表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

966/980

ズメイは死せず

ノヴォシア共産党中央委員会 演説記録

演説者:ヴラジーミル・レーニン(ノヴォシア共産党書記長)

演説題目:『民を惑わす雷獣、リガロフ家の反人民的本質について』

場所:モスコヴァ人民大会議場

日時:1915年12月10日(冬戦争へのイライナ軍の派兵要求拒否を受けて)



 同志諸君!

 我らが祖国ノヴォシアは今、重要な岐路に立たされている。我々の社会主義建設が進むその裏で、未だ旧世界の亡霊共が人民の心を惑わし、革命の炎を消し去らんと蠢いているのだ。

 その筆頭こそ、イライナ公国の反動貴族『リガロフ家』である!


 そもそもリガロフとは何者か。奴らは自らを「英雄の末裔」などと称し、民の上に立つ事を信じて疑わない。彼らの始祖イリヤーは、イライナでは救国の大英雄などと持て囃されてこそいるが、それは民のために流した血ではない。己らの特権と領地を守るため、私利私欲のための闘争であった事は明白である!

 リガロフ家の歴史とは、常に「民衆の流した血によって築かれた栄光」の連続である。その華やかな栄達の裏には、農奴の汗と飢え、労働者たちの血、そして無数の墓標が積み上げられているのだ!


 我々ノヴォシア共産党が帝政ノヴォシアを妥当し、労働者の手に祖国を取り戻したその時、リガロフ家は何をしたか?

 奴らはイライナ独立のために我々の革命を利用したのだ! 笑顔で我々にすり寄り、利用するだけ利用して、いざ目的を果たせばこれである! そればかりか、国外の帝国主義国家と結託し、民の血を犠牲にその王冠を守ろうとしたではないか!

 「民主化」「教育」「領土の電化」……確かに耳障りは良い。だがそれは、民の自由のための政策などではない。それはリガロフ家による支配の近代化、より効率的に人民を支配するための装置に過ぎない事は、これまでの所業を顧みれば明白である!


 そして今や、リガロフの名はミカエルなる女によって再び汚されている。奴は『雷獣』『串刺し公』と呼ばれ、民衆の守護者を気取り、リュハンシクに居座っている。しかし実際は何をしている?

 奴は革命の炎を恐れ、あの忌々しい黒き城に閉じこもって、恐怖による秩序を作り出した。自らに異を唱えるものは牢に放り込み、反体制派は串刺しにし、リュハンシクを恐怖によって統治している。いったいいつからイライナは、恐怖で人民の心を縛り付ける事を「正義」や「平和」と呼ぶようになったというのか?


 同志諸君! 果たしてこの暴君を、英雄だなどと呼んでよいのか!?


 リガロフ家は剣を捨てない。彼らの剣は今も、その切っ先で革命を、労働者を、人民を、平等を狙っている。イライナの独立とは、民の自由ではない。それは単に、貴族が新たな鎖を作り直しただけの事である!

 彼らは我ら共産党によるノヴォシアの躍進を恐れ、共産主義の理念を「混乱」などと呼ぶ。だが同志諸君、我々は知っている筈だ。

 混乱を生むのは革命ではなく、革命を恐れる権力者であると!


 我々共産党はリガロフ家を、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフを許さない。奴らがどれほど高貴な血を誇ろうとも、革命の前では全てが等しく赤いのだ。

 雷獣の咆哮がどれほど恐ろしかろうとも、人民の団結は獣の威圧をも凌駕する!


 我々の銃は、もはや王冠を恐れない。


 我々の思想は、もはや血統には屈しない。


 そして我々の未来は、決してリガロフ家などと言う富の簒奪者などには渡さない!


 人民の敵に栄光はない。


 リガロフ家よ、雷獣のミカエルよ―――傲慢なる一族の血脈は、ここで終わるがいい!!





※この演説はノヴォシアだけではなくイライナにもラジオ放送され、ミカエルもラファエルやガブリエルと一緒にポップコーンを食べてニコニコしながら聴いていたという。


 


 それはまるで、地上に星が生じたかのようだった。


 着弾と同時に、直視すら許されない程の閃光が全てを焼き尽くす。光はまるで泡のように急激に膨張しながら、触れたすべての物質を消滅させ、強烈な熱を生じて焼き尽くしていく。


 対消滅エネルギーと呼ばれる、この世界由来の超エネルギーであった。


 かつて旧人類が占有し、テンプル騎士団襲来の引き金となった純白の閃光が、ズメイ(ズミー)の黒い外殻を焼いていく。触れた物質の性質に関係なく消滅させていく対消滅エネルギーは、あらゆる攻撃をも受け止めるズメイ(ズミー)の単分子構造の外殻すらお構いなしに削り、抉り、消し飛ばして、瞬く間にその背中から背骨を露出させるに至った。


『『ギァァァァァァァァァァ!!!』』


 それはまさに、生きたまま生皮を剥がされ、肉を削がれて骨を剥き出しにされる苦痛にも等しい拷問だった。迸る激痛に意識を手放し、そのまま息絶える事が出来ればどれだけ幸せな事か―――時と場合によっては死こそが救済となる場面も確かに存在するのであろうが、しかし不死に近い再生能力を持つズメイ(ズミー)にそのような救いはない。どんな苦痛であろうと真っ向から受け止め、それ以上の火力で蹂躙していくしかないのである。


 対消滅エネルギーの勢いが、しかし唐突に衰え始めたのは炸裂から僅か3秒後の事だった。


 対消滅エネルギーに晒され、焼かれ、消滅していく外殻。


 その断面から、凄まじいばかりの勢いで真新しい外殻が生え、エネルギーに触れては消滅していくのである。


 常軌を逸した速度の細胞分裂と、それによる身体欠損部位の高速修復―――やがて攻撃力と回復力の勝負が、回復側に傾き始める。


 対消滅エネルギーに晒されながらも、着実に塞がっていくズメイ(ズミー)の傷口。外殻が傷口を覆い、その内側で骨や筋肉組織が再生して、何事もなかったかのように傷口が塞がっていく。


 この再生能力こそが、200年前のズメイ(ズミー)戦で英雄イリヤーが苦戦した理由であった。


 分厚い単分子構造の外殻は如何なる魔術も大砲も受け付けず、決死の思いで一矢報いたとしても次に待ち受けるのは不死に近い再生能力。何度外殻を叩き割り致命的な一撃を叩き込んでも邪竜(ズメイ)は死なず、英雄イリヤーと盟友ニキーティチは討伐ではなく、封印という妥協を余儀なくされたのである。


 まさに怪物と言っていいだろう。


 現代兵器と、異世界の技術を組み合わせて製造した超兵器。その集中砲火を浴びてもなお、この怪物は原型を留めているのだから。


 そして背中を焼かれてもなお、再生し立ち上がろうとしているのだから。


 目を焼かんばかりの閃光の中、悪魔にも似た翼を大きく広げた邪竜のシルエットがこれ見よがしに浮かぶ。


 耐え抜いた―――勝利宣言をするかのように、首を大きく持ち上げて咆哮するズメイ(ズミー)






 ―――その塞がりかけの背中の傷に、一発の徹甲弾が突き刺さる。






 ごあ、と苦痛に満ちた呻き声と共に、伝説の邪竜は再び地に叩き伏せられた。


 全長634m、重量32000t。


 最大射程450㎞を誇る口径300㎝の戦略多薬室式要塞砲―――【イライナの槍】から放たれた第二撃、徹甲弾による狙い澄ました一撃が、これ以上ないほど正確にズメイ(ズミー)の背中を射抜いたのである。


 遥か遠方のリュハンシクから放たれた渾身の一撃に、しかしさすがのズメイ(ズミー)も耐えられはしなかった。


 うつぶせになるように地に伏せるズメイ(ズミー)。塞がりかけの外殻をやすやすとぶち抜いた300㎝砲の徹甲弾は背筋の繊維群をぶちぶちと引き千切りながら背骨を断つなり、臓器類を滅茶苦茶に攪拌しながら腹の外殻を撃ち抜いて、ズメイ(ズミー)の身体を貫通してしまう。


 巨体に大穴を穿たれたズメイ(ズミー)。まだプラズマブレスの負荷から再生しきっていない口から、肉片交じりの鮮血が溢れ出たのはそれからすぐの事だった。


 ぎぎぎ、と呻き声を発しながら、ズメイ(ズミー)の頭にある双眸から紅い光が消えていく。


 双眸だけではない。


 外殻の繋ぎ目から漏れていた、あの生物らしからぬ仄かな紅い光もゆっくりと消え始めていた。


「報告」


 抑揚のない声で命じると、ホログラムのキーボードを凄まじい速度でタイピングしていた戦闘人形(オートマタ)のオペレーターが報告した。


ズメイ(ズミー)、魔力反応減少中」


「生命反応、減衰方向へ推移中」


 つまるところ、死にかけているといったところだろう。


 人間ならば、今頃親しい相手の幻でも見ているか、走馬灯でこれまでの人生でも振り返っているような状況なのかもしれない。今際の際、今まさに死にゆく瞬間と言ってもいいだろう。


「……次弾装填、弾種徹甲」


「了解。次弾装填」


 しかし、この程度でズメイ(ズミー)が死ぬとは到底思えなかった。


 200年前と比較し、イライナの軍事力は劇的に進歩した。


 槍と剣で武装した歩兵の密集隊形は小銃を装備した歩兵の散兵戦術へ。前装式の大砲は後装式の榴弾砲へ。そして英雄の持つ伝説の剣は、湯水の如く投入された資金とAIによる精密な発射制御により実現した戦略レベルの多薬室式要塞砲へ。


 しかし―――それでもなお、ズメイ(ズミー)が脅威である事には変わりない。


 何しろ、イライナの誇る2人の大英雄が討伐を諦め封印するのがやっとだった相手だ。


 この程度で死んだとは思えない。拍子抜けもいいと























 ズメイ(ズミー)の双眸に、紅い光が宿る。























 それはまるで、一気に燃え上がる劣化の如くだった。


 双眸に光が宿ったかと思いきや、その光は凄まじい勢いで全身へと伝染。外殻の隙間から再び仄かに紅い光が漏れ、黒い闇のような外殻の表面に、一瞬だけ古代文字とも電子回路とも知れぬ幾何学模様が浮かび上がる。


「―――再起動(リブート)した?」


 馬鹿な、とルシフェルは呟く。


 対消滅榴弾と対消滅ミサイルによる飽和攻撃で外殻を無効化し、剥き出しになった部位を続けて徹甲弾による超遠距離砲撃で撃ち抜く―――確実に大きなダメージを与えられる作戦を採用したつもりであったが、しかしそれでもズメイ(ズミー)を殺すには至らない。


 全長135mにも及ぶ巨体を軋ませ、再生しかけの傷口から肉片や血を大量にぶちまけながらも、前脚と後脚を痙攣させながら立ち上がるズメイ(ズミー)


「第三射、装填まだか」


「現在徹甲弾撃発位置へ前進中」


(間に合わない)


 観測用ドローンからのノイズ交じりの映像を睨みながら、ルシフェルは目を細めた。


 この状況もシミュレート済みだ。ここで仕留めきれなかった場合、ズメイ(ズミー)はひとまず遠方からの攻撃をやり過ごすために移動するであろう、という分析結果が出ている。


 戦略制御AI『セフィロト』のシミュレーション結果を裏付けるように、ズメイ(ズミー)は巨大な翼を広げた。


 翼長300mにも及ぶ、悪魔の如き黒い翼。


 かつてのイライナの民が最も恐れた姿―――絵画にも描かれている姿となったズメイ(ズミー)の巨体が、しかしそのサイズに見合わぬほどふわりと優雅に宙へと浮かぶ。


 翼を使っているというよりも、反重力装置じみたものでも身に着けているのではないか。思わずそう疑ってしまうほど軽やかに夜空へと飛び上がったズメイ(ズミー)は、しかし一気に急加速。星空を一瞬で駆け抜ける流星のような速度で、どこかへと飛び去っていった。


ズメイ(ズミー)、ロストしました」


「全レーダーサイト、電波探知から魔導探知モードに切り替え。偵察機も出してノヴォシア方面の対空警戒を厳に」


「了解」


「ミカエル様、宰相閣下とのホットラインが繋がりました」


 うん、と頷き、オペレーターが差しだしてきた紅い受話器を手に取った。


 非常時に備えて用意している、イライナ国家中枢とのホットラインだ。ノヴォシア侵攻などの有事の際に用いる事を想定したものである。


「姉上」


《ミカ……いや、ルシフェルか》


「申し訳ありません。我々リュハンシク防衛軍の攻撃を以てしても、ズメイ(ズミー)の足止めが限度でした」


《いや、それはいい。よくやってくれた……奴は?》


「現在、傷口を再生させながら空を飛んで逃走。おそらくイライナ領へと向かっています」


《了解した。現在、メモリアム施設への住民の避難を開始している》


「それと姉上、アルミヤが」


《どうした》


「……ズメイ(ズミー)のブレスの流れ弾で、黒海艦隊司令部と連絡が取れません」


《……馬鹿な》


「こちらの観測によると、ズメイ(ズミー)のブレスはアラル山脈中腹からアルムトポリ上空を通過。この際にアキヤール要塞の消滅とプラズマ化した大気による市街地への甚大な被害を確認しています。加えてブレスはアルミヤ沖700海里の海域に着弾……あと40分でアレーサに50m級の津波が」


 如何にイライナ最強の女傑と言われている宰相アナスタシアでも、怒涛の如き勢いで叩きつけられる悪いニュースにキャパオーバーを起こしかけているようだった。低く、そして小さく唸るような声。初めて聞く姉の唸り声に、ルシフェルも機械ながらに今の状況の深刻さを改めて痛感させられる。


「一介の領主の権限を逸脱した事はお詫び申し上げますが、既に沿岸部の地域には避難勧告を出しています。キリウでの受け入れ態勢の準備をお願いしたい」


《分かった、善処する。貴様こそ初動の素早い対応に感謝する》


「こちらは引き続きズメイ(ズミー)の捜索と対処を」


《頼んだ……今は貴様だけが頼りだ》


 受話器を置き、ルシフェルは息を吐く。


 あんな怪物を、いったいどうやって撃破しろというのか。


 持ちうる火力の全てを叩きつけても倒せないのではないか―――そんな最悪な予想が、頭を過る。


 しかしそれでも、最善を尽くさねばならない事に変わりはない。


 さもなくば、待っているのは人間世界の滅亡である。


















 1907年 5月3日 午前2時46分


 イライナ公国 アレーサ州 州都アレーサ


 



 サリー、サリー、と呼ぶ声と身体を揺する感覚で、私の意識は微睡の深奥から引き摺り上げられた。


 せっかく(グレイル)と2人でイチゴ狩りに出かけ、完熟した真っ赤なイチゴをお腹いっぱい食べる幸せな夢を見ていたというのに、気が付けば肌寒い夜の空気。眠っている最中に暑くなったのか毛布を思い切り蹴飛ばしていて、身体はやけに冷えていた。


 気が付けば目の前には、古めかしいランタンを片手に持ったグレイルが居た。窓の外に陽の光が見えないところを見るにまだ夜中だというのに、何で私の事起こしたのかしら……まさかこの歳で夜1人でトイレに行けない、なんて事無いでしょうに……。


「どーしたのよぉ」


「大変だ」


「何、どうしたの」


「津波が来る!」


「は? ツナミ?」


 何それ、と言いかけた私の目の前で、グレイルは部屋に置いてあったラジオのスイッチを入れた。ダイヤルを回してチャンネルを合わせるなり、微かなノイズと共にアナウンサーの緊迫した声が部屋の中に響く。


《―――繰り返しお伝えします。イライナ政府より、アラル山脈に封印されていたズメイ(ズミー)が復活したという情報が入りました。ブレスの流れ弾が黒海に着弾、その影響でアレーサには推定50mの津波の到来が予測されています。アレーサ市民の皆様は落ち着いて、速やかに高台に非難してください!》


「何よ……それ……」


「俺だって知らないよ」


「大丈夫かしら……」


「大丈夫、ここは高台だから50mの津波が来ても―――」


「そうじゃないわ!」


 違う、違うの。


 どうしたのさ、と目を丸くするグレイルに、私は視線で訴えた。


 ベッドのすぐ近くにある小さなテーブルの上。花瓶の隣にある写真立てには、子供の頃の私を抱き上げながら笑顔で写る管理局の制服姿の母さんと、立派な服を着た兄さんの姿を収めた白黒写真が置かれている。


「お母さんが、お母さんが……!」


「待った、義母さんがどうしたんだ!?」


「今日のシフト……お母さん夜勤なの! 今ごろ管理局に!!」


「!!」


 管理局は基本的に、24時間営業となっている。


 だから受付嬢や職員たちは、決まって三交代制のシフトを組んで勤務している。とはいっても就労規定では夜勤に入れる年齢は15歳から65歳まで。母さんは60歳になり、歳のせいで現場での勤務は辛いからと事務の仕事をしているけれど、欠員が出たりしたときはヘルプで夜勤に入ったりする事がある。


 よりにもよって、今日がその日だった。


 夕食を食べ終え、コーヒーを飲んでから、『夜勤って眠くて嫌なのよねぇ』とぼやきながらも家を出ていったお母さんの姿が脳裏に浮かぶ。


 アレーサの管理局は街中にある―――もし黒海から津波が押し寄せたら、管理局は簡単に呑み込まれてしまう。


 しかもお母さんはもう60歳……自力で走って逃げるのも難しい。


「どうしよう、どうしようどうしよう……! このままじゃお母さんが!」


「落ち着け、俺が何とかする」


 バイクの鍵は、と聞かれ、私は反射的に棚の上を指差した。


 小さなハクビシンを模したキーホルダー付きのそれを手に取るなり、グレイルはヘルメットを片手に部屋を飛び出していこうとする。


「待ってグレイル! 私も行く!!」


「ダメだサリー! お前はここにいろ!!」


「でも!!」


「君だけじゃない、お腹の子供まで危険に晒すつもりか!!」


 夫の鋭い声に、湧き上がる感情が制止させられる。


 そっとお腹に手を当てた―――そこには確かに、彼との間に授かった小さな命が宿っている。


 お母さんにとっては孫になる、小さな命が。


 険しい顔つきだったグレイルが、一転して優しい表情を浮かべた。


「―――大丈夫、大丈夫だ。きっとお義母さんは連れ戻す。だから待っててくれ」


「―――気を付けて、あなた」


 ああ、といつものような返事を返し、グレイルは玄関のドアを強引に開け放った。


 途端に流れ込んでくるいつもより強烈な潮風。市街地から聴こえてくるサイレンと避難放送。真っ暗な海の方では、衝突防止に照明をギラギラと輝かせながら、漁船や軍艦が沖へと出ていく姿が確認できる。


 日常が壊れていく不安―――いつまでも続くと思われていた安寧が、唐突に断ち切られた絶望。


 言いようのない感情を胸の奥底に押し込めて、私は夫の背中を見送った。


 家族を救い出して帰ってきてくれると、そう信じて。








 

 


 

リュハンシク州議会における反論演説

演説者:ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ(リュハンシク州先代領主)

演説題目:『ポップコーンを食べてたらノヴォシア共産党に名指しで批判された件』

場所:リュハンシク人民議会議場

日時:1915年12月12日(第二次イライナ侵攻の一週間前)



 えー、親愛なるリュハンシク領民の皆様。そして毎日のような激務でご多忙の貴族の皆様。本日はこのミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフに発言する場を設けていただき、まず最初に感謝の言葉を述べさせていただきます。

 なにぶん、家督を息子に譲り渡しやっと肩の荷が下りたと思っていたところに名指しでの批判が来たものですから(※ここで聴衆から笑い声)。


 さて。一昨日、遠くノヴォシアのラジオから流れてきた演説放送を、息子と孫、親子三代でソファに座り、ポップコーンを食べてくつろぎながら拝聴いたしました。雷獣だの串刺し公だの、如何にも恐ろし気な名前で私の事を呼んでいたようですが……参ったものです。こんなに笑顔の似合う貴族は他にいないであろうと思っていたものですから、寝耳に水でございます(※ここで聴衆から笑い声)。


 まず第一に、私は民を恐怖で縛るために雷獣を名乗り、雷を落としているわけではございません。むしろ、私が雷を落とすのは息子や孫たちがイタズラをして、他人に迷惑をおかけした時でございます(※ここで聴衆からry)。


 民の血で栄光を築いた、と糾弾されましたが、よく考えてみていただきたい。民の汗や血というものは、誰の手にもかかるものです。しかし私は、それを奪うどころか、民の手元へその努力が還元されるよう努力をして参りました。教育を整え、インフラを整備し、電化を推し進め、永い冬の寒さに震えているであろう遠隔地の農民まで温かい光を届けようと、専門家や他の貴族の皆様方のお力添えを頂きつつ努力して参りました。これを暴力だというのであれば、人の優しさ、善意は軒並み暴力という事になってしまいますね(笑)。


 次に、反動貴族の末裔であるとの糾弾ですが……ええ、確かに私は貴族の家に庶子として生まれてしまいました。確かに幼少の頃、己の生まれを呪った事は何度もあります。しかしその血統が、そして祖先の気高い想いが私に教えてくれたのは、一族の権力を振りかざす事では断じてありません。その権力を使い、民の生活を守るという責任。すなわち”ノブレス・オブリージュ”の概念そのものです。

 私どもの祖先イリヤーが、かのズメイ討伐の折に戦場で果たした事は、ただの武功などではありません。人民を護るための知恵と勇気の積み重ねでございました。それを「血の犠牲」と呼ぶのでしたら、私は逃げも隠れもしません。真っ向から胸を張ってこう反論させていただきましょう……『我らの血は民を縛るためでなく、民を護るために流れたのだ』と。


 そして、雷獣や串刺し公という異名についてですが……。

 前者はまあ、覚えはあります。私が冒険者として現役だった頃に頂いた異名でございますから。しかし串刺し公という異名につきましては、その……ねえガブちゃん。じぃじそんな怖い事したと思う?

(※「ちてなーい!」という幼少期ガブリエルの返答)

 えー、私の孫ガブリエルもこう申しております(※ここで聴衆ry)。


 そもそも雷獣とは雷を操る獣、串刺し公という異名は単なる言葉遊びに過ぎません。しかし強いて言うのであれば、私が串刺しにしたのは旧く腐敗した制度と、我ら人民の進歩を邪魔する侵略者だけです。


 ミカエルは話が長い、と皆様に思われても嫌ですのでそろそろ結びとさせていただきます。

 私は兵士を責めず、民を責めず、未来を恐れず、ただひたすらにこの地の平和と繁栄を守っていくと改めて誓わせていただきます。

 ノヴォシア共産党の叫ぶ「革命」とそれに伴う糾弾は、まあラジオで聴く分にはちょうどいいでしょう。ポップコーンとドリンクがあると極上でございます(※ここでry)。

 しかし大地をしっかりと踏み締め、己の流血を恐れず人民の前に立ちこれを守り抜く。犠牲を厭わず理不尽な暴力に挑む者、それこそが真の勇者と呼べるのではないでしょうか。


 ですから皆様、どうか覚えておいてください。

 人民の、そして未来を担う子供たちの笑顔が何よりもの平和の証であります。第三者の罵詈雑言を、ポップコーンを片手に聞き流して嘲笑していられる余裕があるからこそ、今のイライナは平和と呼べるのです。


 私の演説は以上です。




 あ、すいません。ポップコーン食べてる時にルカ様の事を思い出した事もここで述べておきます。本当に香りがね、そっくりなんですよ(※ここでry)。




※この翌日、公国最高議会で王配ルカが挨拶をした際、冒頭で『おはようございます。ポップコーンの擬人化こと王配ルカです』と応じ、出席した多くの貴族が腹筋を破壊された。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
流石レスバ達人にして齢と経験を重ねたミカエル君、ノヴォシアのプロパガンダを正面から娯楽作品として扱うことで叩き潰してますね。何故かこの時のミカエル君がやはりベレー帽を被った上で「それがどうした!」と応…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ