放たれる一矢
アイドルミカエル君「それでは聴いてください……”あなたのハートに☆ライトニング”」
ファンA「 国 歌 斉 唱 ォ ! 」
ファンB「 皆 様 ご 起 立 く だ さ い ! ! 」
※なお、ミカエル君の曲『あなたのハートに☆ライトニング』は人気が出過ぎたあまり、イライナの準愛国歌に指定されてしまっている。
「ついに……この時が来たか」
リュハンシク城地下にある司令部に足を踏み入れるなり、ミカエル―――否、彼女のように振舞うルシフェルはそう言葉を紡いだ。
パヴェルを介した最悪の情報は既に、リュハンシク守備隊へと知れ渡っている。
―――ズメイの復活。
イライナ人が―――いや、イライナに住まう人々だけではない。ベラシア人も、ノヴォシア人も、同一の起源に文化的ルーツを持つ三国の住民たちは皆、その伝説の竜がどれだけの爪痕を遺したのかを知っている。200年を経てもなお、各地に遺る生々しい破壊の痕跡は、かつての邪竜の恐ろしさを雄弁に物語っていた。
皆、遺伝子レベルで恐れているのである。ズメイという存在を。
世界を破滅へと導いた、破壊の化身を。
「……現時刻を以て国防計画に基づき”オペレーション・Zスレイヤー”を発動。リュハンシク領主権限により越境攻撃を許可する」
「イライナの槍、いつでも撃てます。砲撃許可を」
「―――承認」
既にミカエルたちが作戦展開地域を離脱している事は確認済みである。万一、この越境攻撃が開始されたとしても彼女たちを巻き込む恐れはない。
「ミサイルサイロ№1から№15、いつでも発射できます」
「承認」
「了解。各ミサイルサイロ、”対消滅ミサイル”の発射準備に入ります」
「各補助薬室、点火タイミングの設定ヨシ」
「薬室の正常な閉鎖を確認」
「照準固定。初弾撃発位置へ」
「冷却液強制注入弁動作良好」
こうなる事を見越して、既にイライナの槍は照準をアラル山脈中腹に存在するズメイの封印の石碑に合わせてある(ミカエルの指示だ)。ズメイ復活と同時に間髪入れず砲撃し、あわよくばこの初撃で一気に撃破してしまう事を企図している。
これで殺す事が出来れば最善だ。ズメイという世界にとっての……いや、惑星規模の脅威を世に放たずに済むのだから。
立派な越境攻撃であり、ノヴォシアにイライナ侵攻の口実を与えかねないが、その時は外交努力で何とかするし、侵攻されても対ズメイを見越して800両に増産した4個師団がリュハンシクで待ち構えている。備えは万全だ。
しかし―――この一撃で倒せるとは、はっきり言ってルシフェルは考えていない。
彼の頭の中には、シャーロットが設計した戦略指揮AI『セフィロト』へのリクエストで閲覧を許可されたズメイの伝承と研究による推測、そしてかつてのゾンビズメイ戦のデータがインストールされている。いずれも高レベルのセキュリティ・クリアランスが無ければ閲覧できないものだが、そもそもがミカエルの複製であり、それ以前に中身が機械であるが故に離反の恐れもないルシフェルであればそんなもの無いに等しい。
そのデータによると、ズメイは不死に近い再生能力を持っており、生半可な攻撃では瞬時に再生されてしまい殺害には至らないであろう、とされている。複数の伝承でもこの再生能力で英雄イリヤーと盟友ニキーティチは苦戦した旨の描写がある事から、相当なものである事が分かる。
そしてゾンビズメイ戦である。ノヴォシア帝国軍が派遣した爆撃部隊による対消滅爆弾の投入は、しかし結果として対消滅エネルギーの吸収によるゾンビズメイの更なる変異・強化に繋がってしまった事から効果は限定的であろうと予測できる。
この初手の対消滅ミサイルと対消滅榴弾による飽和攻撃―――これで仕留め損なえば、以降の対消滅エネルギーによる攻撃は意味をなさなくなるどころか、逆に吸収による変異を招きかねない。
果たしてこれで仕留められるか。
仕留めるまではいかなくとも、せめて深手を負わせられれば儲けものである。
「10、9、8、7、6……」
「各員、対ショック姿勢」
「5、4、3、2、1……発射」
メインモニターに映るイライナの槍が、どう、と爆発した。
薬室内で目覚めた対消滅榴弾が、装薬によって押し出されていく―――それが更に、AIによる制御で点火タイミングを完璧に合わせた補助薬室の装薬爆発で更に加速して、砲身から爆風すらも置き去りにし、衝撃波の渦輪を幾重にも描きながら夜空へ向かって解き放たれていったのである。
「次弾徹甲、装填準備」
対消滅榴弾が通用するのは、初弾のみだ。
果たしてこの第一の矛がどういう結果を生むか。
勝利の女神は人類と邪竜、どちらに微笑むのか。
それは、誰にも分からない。
「ミカエル様、ズメイのブレスによりアルムトポリとアキヤール要塞が壊滅したとの情報が」
「……なに?」
眉をひそめながらオペレーターの方を向くルシフェル。戦闘人形のオペレーターは顔色一つ変えずに立体投影されたホログラムのキーボードを叩くと、「間違いありません」と言いながら観測ドローンからの映像をモニターに投影する。
プラズマによる磁場の影響のせいなのだろう、映像は乱れに乱れておりさながら壊れたテレビのようであったが、しかしノイズ越しにも現地の惨状は見て取れた。
ミカエルの記憶や精神構造を複製しているが故に、ルシフェルは言葉を失い目を見開く。
アルムトポリ―――アルミヤ半島最大の都市にして黒海艦隊司令部のある街に、赤々と燻る巨大な線が刻まれているのである。
それがズメイのブレスが掠めた結果である事は明白だった。
高台にあったアキヤール要塞を消滅させ、市街地をさながら豆腐を切り分けるかの如く一閃したブレス。どれだけの人命が失われたのかは想像に難くないが、しかし犠牲者に哀悼の意を表している場合ではない事は、ルシフェル自身が一番よく分かっている。
あれだけのエネルギーが放たれたのである―――そんなものが万一、黒海に着弾したらどうなるか。
「弾道から着弾地点は割り出せるか」
「推定でアルミヤ沖700海里」
「アルミヤ沖にて極めて大規模な水蒸気爆発を観測」
万一、ブレスが黒海に着弾すればどうなるか。
掠めただけで都市を両断するほどのそれが海面に着弾すれば、大量の海水の消滅と、それに伴う水蒸気爆発で津波が発生するであろう。
しかも黒海はチャナッカレ海峡というアスマン・オルコ側の出口を抜けなければ外洋へと出る事は出来ない内海だ。一度発生した津波は沿岸部を襲って反射し、何度も反復的に襲い掛かってくるであろう。
特にアルミヤ沖やイライナ南部―――アレーサやガリヴポリといった沿岸部の都市が壊滅的打撃を被り、最悪消滅する可能性があるのは想像に難くない。
ルシフェルは意識を戦略指揮AI『セフィロト』に接続し、シミュレーションを始めた。
それによるとズメイのブレスはTNT換算にして実に約『145.6テラトン』、あのツァーリ・ボンバの300万倍にも達する。
ではそれが、仮にアラル山脈からやや俯角を付けた状態でアルミヤ半島上空を通過し黒海に着弾した場合、想定される津波の高さと沿岸部までの到達時間は。
【AIセフィロトからの返答。アレーサで観測される津波の高さ:約50m。推定到達時間:50分。ガリヴポリで観測される津波の高さ:約4m。推定到達時間:1時間と32分】
母さん、と一瞬だけレギーナの顔が頭に浮かんだ。
ルシフェルの自我ではない―――ミカエルの記憶と精神構造を複製したが故に生じるノイズだ。
「アレーサ及びガリヴポリ、その近隣の沿岸部住民に緊急避難指示を出せ」
「しかしミカエル様、両都市はこちらの管轄外でありリュハンシク領主の権限を逸脱しています。せめて宰相閣下のご裁可を―――」
「姉上の判断を仰いでいる時間はない。責任は俺が取る、やってくれ」
「しかし」
「大勢が死んでからでは遅いのだ!!」
頼む、やってくれ―――声を荒げてから呼吸を整え、ルシフェルは念を押すように言った。
「……了解」
「ミカエル様、極音速ミサイル装備の航空隊、出撃準備が完了しました」
「よろしい、離陸を許可しろ」
パネルに手をつき、ルシフェルはモニターに映し出される光景を睨む。
やってくれたな、と。
この報い、必ず受けさせてやる―――自身が機械である事を自覚していながら、しかし人間とそう変わらぬ振る舞いをしている事に自分自身でも驚いたルシフェルは、しかし感情のままに声を絞り出した。
「やられてばかりで終われるか。徹底的にやり返せ!」
かつてイライナは、国内に合計で35ヵ所にも及ぶ”恒久汚染地域”を抱えていた。
ゾンビが徘徊し、土壌も植生も汚染され、大気すらも人体に有毒で、あらゆる生命が生存していくには適さない不毛の地。
しかしミカエルが発令した、錬金術を用いた『国土回復作戦』により恒久汚染地域は消滅。今のイライナは国土全域を取り戻している。
その際に活躍したのが、リュハンシク州に建造された除染施設である。
ミカエルが錬金術を用いて土壌や大気中、水源から抽出した汚染物質を結晶化し、それを超高濃度エリクサーの充填されたサイロに投下、長い年月をかけて中和し除染を行うというものだ。
既に国土の回復が完了したイライナでは国土回復作戦とそれに関連する事業は終了が宣言されており、リュハンシクに建造された除染施設も役目を終えた……かに、思われた。
それが表向きの目的であったと、いったい誰が思った事だろうか。
確かに国土の回復と除染は最優先事項である。穀倉地帯であるイライナにとって、農業に活用できない土地の面積が増えるだけで大きな損害になってしまう。だから国土を回復させ食料生産能力を底上げする事は、国力向上の観点から見ても大きな意味があった。
そしてそのための除染施設建造は、国防的観点から見ても大きな意味があったのである。
旧除染施設―――かつては汚染物質を中和する巨大な地下サイロのあったその施設に、大きな警報が鳴り響く。
紅い警報灯の点滅と共に、ギギギ、と金属の軋む音を立て、表面に付着した氷を強引に剥がしながら、かつて汚染物質を溜め込んでいた地下サイロの分厚いハッチが解放されていく。
合計10基のサイロ全てが、同時に解放された。
月明りを受け、その中にぼんやりと浮かび上がるのは―――大陸間弾道ミサイル『トーポリM』、その対消滅弾頭仕様だった。
そう、今では全ての除染サイロがこうした大陸間弾道ミサイル用のミサイルサイロとして転用されているのである。
否、やっと本来の姿に戻ったと言うべきか。
汚染物質の除去、そのための除染施設の建造というのは本音でもあり、建前でもあった。
イライナ国内の恒久汚染地域の排除と、それにより生じる汚染物質の除去のための施設―――それの建造である、と国内外に通達し、実際そのように稼働させておけば、隣国ノヴォシアや国内のノヴォシアのスパイを徒に警戒させる事もない。
そして事業が終わり、ほとぼりが冷めたタイミングでリガロフ家の財力(とATMからせしめた資金)を湯水のように使い施設を極秘裏に再整備。ミサイルを運び込んで軍事拠点化したのである。
最初からミサイルサイロとして使用する想定で建造した除染サイロは十分な深さと容積があるし、超高濃度エリクサーの注入ルートはそのまま煙の排出口としても流用できる、というわけだ。
どう、とサイロの中でミサイルがついに解き放たれた。
それを合図に、02と記載されたサイロの内部でもミサイルがエンジンに点火。真っ黒に塗装されたミサイルの弾頭部がせり上がり、最初に発射されたミサイルの背中を追うように夜空へと向けて打ち上げられていく。
1つの施設につき10発、合計150発にも及ぶ対消滅ミサイル。
それらが目指すのはアラル山脈中腹―――封印から解放されて間もない、寝起きのズメイただ1体のみ。
僅かな風の乱れを、ズメイは鋭敏に察知した。
それが何なのかは予測しえないが―――しかし自らに害をなすものであろう事は、容易に想像がついた。
天を睨み、口を大きく開く。
その口腔の中は大きく焼損し、ぶすぶすと焦げていた。
あのプラズマブレスは簡単に放てるものではない。臓器にも、首の中にある生体コイルにも、そしてノズル状の口腔にも多大な負荷がかかるし、口腔や首の一部に関してはその熱に耐えきれずに融解、自壊してしまう欠点もある。
しかしそれでも、ズメイはプラズマブレスでの迎撃を試みようと臓器に圧力をかける。
だが、200年にも渡る封印から解放されたばかりで身体がまだ慣れていないのか、永きに渡るブランクで鈍った身体は脳からの命令に対応できなかった。バイオキャパシタは痙攣するばかりで本来の役目を果たせず、首の筋肉組織は無茶な命令に悲鳴を上げ、黒焦げになった口腔は再生が終わっていない。
そのもどかしさに、ズメイは吼えた。
地の底から響くような、しかしどこか女性の金切声にも思える甲高い咆哮。
至近距離で受ければ人間の兵士など鼓膜を破壊されるか、その音圧で吹き飛ばされている事であろう。
しかしズメイに牙を剥いたのは人間の兵士などではなく、超弩級の戦略兵器たちだった。
翼を広げて飛び立とうとするズメイを、真上から飛来した一発の対消滅榴弾が叩き落す。常軌を逸した運動エネルギーを背中に受けたズメイは口から血を吐き出し、背中の外殻を叩き割られながら地に伏せた。
それに追従するように、上空から飛来する総勢150発の対消滅ミサイルたち。
その着弾と同時に対消滅榴弾も起爆し―――合計151発分の対消滅エネルギーが、ズメイ1体のためだけに牙を剥いた。
『首狩り公爵』ガブリエルに関する証言
村のパン屋(当時37歳、女性)
『正直に言えば、最初は恐ろしかったんです。小さくて可愛い顔をしている割には、戦場では苛烈で容赦のない戦いをしているって。そして売国奴やノヴォシアのスパイは裁判にかけ、容赦なく斬首刑にしているって。けれども農作物の不作で飢えた子供がいると聞くとすぐに食糧配給のためのトラックが村にやってきたんです』
炭鉱夫(当時45歳、男性)
『冬になって降雪量が例年以上、木造家屋は倒壊の危険性があるって専門家が訴えると、ガブリエル様は各村を直々に視察して廃校舎を臨時の避難場所にしてくれました。薪や黒パン、毛布を自分の城の備蓄から割いて村人に配ったんです。この人が本当に”首狩り公爵”なんて呼ばれているのが、私には信じられませんでした』
死刑執行人(当時32歳、男性)
『ガブリエル様がリュハンシクを統治されるようになってから、我々の仕事は無くなりました。スパイや売国奴の裁判はガブリエル様が直々に行い、有罪判決の出た罪人の斬首まであのお方が直々に執り行うようになったのです。最初は残酷な方だと思ったんですが、ある日聴いたんですよ……あの人、罪人の首を刎ねる前に祈りの言葉を呟いていたんです』
死刑反対運動に関わった青年(当時19歳、男性)
『罪人を次々に斬首していくあの人は残酷すぎました。だから俺たちは行動を起こしたんです。同志を集め、恐怖による統治をやめてほしいとリュハンシク城の前で訴えました。するとガブリエル様が城から出てきて、俺に向かってこう言ったんです。【斬首は止めない、この恐怖は敵に対する抑止力だからだ。それを良しとしないならば叛乱でも革命でも起こしてくれて構わない。私は歓迎する】と」
修道女(当時36歳、女性)
『罪人が処刑される前、ガブリエル様は必ず祈りの言葉を囁きました。哀れな魂に救済があらんことを、あるいは良き魂に生まれ変わらんことを、と。慈悲深いお方ですが、だからこそ恐ろしいのです。あのお方は憎しみで人を殺すのではなく、正しい行いだと信じ切った心で裁く。信仰が人を救いもすれば、また刃にもなると知ったのは……あのお方を見てからです』
なお、1988年9月21日に民主制へ移行した際、斬首刑による恐怖政治を行ったガブリエルを糾弾、あるいは死刑に処すべきという意見が一部で噴出しイライナ議会で審議入りとなった。この【ガブリエル・ラファエロヴィッチ・リガロフ公爵(以下、被告)に対する糾弾決議案及び死刑請求動議の可否】はイライナ議会下院において『賛成122票、反対207票、棄権11票』で否決されており、上院においても『賛成12票、反対48票、棄権2票』で否決されている。
ガブリエルは民主制に移行すれば真っ先にギロチン台に送られるのは自分であろう事を予測しており、しかしその上で権力を手放し民主化を推進した。その際、止めようとする家臣に対し『これでいい。血を流すイライナ人が私で最期となるならば』と笑みを浮かべて語ったとされている。
祖父ミカエルの蒔いた民主主義の種は、国民の成熟と孫の覚悟を以て芽吹いたのである。




