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復讐の天使ミカエル

ラ・ピュセル


 フランス語で『乙女』。Su-30Exに搭乗しパイロットとして活動する際のミカエルのTACネームである。37歳を迎えても20代と変わらぬ……というより昔から全く変わらない小柄な体格と、幼く、妖精のような美貌のせいでいつまでも少女と勘違いされる己の境遇を皮肉ったネーミングであるようだ。


 なお、ラ・ピュセルはフランスの英雄ジャンヌ・ダルクの別名でもあり、またジャンヌ・ダルクに神の啓示を与え戦争へと駆り立てたのはかの【大天使ミカエル】であるとされている。



 1907年 5月4日 午前4時32分(リュハンシク標準時)


 イライナ公国 リュハンシク州 州都リュハンシク郊外 


 リュハンシク空軍基地





《こちらリュハンシク・タワー、警戒信号Д-3発令。ヴィリウ方面南東45㎞、高度1800に特級魔導反応。進路270、西進中》


 管制塔にいる戦闘人形(オートマタ)のオペレーターが発する無機質な声が、まるで耳元で喋っているかのようにはっきりと聴こえてくる。無論それは通信システムを通じた音声なのだが、専用のパイロットスーツとナノマシンを添加した対Gジェルを介しシステム的に機体と”繋がった”状態の俺からすれば、それは直接近くで話しかけられているようにも―――いや、相手の伝えたいと思っている情報が直接、脳内へと入り込んでくる感覚に等しい。


 必要な情報だけがスッと頭の中に滑り込んできて、脳に記憶として焼き付いていくのだ。


 人体と兵器の融合―――そんなSFじみた芸当を可能とするのがこのR-2ndシステムである。今の俺にとってこのSu-30Exは空を飛ぶ兵器ではなく、”己の肉体の拡張”とも言える存在であった。


『こちら”ラ・ピュセル”、スクランブル了解。R-2ndシステムとの回線確立、メインシステム起動。離陸準備に入る』


《了解。ラ・ピュセル、滑走路への侵入を許可します。現在風向き南南西、風速8メートル。外気温-3℃。気圧標準》


 外気温-3℃―――今はもう、5月である。


 いくらイライナやノヴォシアが寒冷な地域とはいえ、5月にもなれば氷点下になる事はない。肌寒い日が少し続き、それから短い春と夏が始まって、秋になり、あっという間に冬が始まる……それがイライナの1年のサイクルである。


 シャーロットの危惧していた事が、早くも現実となりつつあるようだ。


 ズメイ(ズミー)のブレスの威力は、あのツァーリ・ボンバの三百万倍にも達するという試算が出ている。


 それほどの威力のブレスを放てば、いったいどうなるか。


 まずは着弾までの間に蒸発した岩盤や土壌、植生に犠牲者を含む様々な物質の粒子が対流効果により成層圏まで吹き上げられる。そしてそれらの微細な粒子は火山灰の如く空を覆い、太陽の光を覆い隠してしまうのだ。


 火山の噴火で生じた火山灰が陽の光を遮り、結果として地上の寒冷化を招くのと同じ現象である。


 ただの一撃で発生する疑似的な”核の冬”―――アラル山脈で一発、アレーサ沖で一発。合計二発放たれたブレスの影響により、その影響は早くも生じつつあった。


 イライナは農業大国であり、国土全土が穀倉地帯となっている。食料自給率の高さは世界随一であるが、それは土壌の肥沃さだけで成し得たものではない。遥か空の高みから恵みの光をもたらす太陽あってこそだ。


 日照時間が減り、寒冷化が本格化すれば今年の農作物は不作になるだろう。それだけではない。森林地帯なども大きな影響を受け、生態系に甚大なダメージが与えられるであろう事は想像に難くない。


 いざとなれば城の食料を領民へ配給するつもりだが、しかしそれでもいつまで持つか……。


 いずれにせよ、ズメイ(ズミー)は一刻も早く駆除しなければならない。


 あれは生かしておいてなにも良い事は無いのだ。存在するだけで破壊と蹂躙を撒き散らす文字通りの邪竜である。


《ミカ、聴こえるか》


 パヴェルの声だ。


『聴こえるよ』


《……あまり、死に急ぐなよ》


『……ああ、ありがとう』


 短く応じながら、思った。


 きっとパヴェルも―――かつてはこんな感情だったのだろう。


 家族を失う喪失感と絶望。そして心の中にぽっかりと開いた穴から怒涛の如く吹き出してくるどす黒い感情―――復讐心。


 なるほど、確かにこれは辛い。これ以上ないほどに。


 生きているだけで絶望と憎しみに心を内側から焼かれ続ける。そしてそれは、決して癒える事は無いのだ。失った物は二度と戻らぬが故に。


 だからこそ、この喪失感を知ってしまった人間は苦痛を取り除くため……いや、かつての幸福だった日々に折り合いをつけるために復讐に走るのかもしれない。かつてのパヴェルが、妹と愛娘を奪われ復讐に狂ったように。


《リュハンシク・タワーよりラ・ピュセル、滑走路クリア。離陸を許可します》


『了解。ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ、出撃する』


《Хай живе Рігалов(リガロフよ、永遠なれ)》


 どう、と大口径のエンジンノズルが火を噴いた。


 唐突に生じた大推力が、Su-30Exの機体をぐんぐん先へと進ませていく。


 両足に力を込め、あらん限りの勢いで駆け出す姿をイメージ。その電気信号を受け取ったR-2ndシステムが機体にそれを伝達し、肉体の拡張と化したSu-30Exは忠実にそれを機械的動作として現実に出力する。


 ふわり、と身体が浮かぶ感覚。ここだ、と確かな手応えを感じると共に勢いのままジャンプする姿をイメージすると、Su-30Exのランディング・ギアが滑走路を離れ―――そのまま機体が舞い上がり始める。


 ランディング・ギアを収納、そのまま高度を上げていく。管制塔から《ラ・ピュセル、高度制限を解除。ご武運を》と通信が入り、機体の翼を軽く振って応じる。


 ふう、とパイロットスーツの中で息を吐いた。


 まるででっぷりと太った宇宙服のような大掛かりなスーツに、金魚鉢みたいなでっかいガラス製のバイザーが付いた特注のパイロットスーツ。自力では歩行ができないほどの重量だが、しかし今は息苦しさは感じない。コクピットの中はまるでぬるま湯に浮かんでいるようで、しかしそれでいて空を自由に飛んでいる解放感に満ちている。


 少し遅れ、Su-35Sの編隊が後を追うように上昇してきた。


 コクピット周りを拡大してみると、キャノピーはガラス張りのまま残されているが、機体にパイロットが登場している様子はない。代わりにパイロットが収まる位置にはぎょろりとした眼球型のターレットが据え付けられていて、不規則に紅く点滅していた。


 Su-35Sをベースとした無人機仕様―――リュハンシク防衛軍の主力機だ。


 シャーロットが設計した戦略指揮AI『セフィロト』によって制御される無人機であるが、場合によってはこのSu-30Exからの制御も可能となっている。今回は後者としてこのズメイ(ズミー)討伐作戦へと6機が参加する事となった。


 それぞれ武装は27㎜リボルバーカノンと短距離空対空ミサイルを2発―――それから機体のペイロードが許す限り、ハープーン対艦ミサイルをベースとした”対巨竜ミサイル”を搭載している。


 対艦ミサイルをベースに空対空ミサイルへと改造、ズメイ(ズミー)の外殻をぶち抜き確実に死に至らしめるため()()に用意したものだ。何より威力を優先したため誘導方式はセミアクティブレーダー誘導で妥協する事となったが、複数機による同時発射であれば隙は生じないだろう。


 俺のSu-30Exも同様に、ペイロードの許す限りこの対巨竜ミサイルをガン積みしている。機銃はドイツ製の27㎜リボルバーカノンに換装、これはガトリング機関砲のスピンアップを嫌い即応性を優先したがための選択だ。


 その他、機体の胴体下部……ちょうど2つ並んだエア・インテークの間から顔を出す形で、試作戦術レールガン『トールハンマー』を装備。口径37㎜、装填されているのは通常の砲弾ではなく、着弾した対象を一撃で死に至らしめる呪物【スタウロス弾】。これで奴を確実に殺すつもりでいる。


 散々命を奪ってきたのだ―――奪われる覚悟も出来ているだろう。


 そうでなければ、筋が通らない。


















『ステファン、いいか。お前の身体を流れているのは紛れもない英雄の血だ』


 屋敷の広間にこれ見よがしに飾られた絵画を見上げながら、ステファンの父『スピリドン』は誇らしげに言った。


 彼らリガロフの一族はイリヤー伝説で邪竜ズメイ(ズミー)と戦い、死闘の果てにそれを封印した大英雄イリヤーの末裔だ。今でこそ没落してしまい、イライナ地方の大都市キリウに居を構える斜陽一族という立場に甘んじてしまっているが、しかし身体を流れる英雄の血は紛れもない本物だ―――この国を護った大英雄の血脈、その末席に連なっている事こそが、幼き日のステファンにとっては何よりもの誇りであった。


『いつの日かお前も、我らの祖先(大英雄イリヤー)のような偉大な男になっておくれ。そしてリガロフの名を再び、このノヴォシア帝国に轟かせるのだぞ』


『はい、父上!』


 そう、自分たちは正真正銘の英雄の一族なのだ。


 こんなところで、斜陽貴族という屈辱的な立場に甘んじて良い筈がない。


 いつの日か再び武功を上げ、祖先イリヤーに恥じぬ活躍をしよう―――自分の、”ステファン・スピリドノヴィッチ・リガロフ”という名がイライナの歴史に末永く刻まれるように。


 幼き日のステファンは、理想に燃えていた。


 自分もいつか、あの大英雄イリヤーのような男になるのだ、と。


 そのためならばどんな苦難をも乗り越えてやる、と。


 自分は英雄の末裔、身に宿すは黄金の血なのだから。

















 1907年 5月4日 同時刻


 イライナ公国西部 ヴィリウ州 州都ヴィリウ




 


 ―――懐かしい夢を見た。


 むくり、とベッドから起き上がったステファンは、目元に付着していた涙の雫を気だるげに拭い去るや、鼻を啜りつつベッドから出た。隣のベッドで時折歯ぎしりを交えながら眠る妻オリガを起こさないよう細心の注意を払いつつ、主に妻の寝相で滅茶苦茶になった毛布をそっとオリガにかけてあげてから、部屋を出てトイレへと向かう。


 用を済ませるなり、ステファンは何気なく窓の外を見た。


 空に浮かぶ白銀の月は、しかしもやが掛かったように霞んでいる。気温もまだ冬であるかのように冷たく、息を吐けば白く濁る程だ。早くベッドに戻って毛布を被らなければ風邪をひいてしまいそうである。


 ぶるりと身を震わせながら、ステファンは寝室に戻りベッドに潜り込んだ。どふ、と腹に飛んできた妻オリガの回し蹴りを受けながら、そっと妻の足を元の位置へと戻し毛布を掛け、枕に後頭部を預けて思想に耽る。


 ―――今になって、なぜ昔の夢を。


「……」


 あの頃の自分は純粋だった。


 大英雄イリヤーの末裔―――その末席に自分がいる、という事実は紛れもなく誇りであったし、心の拠り所だった。どんな逆境も祖先を想えば乗り越える事が出来たし、いつか自分もイリヤーのような英雄になるのだ、という大きな夢は苦難を乗り越える原動力ともなった。


 それが今はこの有様だ。


 権力向上に明け暮れ、子供たちには愛想を尽かされて、半ば追放されるようにヴィリウ郊外の別荘で隠居の身。キリウで仕えていた古参の使用人たちの何割かはついてきてくれたが、しかし何とも惨めな事か。


 連日のように報じられるイライナ独立や、子供たち関連のニュースを目にする度に、誇らしい気持ちをそれ以上の屈辱が塗り潰していった。自分が屋敷を去り、権力を手放してからこの大躍進ぶり―――それは自分が無能であった事の何よりもの照明ではないか。


 子供たちが立派に育ってくれたことは確かに誇らしい。しかしその一方で、自分の情けなさを嘆く想いもあったのである。


 ―――いったいどこで道を踏み外してしまったのだろうか。


 いつからだろう―――自分も英雄になるのだ、という幼き日に抱いた理想が、一族復権のための権力強化へと傾いていったのは。


 自分が情けなかったし、活躍する子供たちが羨ましくもあった。


 しかし、もうやり直すには何もかもが遅すぎる。


 後はここで、緩やかに老いて死ぬのを待つだけだ。


 もし時間を巻き戻す事が出来たのなら―――使用人がおすすめしてくれたSF小説の内容を思い出しつつ、二度寝を決め込もうと瞼を閉じるステファン。


 微睡が微かに、闇の向こうから手招きを始めたその時だった。


 耳を劈くサイレンが、平穏なリヴィウの街中に響き渡ったのは。


「!?」


 ウゥー、と低いそれは、”魔物の襲来”を意味するものであった。今となっては近代化されたイライナ軍の徹底した掃討作戦により、イライナ全土で魔物の個体数は激減し治安もよくなっているというのに、なぜ今になってこのような時代錯誤も甚だしい警報が発令されるというのか。


 軍の担当者のミスなのだろう―――そう思ったステファンだが、しかしサイレンと共に響いた避難放送に耳を疑った。


《―――緊急放送、緊急放送。封印から復活したズメイ(ズミー)がヴィリウに接近中。市民の皆様は直ちに避難を開始してください。繰り返します。封印から復活したズメイ(ズミー)が―――》


「おい、おい! オリガ!」


 飛び跳ねるほどの勢いでベッドから飛び出すなり、ステファンは妻であるオリガの身体を揺すった。


 不機嫌そうに瞼を開ける妻に「避難の準備を! 使用人たちも避難させるぞ!」と電撃のように言葉を浴びせかけつつ、素早く着替えを済ませ最低限の荷物をまとめ始めるステファン。


 ズメイ(ズミー)―――いつ復活してもおかしくない、という知らせは以前から聞いていた。


 それが―――イリヤー伝説の怪物が今、よりにもよってここに向かっている。


 信じたくない話だった。







 1907年 5月4日 4時35分


 ズメイ(ズミー)、ヴィリウ襲撃





対巨竜ミサイル


 いずれ来たるべきズメイとの決戦に向け、ミカエルが開発を指示していた対ズメイ用兵器の1つ。対艦ミサイル『ハープーン』をベースとしており、テンプル騎士団謹製の『複合炸薬』の搭載、弾頭部材質の見直しや誘導方式の変更、燃料の更新による弾速UPなどが図られている。ズメイの単分子構造の外殻を破砕、貫徹するに十分な破壊力を持つが、威力を重視した結果誘導方式はセミアクティブレーダー誘導方式で妥協した。そのため命中するまで標的へのレーダー照射が必須となる。


 ヴィリウ方面へと向かうズメイ迎撃作戦時、ミカエル率いる”ラ・ピュセル航空隊”により初投入。全機が機体のペイロードの許す限りガン積みするという殺意の高い武装構成でズメイへと挑んでいった。




試作戦術レールガン『トールハンマー』


 航空機への搭載を前提にシャーロットが開発した空対空・空対地レールガン。使用弾薬は特注の37㎜弾であり、従来の37㎜砲弾との互換性は一切ない。上下に割れた砲身と3発入りのシリンダー、砲尾のバッテリーパックで構成されており、砲撃を終えた後は工場に返却しバッテリーとシリンダーの交換を行わなければならない他、砲撃後は砲身上下に搭載された放熱パネルを展開しての放熱が必須となるなど制約が多い。


 しかしその弾速は恐ろしく速く、シャーロット博士は『狙われたら回避はほぼ不可能』と豪語するほど。元々は高速で飛ぶ戦闘機を迎撃するための対空兵器として開発されたが、ウォッカで泥酔したシャーロットとパヴェルの悪ノリもあり空対空兵器として転用された結果良好な結果を叩き出してしまい、引き続き空対空用途で試験が継続される事となった。開発経緯にミカエルは頭を抱えた。


 1907年、ノヴォシアの領空侵犯機の撃墜に使用されていたこれを対ズメイ用の決戦兵器として急遽転用。用意された3発の”スタウロス弾”を装填したミカエルはSu-30Exにこれを搭載し、伝説の邪竜へ決戦を挑むが……?


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― 新着の感想 ―
ミカエル君は37歳になっても「乙女」と言われているんですか…現役アイドル活動も続けてますし、彼は老化という言葉とは無縁なんですかね? ただ状況はそんな笑い話を許すようなものではなく、擬似的な核の冬に…
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