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慟哭の空

ミカエルがヒトラーへ宛てた手紙



親愛なるアドルフへ


 最近は寒冷化や飢餓で苦しい毎日が続いていますが、お元気ですか? ちゃんとご飯を食べていますか?


 さて、君が帝立グラントリア美術大学への挑戦を決めたと聞き、大いに喜びました。政治ではなく、絵筆を手にした時の君の眼差しこそ本来君のあるべき姿であると、そして画家こそが君の進むべき道であると私は信じています。


 芸術とは己の内側に潜む光と影を正直に描き出す行為に他ならず、そこではあらゆる嘘が通用しません。その点において君の観察力と集中力は、これまで私が出会ってきた誰よりも確かなものであり、また君の描く絵はただ形をそのままに写すだけではなく、”魂の輪郭”を正確にとらえていると私は思います。それは決して、凡庸な才能などではありません。断言します。アドルフ・ヒトラーという人間は画家になるべくして生まれてきたのだ、と。


 よって、先日話した通り、画材一式と新しい絵の具、それから資金と缶詰を同封して送ります。資金は遠慮なく使い、絵具とキャンバスを惜しむことなく、魂の欲するがままに描いてください。一つの失敗を恐れる者に、決して成功の門は開かれないのです。


 ただ、一つだけ約束してほしい。


 絵を捨てて、決して”別の道”に逃げない事。

 キャンバスの前では誰もが己の内面と真っ向から向き合う事になります。自分の嫌な部分、苦手な部分、目を逸らしたい部分……”自分”という人間を構成する全てと向き合わなければならないのです。そこで生じる苦しみは、かの第一次世界大戦で君が味わったであろう苦難とは種類が違うでしょう。もっと静かで、もっと痛い筈です。

 しかしそれを超える事が出来た者だけが、真に”芸術の作り手”を名乗る事が出来るのです。


 アディ、君ならば耐えられる。己の全てと向き合い、己との対話を乗り越え、きっとそれを芸術として昇華してくれると私は信じています。


 困った事があれば遠慮せずすぐに知らせてください。


 友の夢を支える事が出来るのは、私にとっても誇りなのだから。




 ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ







 ぐちゅ、と生々しく湿った音を発しながら、肉が切り開かれていく。


 僅か数センチのサイコロ状に切り取られた肉片をピンセットで摘まみ上げ、プレパラートの上に乗せるシャーロット。防護服に身を包んだ彼女は自作した顕微鏡で表面を観察し、思わず小さく感嘆した。


 シャーロットの専門は主に機械工学(メカニクス)魔導工学(マジニクス)であり、専門家を名乗れるほどではないが生物工学(バイオニクス)の知識もある。


 そんな彼女が感嘆の声を漏らしてしまうのも無理はない―――イライナ各地で討伐され、リュハンシク城地下の研究所(ラボ)へと運び込まれてきた竜の仔の死骸(サンプル)はどれもこれもが驚きの連続だった。従来の生命体の常識をことごとく覆す、歴史的大発見の連続で、生粋の研究者であるシャーロットは先ほどから湧き上がる好奇心と探求心を抑えられずにいる。


 既に研究所(ラボ)に娘と共に引きこもり、寝食を惜しんで竜の仔の解剖やデータ採取に打ち込んで既に3日。自作した超濃縮カフェイン錠剤をキメ、食事はテンプル騎士団以来となる栄養サプリメントで済ませ、かれこれ3日間風呂に入っていない。


 ミカエル()が聞いたら卒倒しそうな有様で、ぶっちゃけるとミカエルという伴侶が居なければ生活能力ゼロという有様であったが、シャーロットにとっては今こそが最高の瞬間なのかもしれない。


 ともあれ、この瞬間をいつまでも楽しんでいる場合ではない。そろそろミカエルの乗ったSu-30Exがヴィリウ市街地へと到達しズメイ(ズミー)本体と交戦に入る時間だ。適当なところで切り上げて、彼女のオペレーターとして戦闘をサポートしなくてはならない。


「サキ、見たまえ」


「これは……細胞が………え、まだ分裂してるんですか?」


「その通りさ」


 顕微鏡の向こうでは、竜の仔の細胞がごくゆっくりとではあるが、分裂を繰り返しつつあった。


 再生能力、と呼べるほど立派なものではない。それは人間が行う細胞分裂と比較するとずっと緩やかではあったが、しかしここに運び込まれた竜の仔は()()()()()()()()()()()()()()()


 頭が潰された個体、蜂の巣にされた個体、いったいどんな攻撃を受けたのかミンチのように磨り潰され、スムージーさながらのペースト状にされた個体。


 今しがたシャーロットが解剖している個体にしたってそうだ。ミカエルの手により、KS-23のスラグ弾を顔面に受けて上顎から上を吹き飛ばされた挙句、心臓も潰されているのである。鼓動も身体の代謝もすっかり止まっていて、生物的な常識に当てはめてみれば死んでいる……筈だった。


 しかし、有り得るのだろうか。死体がなおも細胞分裂を続けるなど。


 かなり緩やかであるが、もしこれをこのまま放置すればどうなるか―――もしや生き返るのではないか、とつい考えてしまう。


 シャーロットの世界でも、そしてこの世界でもそうだが―――原則として、【死者が蘇る事は絶対にありえない】。


 古今東西、ありとあらゆる魔術師や錬金術師が不老不死を求めた。ある者は名声欲しさに、またある者は時の権力者に命じられて。


 しかしそんな彼らの心血を注いだ探求も虚しく、有史以来不老不死となる方法を発見できた者が現れる事はついになかった。


 2つの世界両方で、だ。


 が、これはどうだろうか。


 死してもなお細胞分裂をやめない竜の仔。


 これは実質的な不老不死と呼べるのではないか―――そう思いながら細胞の様子を観察していると、「ん」とサキエルが不思議そうな声を発した。


「どうしたんだい?」


「母上、これ」


 ぐちゅ、と死体にピンセットを差し入れ、中から血に塗れた何かを引っ張り出すサキエル。からん、とガラス皿の上に置かれたのは大きさ僅か数ミリ程度の、紅く輝く結晶のような物体だった。


「これは?」


「さっき解剖した個体にもありました。あっちの個体にも。それから……あのスムージーみたいになってる個体からも」


 ピンセットで摘まみ上げ、まじまじと観察するシャーロット。


 まるで砕けたルビーの欠片を思わせる、何とも美しい結晶体だった。賢者の石だろうかと思ったが、防護服越しでも触ってみればその質感の違いが分かる。比較的整った形状で採取される賢者の石とは異なり、この竜の仔の身体から採取されたそれはごつごつとした鋭利な刃物も同然だった。


 プレパラートに乗せ、顕微鏡で確認したシャーロットは息を呑む。


(これはこれは……何かの間違いじゃあないのかい?)


 鋭利な結晶体―――その表面から、細胞片が”生えて”いるのだ。


 まるでタケノコが成長するかの如く、結晶体の表面から肉片が伸びてくるのである。


 もしやこれが竜の仔の”核”といえる部位なのでは―――そこまで思い至ったのと、サキエルの金切り声が響いたのは同時だった。


「母上!!」


 愛娘の切羽詰まった声―――振り向くよりも早く、硬質な外殻と鱗に覆われた尻尾が、しなやかな鞭の如くシャーロットの身体を打ち据えていた。


 ボキュ、と腹の中で何かが折れる嫌な手応え。ああ、そういえば今は生身の身体だったか―――機械の空では決して感じる事のなかった「痛み」という感覚に顔を歪め、食いしばった歯の隙間から血を迸らせるシャーロット。


 年齢を重ね、身体の老化が始まる年齢に達しているとはいえ、それでもシャーロットの肉体は常人と比較すると頑丈だ。少なくとも、数多のニートを異世界に送り込んできたようなトラックに衝突されたところで、異世界転生を果たすのはシャーロットではなくトラックとそのドライバーの方であろう。


 それほどの頑丈な肉体を持つホムンクルス兵ですら肋骨をスナック菓子の如く叩き割られたのだ。常人がその一撃を受ければ真っ二つに割かれていたかもしれない。


 バイザーの内側を吐血でべっとりと濡らしながら、「まいったねぇ……」と声を漏らすシャーロット。


 その目の前では、死んだはずの竜の仔がゆっくりと起き上がりつつあった。


 有り得ない光景だ―――確かに死んでいる筈である。夫の放ったショットガンの23㎜スラグ弾、それもトラックのエンジンブロックを容易く破壊に追いやる一撃を受けて頭の全てと心臓を潰されている死体が、どうして起き上がり反撃してくるというのか。


 こちらを向いた竜の仔が、上顎のない頭から空気の抜けるような音を発した。ぶくぶく、と時折泡立つような音も混じっている。頭を潰されているが故に正確な発声が出来ていないのだろう。


 しかしそれでも、間違いなくその竜の仔は”生きて”いた。


 ()()()()()()()()()()()()()


 防護服姿のまま、作業台の上に置いていたホルスターに手を伸ばすサキエル。革製のそれからワルサーP5を引き抜くなりコッキングして初弾を薬室へと装填、発砲する。


 父ミカエルと母シャーロット、そしてシェリル仕込みのテンプル騎士団式射撃。相手が人間であればその正確な一撃は頭部を撃ち抜き、確実に死に至らしめていただろう……そう、()()()()()()()()()


 しかし悲しい事に、相手は人間でもなければ普通の竜でもなく、あらゆる常識の通用しない正真正銘の怪物であった。


 ギュゥン、と9×19㎜パラベラム弾の跳弾する音。


 攻撃を受け、シャーロットよりもサキエルを脅威と見たのだろうか。後足で二足歩行となった竜の仔はゆっくりとサキエルの方を振り向くと、空気の抜けるような音を発しながら、捥ぎ取られた上顎を緩やかにではあるが再生させ始める。


 パキパキ、と薄氷をゆっくりと踏んでいくような硬質な音。それに合わせて傷口から筋肉や骨が生え、さながら理科室にある人体模型のような姿へと変容していく。


 サキエルのワルサーはスライドが後退したまま沈黙していた―――弾切れだ。


 しかしそれでも恐怖に駆られたサキエルは引き金を引き続ける。カチカチ、と虚しく空撃ちする音だけが響いた。


 激痛を発する身体に鞭を打ち、何とか立ち上がるシャーロット。


 さてどうするか―――竜の仔とサキエルの間に割って入るか、と母性本能に由来する自己犠牲を選択しかけた彼女の視界の端に、プレパラートから転がり落ちた例の結晶体が映り込む。


 もしそれが核ならば、とシャーロットは痛む身体を奮い立たせ、渾身の力で結晶体を踏みつけた。


 僅か数ミリ程度の大きさしかない、極小の結晶体。


 それが音を立てて割れた瞬間、変化が生じた。


 今にもサキエルに襲い掛かろうとしていた竜の仔の外殻の隙間から、まるで漏水でも起こしたかのようにピンク色の液体が滲み始めたのである。それはやがて雫と化し、どろどろと足元に流れ落ちていっては、腐臭にも似た悪臭を発する水たまりを形成した。


 サキ、と娘の下へ駆け寄って抱き寄せ、竜の仔の変化を観察するシャーロット。


 親子の前で竜の仔の身体は急激に融解していった。まるで肉体を構成する分子と分子の結合が解けたかのごとく、肉体は液体と化して下へ下へと流れ落ちていく。


 最終的に床一面に肉や臓器だった液体が広がって、研究室の一角は猛烈な腐臭に包まれた。


 残されたのは黒い外殻ばかりだが、それも湿った砂のような質感へと変容するやボロボロと崩壊を始めているところだった。


「死んだ……?」


「やっぱり、あれが(コア)だったか……クックックッ、有用な情報だねェ……!」


 研究者らしい発言をするシャーロットではあったが―――その裏では、愛娘が無事であった事を何よりも喜んでいた。


















『何故だ……何故、何故……ッ』


 これまで、数多の不条理を目にしてきた。


 そういう常識の通用しない壁にぶち当たっては、それの裏をかくか、仲間たちと協力して理不尽も不条理も乗り越えてきた。そうこうしているうちにその道20年のベテランにすらなっていた。


 だからこそ、今更そんなものを見せられても決して驚いてなるものか、という意地すらあった。


 しかし―――散々死力を尽くさせ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 高高度からのストールターンと、ズメイ(ズミー)の動きが鈍ったタイミングで放った必中の一撃は、確かに奴の口の中へと飛び込んだ。そのまま脆弱な肉や臓器を撃ち抜き、あわよくば体内からちらりと覗いた結晶体(おそらく核か何かの類であるとみている)すらもぶち抜いて、後方から抜けていったのを確かに見た。


 それも通常の砲弾ではない―――被弾した対象の再生能力や不死性を無効化し、強制的で死に至らしめるスタウロス弾である。


 乾坤一擲、必殺の一撃を(コア)に叩き込んだというのに、何故―――。




『なんで―――なんで死なねえんだよ……!!』


 


 機体を旋回させながら、俺は呻くように絞り出した。


 衝撃波で抉られ、露出したズメイ(ズミー)(コア)。それには確かに風穴が開いていて、そこから放射状に亀裂が生じ―――紅い光が鮮血さながらに散っているのも確かに確認できる。


 なのに、その風穴すら塞がりつつあるのだ。


 スタウロス弾でも殺せず、(コア)をぶち抜いても死なない。


 ならば―――いったいどんな手段を使えば、ズメイ(この神話の化け物)を殺せるというのか。


 俺はあいつを殺したい。殺したくてたまならい。


 あの何度も何度も生えてくる首を狩って、母の墓前に持っていって仇討ちの成就を報告したい。母の無念を晴らしてやりたい―――この胸を焼く憎しみの炎から解放されたい。


 だというのに、もう俺にはアイツを殺す手段がない。


 対巨竜ミサイルは撃ち尽くした。


 レールガンにはもう、スタウロス弾がない。バッテリーパックもすっかり焼き付いてしまい、砲身ごと工場に返却し再装填してもらわなければならない。


 残ったのはリボルバーカノンのみ、残弾73発。


 殺したくても殺せないもどかしさ―――その無力感が悔しくて、気が付けば衝動のままにコクピットで叫んでいた。身体が自由に動けば手当たり次第に手足をばたつかせて暴れ回り、地団太を踏んでいただろうが、しかしR-2ndシステムで機体と繋がった今はそれが出来ない。


 しかしその怒りが伝播したのだろう―――Su-30Exは装甲の表面に紅い電子回路状の幾何学模様を浮かび上がらせるや、空気を裂く音を怒りの咆哮の如く空に響かせて急旋回。エンジンノズルが吹き飛ぶ勢いで全力噴射させつつ、再生中のズメイ(ズミー)(コア)へと機関砲を撃ち込んでいった。


 27㎜弾を撃ち込まれ、着弾の度に(コア)が紅く点滅する。金切声にも似た苦痛の叫びが聞こえ、もっと苦しめ、もっと血を流せ、あわよくば死ねと念じながら砲弾を撃ち込んでいく。


 しかし唐突に、機関砲までもが沈黙した。


《警告:残弾なし》


 無慈悲な現実を突きつける、女性の機械音声。


 いくら攻撃の意思を発しても、しかし機体はそれに応えない。


 あんなにも自由な、まるで自分の肉体の延長にも思えた戦闘機が―――ただ空を飛ぶだけの棺桶に成り下がった瞬間だった。


『くそっ、くそっ、くそぉぉぉぉぉぉぉぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!』


《ミカ、もう無理だ! 増援に引き継いで撤退したまえ―――》


『こいつっ、コイツだけはここでっ! ここでっ!!!!!』


《警告:間もなく期間分の燃料が無くなります》


 ―――特攻でもするか。


 脳裏にふと、そんな考えが浮かんだ。


 最大速度でコアに突っ込めば、いくらズメイ(ズミー)でも無事では済まない筈だ。


 討伐までいかなくても、再生を強いて負荷をかける事が出来れば儲けもの。あわよくば討伐する事が出来たなら、願ったりだ。


《ミカ、何をしているんだ!? やめたまえ!》


 ―――殺してやる。


《もう武装もないのに―――まさか》


 ―――殺してやる。


《やめろ、やめるんだミカ! それだけは!!!》


 ―――コイツだけは、ここで。


 機首の軸線を再生中のズメイ(ズミー)に合わせ、フルスロットル。


 帰還分の燃料も考慮しない最高加速―――機首がうっすらと赤みを帯び、機体が断熱圧縮に晒され始める。


 コイツだけは、ここで殺す。


 討たなければならないのだ―――イライナの、そして未来を生きる子供たちのためにも。



















 ―――ご主人様。




















 脳裏を過ったのは、クラリスの顔だった。


 彼女だけではない―――モニカにイルゼ、リーファにカーチャ、シェリル、シャーロット。


 そして最愛の妻たちとの間に生まれた子供たち―――俺たち夫婦の未来、希望の結晶。


 気が付けば、機首を上へと持ち上げていた。


 ごう、と紙一重でズメイ(ズミー)の再生中の外殻を掠めて通過。俺が通過した後方でズメイ(ズミー)は何事もなかったかのように再生を終えるなり、東の空を目指して悠然と飛び去っていく。


 警報音とシャーロットの必死の呼びかけが響き渡るコクピットの中。


 一時的に機体の操縦を後部座席のAIに委ね、R-2ndシステムとの接続をカット。意識が自分の本来の肉体に戻ってくるなり、アームレストから震える両手をそっと持ち上げた。


 ナノマシン入りの、どろりとした対Gジェルの中―――震える両手の指を組み、まるで神に祈るような姿勢で身体を震わせる。


 ―――もしあのまま突っ込んでいたら、どうなっていたか。


 間違いなく俺は死んでいただろう。


 妻たちをいっぺんに未亡人にしていたに違いない。


 ―――そして家族たちに、俺が今抱くこの復讐心を植え付ける事になっていたかもしれない。


 前世の世界にいた頃、自分という存在は小さなピースに過ぎないと思っていた。そんなものが1つ欠けたところで世界は問題なく回り続けるし、瓦解もしない。欠けても変わりがある部品に過ぎないのだ、と。


 しかしこうして見ると、意外と自分って周囲から欠けたら拙いんだ、という事に気付かされる。


 こんなところまで、俺を信じてついてきてくれた家族たち。


 そんな家族の優しさを裏切り、1人で死のうとした事を恥じた。


 やがてそれはズメイ(ズミー)を討ち果たせなかった悔しさとどろどろに混ざり合い―――涙の姿を借りて、両方の瞳から零れ落ちる。


 ぼろぼろと、大粒の涙をこぼしながら泣いた。


 恥ずかしくて、悔しくて、家族を裏切ろうとした自分が許せなくて。


 何も出来ない自分が、弱い自分が許せなくて。


 ただただ、泣いた。


 慟哭だけが、今の俺にできる全てだった。











『クソぉぉぉぉぉぉぉぉぉぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!!!!』







ミカエルへ宛てたヒトラーの返信



 親愛なるミカエル殿へ


 あなたから届いた画材一式と手紙、そして私には過分とも思えるご支援。全て胸が熱くなる思いで受け取らせていただきました。


 私はこれまで、絵を思う存分描きたいという気持ちを抱きながらも、心のどこかで「私には絵の才能がないのではないか」と思い、その恐怖を拭い切れずにいました。しかしあなたの手紙を読んだ時、その恐怖が少し薄れたような気がします。


 あなたが私の絵を『魂の輪郭を捉えている』と評してくださったこと。あの一文は、何度読み返しても信じられないほど嬉しく、画家を志す私の自尊心を強く支えてくれました。


 私は、頂いた画材を使い、まずは毎日一枚絵を描くと決めました。決して筆を止める事が無いように。あなたの言うように、失敗を恐れては前へは進めません。その言葉は私の胸に刺さり、同時に私を奮い立たせてくれています。


 そして、あなたが求めた「逃げない」という約束。


 それは私にとってこれ以上ないほど厳しく、しかしまさに今必要な戒めです。

 絵を前にすると、自分の弱さや未熟さがまざまざと思い浮かびます。正直、何度か逃げ出そうとしました。世の中の理不尽を正そうと政治家になろうと思った事もありました。しかしそれは、あなたに言わせればまさしく「逃げ」なのでしょう。


 しかし、私はあなたに誓います。


 私は、決して筆を捨てません。

 どれだけ苦難の連続であろうと、その道が遠かろうと、私は描き続けます。


 ミカエル殿。

 あなたの友情と信頼は、私の人生を新しい方向へと導いてくれました。

 あなたが居なければ、私は画家への道を諦めていたかもしれません。


 美術大学の試験まで残された時間は多くはありませんが、私は貴方の期待に応えるため……そして自分の内にある『描きたい世界』を形にするため、全力で打ち込むつもりです。


 また進捗があれば報告いたします。

 本当に、ありがとう。



 アドルフ・ヒトラー






 この後、一度は落第するもののヒトラーは無事に帝立グラントリア美術大学へ入学。ドルツを代表する画家として大成し、実り多い人生を歩むこととなる。

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― 新着の感想 ―
やはりコアを潰さないと幼体すら細胞分裂などで復活するんですか…既に肉体全盛期を負えているシャーロットは危機一髪でしたね。これ、ヴィリウで未だに跋扈している。あるいは駆除された幼体ズミーも同じリスクを持…
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