訃報
後世でミカエル君につけられた異名
・雷獣
・竜殺し
・英雄イリヤーの再来
・串刺し公
・リュハンシクの守護者
・空の長老
・国家のバグ修正パッチ←!?
如何にいます 父母
恙なしや 友がき
雨に風に つけても
思い出ずる ふるさと
1907年 5月4日 4:00
イライナ公国 リュハンシク州 リュハンシク空軍基地
アレーサ壊滅から1時間後
重々しい音を立てて、ランディング・ギアが滑走路を蹴った。
滑走路に降り立ったAn-225の減速を身体中で感じながら、暗闇の中に屹立する管制塔に視線を向ける。灯火管制を受け消灯中の管制塔はさながら暗闇に佇む巨人のようで、きっと人類がこの世界から残らず失せたらあんな感じになるんだろうな、と破滅的な未来の姿を思い起こさせた。
先ほどから、アレーサにいるであろう母の事ばかりが心配になる。
ズメイのブレスはやはり、想定以上の破壊力だった。竜の仔の解剖で得られたデータを基にシャーロットが計算した結果、そのブレスの威力はTNT換算で145.6テラトン……信じがたい事に、世界最強の核兵器として名高いソ連の”ツァーリ・ボンバ”の三百万倍に達するエネルギーなのだそうだ。
そんなものが黒海にでも着弾すれば、大津波は避けられまい―――そうなったら真っ先に被害を受けるのはアレーサである。
母さんももう歳だ。今年で60歳、もう仕事なんてやめて娘と孫に囲まれ幸せな老後を過ごしてもいい年齢だと思う(イライナの定年は65歳なのであと5年は頑張るようだが)。
ヴヴヴ、とポケットの中のスマホが振動した。取り出して画面をチェックしてみると、シャーロットからのようだ。
画面をタップし「もしもし」と応じると、深刻そうなシャーロットの声が聴こえてきた。
《やあ、無事で何よりだよ》
「……悪い知らせか」
妻の声音で、腹の中に抱えている事を何となく察する。
合理的な判断をする事の多いシャーロットだが、無機質そうに見えて思いのほか感情豊かな女だ。彼女を見ているとやっぱり、感情を切り捨て合理で物事を判断するような人間でも完全に機械にはなりきれないものなのだな、と思わされる。思いのほか人間というのも捨てたもんではないらしい。
《長距離偵察ドローンで黒海沿岸部を監視していたんだが、ズメイのブレスはアラル山脈からアルミヤ上空を通過して黒海に着弾した模様だ。アルムトポリ市街地は壊滅、黒海艦隊司令部のアキヤール要塞は消滅したようだね》
「……そうか」
アルムトポリには56万人の住民が居た筈だ。
それが、ただ頭上を通過したブレスだけでどれだけ死んだというのか。考えるだけでも胸が締め付けられる。
俺にとっては確かに赤の他人でしかなく、顔を合わせた事もない人間が大多数を占める。しかしそれでも、そんな赤の他人でも一人一人に日常があり、家族がいたのだ。どんな人間でもこの人間社会にとっては欠かす事の出来ない歯車、ピースの1つなのである。だからこそ命は重く尊いもので、決して軽くあってはならないのだ。
いつか、この戦いが終わったら弔いに行こう……そう心に誓い、アレーサの状況について聞いてみる事にした。
「アレーサは?」
《既に50mの津波が襲来……襲撃してきたズメイを相手に、黒海艦隊の戦艦スラヴァが殴り合ったようだ》
「ズメイがアレーサに!?」
《ああ。もう既に去ったようだが……戦艦スラヴァが命懸けで撃退してくれたようだ》
「……母さんは……俺の家族の安否は確認できるか?」
《それは分からない。でもミカのお母さんの実家がある場所までは津波は到達してないし、おそらく大丈夫だとは思う》
「……分かった。引き続き監視と情報収集を」
《任せたまえよ》
通話を終え、An-225から降りた。タラップを駆け下りてピックアップトラックに乗り、シェリルに運転してもらいリュハンシク城を目指す。
An-225の降り立った滑走路の隣では、増槽を3つもぶら下げたSu-35が2機ほど離陸していくところだった。元から航続距離の長いSu-35にさらに増槽を取りつけているところを見るに、作戦継続能力に全振りした偵察目的での出撃なのだろう。
アレーサを去ったというズメイは、未だどこにいるか不明だ。
いずれにせよ、あの怪物は手早く葬らなければならない。
理論上、煉獄の鉄杭があれば殺せるはずだ。ズメイは恐るべき防御力と再生能力を持つが、煉獄の鉄杭はそういう再生能力だの不老不死だのといった性質の一切合切を無視して、被弾した対象を一撃で死に至らしめる特性を持つ。
理論上は『なんでもワンパンできる』のだ。
元々はパヴェルが秘匿していた切り札であるが、彼が錬金術を習得した俺にそれを見せ、触らせてくれたことは最大の譲歩だと思っている。
錬金術師は物質の形質を書き換え、周囲の物質を全く違う物質に変質させる術の使い手である。そんな奴に煉獄の鉄杭の情報を開示するどころか現物まで見せ、触らせてしまえば、錬金術で量産し放題になってしまうのだ。
どんなアプデでも修正できないクソゲーの始まりである。
だから理論上、勝てる……筈だ。
しかし何だろうな、この胸のざわめきは。
こっちには相手をワンパンできる手段があるというのに、勝てる気がしない……そう思えてしまうのは。
リュハンシク城に入るなり、そのまま地下にある指令室へと直行……はせず、シェリルと別れてからルシフェルを呼び出した。エレベーターに乗って執務室へと向かい、ソファに座って待つこと2分ほど。コンコン、というノックの音も無しに、何の前触れもなく背後にヒトの気配が生じた。
「―――首尾は?」
「対消滅榴弾と対消滅ミサイルの飽和攻撃、そしてトドメの徹甲弾……最高の火力をありったけ叩き込んだ」
「でも、ヤツは殺せなかった」
自分と全く同じ顔で、全く同じ声の相手と背中合わせでの会話。
何とも奇妙な感覚だった。
「そっちはプラズマブレスがか掠めて死にかけたそうだが」
「加害範囲からは十分に離れてた。それでも一発でAn-225の全ての電子制御が一時的にダウン……十分な防磁処理を施していてこれだぞ」
「厄介だな。アレーサとアルミヤも甚大な被害が出たらしいし、早いとこ始末しないと」
「……というかアイツ、アラル山脈からアレーサまで1時間足らずで移動した事になるな?」
「そうなる」
アラル山脈からアルミヤ半島までの距離はおよそ3000㎞。アレーサまで移動したのだからそれ以上の距離をアイツは1時間足らずで移動した事になる。
攻撃力、防御力、生命力……どれをとってもこの世界の生物とは思えぬほどの脅威だが、どうやら飛行能力もその辺のドラゴンとは比べ物にならないレベルらしい。全長135mの巨体がそんな速度を出すなんて、今の科学技術では到底真似できない領域だ。
こんな生物が居ていいのか、とは思うが、そもそもエンシェントドラゴンとは神が直接創造した生命体でもある。猿から永い時を経て進化してきてなお不完全な人類とはそもそもスタートラインが違うのだ。
そんな俺たちの尺度では、到底測る事の出来ない怪物―――つまりはそういう事である。
「いずれにせよ、今は非常事態だ。ルシフェル、お前にも下手をすれば表舞台に立ってもらう事になる」
「止むを得んさ。オリジナルに死なれたら、仕事が増えて困る」
違いない、と言いながら軽く笑うと、コンコン、とドアをノックする音が聴こえてきた。
背後にいた筈のルシフェルの気配がまるで幽霊のように消失していく。空間そのものに溶けていったようにも思えるが、俺には何となくわかる……多分天井の通気ダクトへと潜り込んでいったのだろう。キリウの屋敷で強盗やった時も、通気ダクトからの潜入や脱出は鉄板だった。
どうぞ、とノックに応じると、入ってきたのはクラリスだった。
いつもの(黙っていれば)仕事のできるクールビューティー、といった余裕は、しかし今の彼女には無い。まるで悲しみを思い切り堪えているような表情で、トレイの上に乗せた電話機を持っている。
「ご主人様……グレイル様からお電話です」
「グレイルから?」
無事だったか―――義理の弟の無事を知って安堵する一方で、しかしクラリスの表情からそれが決していい知らせではないという事は察する事が出来た。
腹を括りながら、微かに震える手で受話器を手に取る。
「……ミカエルだ」
《義兄さん……グレイルです》
グレイルの声は涙声だった。
あんなにも筋骨隆々で、どんな苦難も乗り越えてきた屈強な男という印象を抱いていたグレイルもこんな涙声を発する事があるのか……それほどまでに悪い知らせと思うと、もう嫌な予感しかしない。
まさか、そんな―――嫌な予感に身を震わせつつ、彼の口から紡がれるであろう現実を受け止める準備は、しかし俺には無理だった。
電話越しに、グレイルの声の後ろではサリーの泣く声も聴こえてくる。
「……何があった」
《お義母さんが……レギーナさんが》
「…………まさか」
《ごめんなさい……助けられませんでした………!》
危うく、受話器を落とすところだった。
立ち眩みにも似た脱力感。「ご主人様!」とクラリスが駆け寄って、ふらつき倒れかけた俺の身体を支えてくれる。
最愛の妻に支えられながらソファに腰を下ろし、未だ受け止めきれないグレイルからの知らせに真っ向から向き合った。
母さんが―――死んだ?
嘘だ、と思う。
だって母さんは……家にいたんじゃなかったのか?
《レギーナさん、あの日に限って夜勤のシフトが入ってたんです……津波が来ると分かって、バイクで迎えに行ったらズメイの襲撃があって……倒壊した建物に足を挟まれて……!》
断片的だが、何が起こったのかは察した。
唇が震える。
脳裏に浮かぶ母の顔。
キリウの屋敷にいた頃、庶子だった俺に唯一優しく接してくれた母。
願わくば―――あんなにたくさん辛い思いをしてきたのだから、幸せな人生を送って欲しいと思っていた。
けれどもそれはもう、叶わない。
「……グレイル」
《……》
「……あまり自分を責めるな。お前はきっとベストを尽くしたんだろう?」
《……でも……でも俺、俺……!》
「……ありがとう。仇は俺が討つ」
そう言い、受話器を置いた。
「……クラリス」
「……はい、ご主人様」
「子供たちを呼んでくれ。それとウォッカを」
ウォッカ、と聞いてクラリスはびっくりしたようだった。
普段あまりお酒は飲まないから、いきなり酒を持って来い、と言い出した事に驚いているのだろう。
それもそうだ―――こんなクソみたいな現実、時折アルコールに逃げなきゃやってられない。
父上に呼び出されて執務室に入るなり、目に飛び込んできたのはソファでショットグラスに注がれたウォッカを一気に呷る父の姿と、アルコール分解用の薬剤を準備する母上の姿だった。
既に父上の顔は真っ赤だ。すっかりアルコールが回ってしまっているらしい。
元々、あの人はお酒に強い方じゃない。こないだなんか挨拶にやってきたコーリアの貴族が持参したマッコリをコップ一杯飲んだだけで顔が真っ赤になり、二杯目で千鳥足になっていたじゃあないか。
そんな人があんな勢いでウォッカを飲むなんて……。
「……来たか」
「父上、どのようなご用で?」
問うと、父上は視線をショットグラスに落とし、何かを覚悟するように呼吸を整えてから―――決して受け止める事の出来ない現実を、僕たちに突き付けた。
「母さんが―――レギーナお祖母ちゃんが、死んだ」
嘘、と真っ先に声を震わせたのはアザゼルだった。
先ほどまで徹夜でドローンを弄り、睡眠不足で眠そうに瞼を擦っていたアザゼルの姿はどこへやら。父上から突きつけられた非情極まりない現実に声を震わせ、目元にはじんわりと涙を浮かべて、首を横に振っている。
今ではもうすっかり背を追い越されたアラエルに抱きしめられて泣き始めるアザゼルだったが、泣いているのは僕を含め、他の弟妹達も一緒だった。
みんなレギーナお祖母ちゃんにはお世話になった。
小さい頃から、遊びに行くといつも決まってお菓子やお小遣いをくれたし、遊び相手にもなってくれた。昼寝をする時は子守唄を歌ってくれたし、アレーサの散歩にも連れて行ってくれた。
だからみんなお祖母ちゃんの事が大好きで―――だから突然の訃報に、深い悲しみと猛烈な復讐心を抱いた。
拳に爪がめり込むほど握り締めていたその時だった―――コンコン、と背後のドアがノックされて、迷彩服姿の戦闘人形の兵士が入ってきたのは。
「失礼します。ミカエル様、偵察隊がヴィリウ方面へと飛行中のズメイを発見しました」
報告を聞くなり、辛い現実からアルコールで逃げていた父がカッと目を見開いた。
母上が傍らに用意していたアルコール分解薬を一気に呷るなり、赤みがすっと引いていく顔に確かな憤怒を宿して、ソファから立ち上がる。
「父上、僕たちも行きます」
「ダメだ」
「どうしてです!」
「お前たちは城で待機。ノヴォシアの動向に目を光らせていろ。それから竜の仔にも警戒を」
「でも!」
ぴたり、と立ち止まる父上。
いつも優しかった父上が―――しかし、こんなにも怒り狂っていた事が、これまで果たしてあっただろうか?
「―――ズメイは俺が殺す」
戦艦スラヴァ(旧アルゴノート)
イライナ海軍黒海艦隊所属の準弩級戦艦。ノヴォシア帝国併合時代末期、いずれ来たるべきイライナ独立戦争に向けてイライナ独立派がイーランドに戦艦の購入を打診。食料と北海油田の利権を喉から手が出るほど欲しがっていた当時のイーランドはこれを快諾し、既に3隻で建造を打ち切っていたドレットノート級戦艦の部品製造ラインを再稼働。メーカーに多額の補助金を支払い(実質建造費を肩代わり)建造されたのがドレットノート級4番艦『アルゴノート』である。
完成後、技術士官と海軍関係者を乗せたアルゴノートはアスマン・オルコ帝国のチャナッカレ海峡を通過し黒海へ進出。イライナのアルミヤ半島アルムトポリ軍港へと到着し、そこで艤装を受けた。就役に際し艦名をアルゴノートから『スラヴァ』へ改称。イライナ語で【栄光】を意味する名を与えられた彼女は黒海艦隊総旗艦となり、イライナ独立戦争では配下の艦隊と共に艦砲射撃で戦闘を支援した。
イライナ海軍としては後続となる初の国産戦艦『クニャージ・リガロフ級戦艦』完成までの繋ぎと、戦艦運用ノウハウの蓄積という意味合いが強かったが、クニャージ・リガロフ級戦艦の設計計画と予算確保に難航し計画が遅れた事もあって、戦艦スラヴァは既に旧式ではあったが近代化改修を受けるなどして10年以上前線で運用された。他のドレットノート級との差異は艦橋設備の拡張や煙突の形状などで比較的見分けやすく、一部では『スラヴァ級』と呼称する事も。
しかし『栄光』の名を持つ輝かしい戦艦スラヴァも1907年、アレーサに襲来したズメイとの戦いで最期を迎えた。津波から逃れるべくアレーサ港を脱出する貨物船が襲われている、との通報を受け反転したスラヴァは、貨物船『アンナ』を撃沈したズメイと交戦。首を砲撃で吹き飛ばすなど善戦したが一歩及ばず、至近距離からのブレスを受け轟沈。この戦闘でコルヴォヴィッチ艦長以下全員が戦死し、生存者はいなかったという。
その後、戦艦スラヴァの奮戦はイリヤー伝説と並ぶ伝承として遥か後世まで語り継がれ、何度も映画化された。アレーサには津波の犠牲者の慰霊碑と並び、戦艦スラヴァ乗員の慰霊碑も建てられている。




