完全撤去。非電化区間でも走行できる新幹線に改造してしまったようだ。
一応は「イライナ高速鉄道運用開始のための試験車両」という名目で予算請求が来たので承認したわけだが……コイツ領民の血税でとんでもないものを作ってやがった。
運転席を開けると、やはり運転席にはパヴェルの姿があった。目の前のメーターをチェックしながらちょっとブレーキをかけて減速、カーブを曲がるなり速度を戻している。
「パヴェル」
「……おう、ミカ。元気そうだな」
「……なんか、心配かけた」
「気にすんな……気持ちは分かる」
気持ちは分かる―――彼のそんな言葉が、すっと胸に響いた。
多分、大抵の場合「気持ちは分かる」という言葉は理解した気になっている部外者の言葉でしかないのだろう。だから当事者は、分かった気になって肩を組んでくる部外者に腹を立てるものである。
でもパヴェルの場合は違う。彼の場合は妹を、娘を、そして妻の心を殺されている。俺以上に多くの物を失いながら戦ってきた男なのだ。これほどまでに相応しい共感の言葉が他にあるだろうか。
「……ズメイの動きは?」
「まだ何も。今のところ市街地に新しく被害が出た、って話は出ていない」
「……さすがにヴィリウの戦いで消耗して休憩中か?」
「そうだと願いたいな」
スパー、と葉巻の煙を吐き出して、短くなったそれを携帯灰皿へと押し込んだ。
「いずれにせよ、お前の戦いは無駄じゃなかった」
「え」
「なんだ、気付いてないのか? お前がズメイの注意を上に向けたおかげで、ヴィリウでは住民の避難が進んだそうでな。でもまあ、死傷者は3000人ほどに上ったそうだが……それでも多くの命が救われたそうだ」
「……そう、か」
あの時の俺は、復讐のためにしか戦っていなかった。
住民の命を守る、という使命感もあったが、殆どは母の復讐のための戦いでしかなかったのだ。そんな有様だったというのに、俺が住民を護った……だなんて胸を張っていい筈がない。
恥ずかしくなっている俺の頭の上に、パヴェルのでっかい手がぽん、と置かれた。
「良いから胸を張れ」
「でも」
「お前が堂々としてりゃあみんな安心するんだ。上に立つ者がナヨナヨしててどーすんだ」
……それはそうだ。
上に立つ者の弱い姿勢は、瞬く間に下へと伝播していく。だから指揮官とか貴族は常に堂々としていなければならない。その庇護の下にある民に、不要な恐怖を伝染させないためにも。
ふー、と息を吐き、自分で自分の頬を軽く叩いた。
彼の言葉のおかげで、目が覚めた―――そんな気がした。
対消滅エンジン
この世界固有の超エネルギー『対消滅エネルギー』を用いた動力機関。対消滅エネルギーとは白い光のような姿をしており、触れた物質を瞬く間に消滅させて強い熱を発するという性質がある。多くはこの「物体を消滅させる」という点にのみ着目し兵器として運用されるが、動力機関として用いた場合は原子炉に匹敵するほどの発電効率を誇るうえ、放射能を発する事もないため遮蔽装備が不要という点から優秀な動力機関となる。
対消滅エネルギーは【真空状態になると増殖する】という特徴があるため、エンジン内を適度に真空にしエネルギー潮位を管理しつつ何かしらの物質(多くの場合は大気)と反応させて熱を生じさせる。この高熱でお湯を沸かして蒸気を作り、その蒸気を吹き付けてタービンを回し電力を生み出すというのが対消滅エンジンのメカニズムとなっている。
パヴェルが作成しALFA-Xに搭載したのは、この対消滅エネルギーを用いたボイラーとタービンをパッケージングした小型対消滅エンジンとなっている。1基では出力に不安があった事、また何かしらのトラブルで停止してしまった場合の予備動力が確保できないなどのリスクを回避するため、イライナ仕様のALFA-Xはこのエンジンを2基並列に搭載している。




