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行きはよいよい、帰りは―――


 行きはよいよい、帰りは恐い。


 そんな言葉をどこかで聞いたことがある。そりゃまあ、確かにそうだろう。映画とかアニメではよくあるパターンだ。目的を果たして帰ろうとするところで何か大きなトラブルに巻き込まれたりする展開。いわゆるお約束という奴で、どーせこの後なんかあるんだろ、と思いながらテレビの前でスナック菓子を齧っていたあの頃が懐かしい。


 が、今回に限って言えば逆だった。行きは怖い、帰りはよいよい。


 階段の踊り場や床でぶっ倒れる警備兵たちを一瞥しながら、俺たちは出口へと向かって走っていた。警備兵や憲兵と鉢合わせになるかもしれない、という危惧はない。何故ならばどいつもこいつも睡眠ガスを見事に吸い込み、意識をまどろみの彼方へと持っていかれているからだ。


 真面目に勤務していた憲兵や警備兵たちは皆、死んだように眠っていた。


 中にはまだ意識がある警備兵もいるようだった。何度か咳き込みながらも、職務を果たそうと果敢にピストルへ手を伸ばそうとするバザロフ家の警備兵。その勤勉さには感動すら覚える。それはそうだろう、憲兵よりも高い給料をもらっておきながら職務怠慢とあっては示しがつかない。


 しかしその健気な闘志も、3秒と続かなかった。肺の中へと入り込み、血液中へと吸収された睡眠ガスの成分が全身へと行き渡り、意識がまるでパソコンの電源を切るかの如くシャットダウンされてしまう。


 お疲れ様、と小声で呟き、屋敷の外へ。


 玄関から堂々と飛び出るよりも先に、AK-19のマガジンへと手を伸ばした。装着されているマガジンを前へと傾けつつ外し、予備のポーチへと戻す。そして別のポーチから赤いテープを巻いたマガジンを引っ張り出し、代わりにそっちを装着する。


 実弾が装填されたマガジンだ。逆に、さっき引っこ抜いたマガジンには5.56mmゴム弾―――低致死仕様の弾薬が装填されている。


 殺傷用と低致死用、口径は同じで互換性があっても目的が異なる弾薬が混在するとなると非常にややこしくなるので、こうやってマガジンにテープを巻いて識別する事としている。戦場で使うものは咄嗟に取り出して使うパターンが多く、一目見てパッと理解できるようにする工夫は極めて重要なのだ。


 弾丸を低致死用から殺傷用へ。合わせてコッキングレバー(コッキングしやすいよう大型化している)を引いて薬室内のゴム弾を排出、それをキャッチしてポケットへ。


 なんで殺傷用に切り替えたかって? そりゃあ睡眠ガスで大人しくしてくれる見込みのない相手が外にはうようよしているからさ。


 外に飛び出す直前に時間停止を発動、周囲の物体全てが固まる。


 毎度思う事がある。時間を停止した状態でクラリスのおっぱいを触ったらどうなるのかと。


 時間停止ってなんかそういう夢があるよね、なーんてスケベな事を考えつつ外に出た。エントランスに差し掛かった辺りから、風に乗ってプンプン香ってきた機械油の臭い。これはまさかと思って時間停止しつつクリアリングをしてみたのだが、その読みは見事に当たっていた。


 玄関の外で待ち構える戦闘人形オートマタ×2。俺たちがここから脱出を図ろうとしている事を察知していたかのように、ブレードを展開した戦闘モードで待機していたのだ。


 残り0.3秒―――時間停止が失効する寸前に、AK-19を構える。


 M-LOKハンドガードの銃口寄りに装着したハンドストップに指を引っかけるようにして、左手でハンドガードを横から握り込む。そのまま手前側に引っ張ってストックをしっかりと右肩へ食い込ませつつ、既にセミオートに切り替えていたライフルを3連射。時間停止が失効すると同時に火を噴いたAK-19。放たれた5.56mm弾たちは獲物を待ち構えていた機械のカマキリたちへと、意外な方向から襲い掛かった。


 これから仕留めるつもりだった獲物が全く想定外の方向から逆に奇襲してくる―――これほどやってて痛快な事は他にない。戦闘の主導権をこっちが握る瞬間というのはなかなかに心地良いものだ。


 アリクイを思わせる長い頭に3発の5.56mm弾が吸い込まれる。戦闘人形オートマタにも装甲はあるが、重量制限をクリアするために軽量化した際の弊害なのか、それともそこまでの防御力を最初から想定していないのか、少なくともこのカマキリ型の戦闘人形オートマタに対しては、5.56mm通常弾でも十分に貫通が期待できる。


 ガガガギュッ、と金属音を響かせ、アリクイみたいな頭の左側面に3つの風穴が開く。そこから溢れ出るのはどろりとした血―――ではなく、オイルとスパークだった。機械にとってはあのチョコレートソースみたいなオイルが血なのだ。


 制御ユニットのある頭部を撃ち抜かれ、待ち伏せしていた戦闘人形オートマタの片割れが機能を停止する。予想外の奇襲に戦闘人形オートマタの片割れが反応しようとするが、その動きは人間の兵士と比較すると柔軟性に欠けていた。


 所詮は機械ということか、と思う。


 そりゃあSF映画みたいな、人間とそう変わらず思考し感情を露にする自我を持ったロボットならば話は別だ。けれども自我も感情もなく、人間の扱う道具ツールの延長線でしかない機械は簡単な命令しか聞かない―――予め設定されたプログラム、その範疇が彼らにとっての世界であり自由なのだ。


 それに対し人間は、機械には無い柔軟性を持つ。思考も自分でできるし自我もある。個人差はあるが、自分で考え自分で判断し自分で実行する、という小回りの良さがあるのだ。


 これ人間の兵士だったらまた違っただろうな、と思いながら左へ跳躍。直後、振り下ろされたブレードがミカエル君のすぐ右を掠め、庭師の人がそれはそれはもう丁寧に、丁寧に手入れをしていたであろう花壇を直撃。雪の降り積もった花壇とレンガの欠片が弾け飛ぶ。


 それともう一つ、この戦闘人形オートマタは致命的な失敗をしている。


 それはよりにもよって、俺なんかに反応してしまった事だ。


 はっきり言っておこう。銃の扱いという条件を除けば、俺、クラリス、モニカの3人の中では俺が一番最弱だ。パルクールを活用した逃げ足の速さには自信があるが、真っ向から戦ったらこの3人の中では間違いなく最弱だろう。


 では、一番強いのは誰か?


 みんなもお判りだろう。飛び蹴りで金庫の扉をぶち抜き、右ストレートで新型戦闘人形をワンパンできる身長183㎝でGカップのメイドさん―――クラリスである。


 ロリなのかショタなのかもわからんミカエル君に構ってていいのかよ、と思った瞬間には、攻撃を回避した俺を追尾しようとブレードを薙ぎ払いかけた戦闘人形オートマタの脚が大きく”く”の字に折れ曲がっていた。


 ボギンッ、と響く金属音。まるで猛烈な負荷に耐えかねた鉄骨がへし折れる際の断末魔にも似た音だった。


 エントランスから飛び出したクラリスが、勢いを乗せて左足を大きく振り払い、大剣の剣戟と似ても似つかぬ勢いでローキックを放ったのだ。ドラゴンの外殻で硬化した上に、腰と身体の捻りまで加えた、プロの格闘家のような完璧な蹴り。様子見や小手調べに使う、いわゆる”捨て技”などではない―――本気で相手を仕留めに行くような強烈な蹴りだった。


 戦闘人形オートマタの脚部切断とはならなかったが、人間でいうところの脛が見事に折れ曲がったせいでバランサーに異常でも生じたのだろう。ぐらり、と戦闘人形オートマタの巨体が揺れ、思うように動けないような動作に入る。


 その隙に跳躍したクラリス。その右の拳は既に、蒼く堅牢なドラゴンの外殻で硬化済みだった。


 お馴染みクラリスさんの徹甲パンチ。ボコンッ、と鉄板をぶち抜くかのような音を豪快に響かせ、アリクイみたいな戦闘人形オートマタの顔面に強烈な右ストレートがめり込む。装甲で覆われていようがいまいがお構いなしに顔面をぶち抜いたその右手を引っこ抜くと、戦闘人形オートマタは眉間を撃ち抜かれて即死した人間の兵士のように、ぐらりと崩れ落ちていった。


「お見事」


「フンス」


 誇らしげに胸を張るクラリスと、服の上からでも揺れる胸を見てなんかこう、すっげー恨めしい顔になるモニカ。いや、モニカだって均衡の取れたスタイルで大変よろしい……やめよう、フォローにならない。こんなところで変な事言って余計事態を悪化させるような展開はラノベで散々読んだ。学習しているのだよミカエル君は。


《よし、今だ。離脱を急げ》


「はいよ」


 アンカーシューターを放ち、屋敷の隣にある別の貴族の屋敷の壁面へアンカーを撃ち込む。着弾と同時にリールが動作を開始し、釣り糸を巻き上げるような甲高い音が袖の中から響いた。


 ぐんっ、と身体が引っ張られる。両足が地面から離れたと思った頃には、まるでジェットコースターにでも乗っているかのような浮遊感が身体を包み込んだ。


 それにしても、今日のダッフルバッグは重い。


 札束なんかとは比べ物にならない程だ。あっちは所詮紙切れなんだが、今回の盗品は違う。金だ、金なのだ。これが富の重さ―――この重さがその価値を保証しているようにも思え、頭の中に達成感が湧いてくるのが分かった。


 とはいえ、これにはバザロフの野郎が弱者から搾取して得た金も含まれている筈だ……全額とまではいかないが、半分くらいはザリンツィクの人権支援団体とかに寄付しても良いような気はしてくる。たしか低所得者やスラムの貧民に対し支援を行っている団体があった筈だ。


 そんな事を考えながら屋敷の屋根に飛び移り、事前に決めた逃走ルートを進んでいく。眼下の大通りではサイレンが鳴り響き、パトカーがもう用済みとなったバザロフ家の屋敷へと走っていくのが見える。今更駆けつけて何になるのかね、と思ったその時だった。


《―――警告、警告。正体不明の何かが急速接近中。6時方向。各員警戒せよ》


「なに?」


 行きはよいよい、帰りは恐い―――なるほど、つまりはそういう事か。


 それにしても珍しい。パヴェルにしては何とも漠然とした、はっきりとしない報告だったものだから逆に怪しくなった。アイツはいつも情報に関しては的確で、しかもそれに誤りはない―――だから”正体不明の何か”なんて聞き慣れない曖昧な言葉に、俺たちは一瞬戸惑ってしまう。


 後方を見ると、”それ”が急迫してくるのが見えた。


 一見すると、鎧を着込んだ大柄な騎士にも見える。が、距離が縮まって来るにつれて、その表現が不適切であることが分かってくる。騎士にしては―――というより、人にしてはあまりにも大きな”それ”。目測だが3m前後はあるのではなかろうか。


 胴体は丸みを帯びていて、肩にもボルト止めされた楕円形の装甲アーマーがある。全体的に丸みを帯びたデザインだが、そこに可愛らしさなど微塵もない。あるのはただ重々しく武骨な、いかにも”人殺しの道具”といった感じの無機質さだけだった。


 兜の下から覗く顔に当たる部分は鉄仮面で覆われていて、丸いレンズが目の辺りに2つ並んでいる。鼻は無く、口元からは腰のタンクへとホースのようなものが伸びていた。ガスマスクを装甲化したらあんな感じになるのだろうか。


 一番驚愕したのは、明らかに重そうなそれが―――”飛んでいる”ということだった。


「なんだありゃあ」


 丸みを帯びた胴体の背面から、まるで蒸気配管……いや、アメリカンバイクのマフラーみたいなパイプが伸び、そこから真っ白な蒸気を噴き出しているのである。


 ジェットパックなんて洗練されたものではない、蒸気だ。あのレトロフューチャー映画に出てきそうなデザインのロボットは、ジェットではなく蒸気を噴射して飛んでいるのだ。


 ウサギが決して飢えた虎から逃れられないように、蒸気を濛々と吹き上げながら迫ってくるそのロボットみたいな奴と、アンカーシューターで移動する俺たちの距離はぐんぐん縮まってくる。試しにフェイントをかけて進路を変更してみようかと思ったが……やめた。そんな小細工で逃げ切れる相手とも思えないし、第一それであいつが無関係な民家に突っ込んで民間人を巻き込むようなことがあったら大変だ。


 戦うしかない―――その意思は口にせずとも、仲間にはしっかりと伝わっていたようだった。


 アンカーで空中に居たクラリスが身体を捻り、左手で保持したQBZ-97を発砲。サプレッサー付きのそれから放たれた5.56mm弾は正確にそのロボットみたいな奴に命中するが、跳弾するような金属音を響かせるだけだった。さすがに5.56mm弾では効果が薄いのか。


 おそらくあの丸みを帯びた形状―――あのフォルムが、弾丸や砲弾を受け流す”避弾経始”として機能しているのだろう。あのデザインにもちゃんと意味はあったらしい。


《皆さん気を付けて! あれは機甲鎧パワードメイルです!!》


 ヘッドセットから聞こえてくるシスター・イルゼの声。聞き慣れない単語だったが……何だ、そのパワードメイルってのは。


 頭の中に生じた疑問を、パヴェルが解消してくれた。


機甲鎧パワードメイル……蒸気機関で動くパワードスーツみたいなもんだ。ザリンツィクで性能実験中だったらしいが……》


「何でバザロフ家にそんなものがあるんだ!?」


《分からん。金に物を言わせて試作機プロトタイプでも買い取ったんだろう。いずれにせよ気を付けろ、あれの戦闘力は未知数だ》


 なるほど、データ無し……か。


 アンカーシューターを貴族の屋敷の尖塔に撃ち込んで急上昇。その直後、機甲鎧パワードメイルは目の前に他の屋敷の尖塔があるというのに、知った事かと言わんばかりにそこへと豪快に突っ込んできやがった。


「!?」


 ぐらりと揺れ、崩れていく尖塔。アンカーシューターを急遽巻き取りつつ時間停止を発動、落下していく瓦礫を踏み台にして転落を防ぎつつ、大通りの反対側にある屋敷にアンカーを撃ち込んでそっちに移動する。


 時間停止の効果が切れると同時に、破壊された尖塔が大通りへと落下していった。


「おいおいおいおい!」


 下から響く住民たちの悲鳴。幸い下敷きになった人はいないようだったが……道路が尖塔の残骸で塞き止められたし、路上に駐車されていた無人の車が何台か押し潰されたようだった。


 お構いなしか……富のためなら人命を軽視しがちな貴族に改めて絶望していると、さっきの機甲鎧パワードメイルが派手に蒸気を吹き上げて急上昇。俺のすぐ近くにある、路地の向こうの屋敷の屋根を抉りながら豪快に着地しやがった。


『―――逃がさんぞ、盗人め』


「バザロフ……!」


 聞こえてきたのは、書斎に踏み込んだ際に情けない声を上げながら逃げ出してきた初老の男性―――ヴラジーミル・エゴロヴィッチ・バザロフの声だった。


 そうかそうか、やはりそうか。盗まれた金塊と証拠を押さえるべく、わざわざ自分で追ってきたか。


 貴族自らが先頭に立つその姿には敬意を表したいところだが、その動機が自分の利益を守り、罪を隠すためとなれば話は別だ。必死になって追ってきた、そんなところか。


『このザリンツィクが貴様らの墓場だ! 吹雪の中に散るがいい!!』


 鉄仮面のレンズが赤い光を放った。



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