その名はズメイ
ズメイ「復活した証には今度こそ世界を焼き払ってやるぜグヘヘ」
パヴェル「じゃあ復活した暁にはお前を三重人格黒髪爆乳ドラゴン娘として擬人化した上で王道の性癖からアブノーマルな性癖までを網羅した薄い本を描いてやる。まずはゴブリンとオークを相手に喘いでもらおうか」
ズメイ「」
「これが……ここに本当にズメイが……」
マキシム博士の付き添いでやってきた兵士の1人が、アラル山脈に屹立する巨大な石碑を見上げながら呟いた。
広大な大自然……されど所々に200年前の惨劇の爪痕を色濃く残すアラル山脈の一角に、”それ”は鎮座している。
全高5mにも達する大剣型の巨大な石碑。表面には旧いノヴォシア語がびっしりと彫り込まれており、何やら物々しい雰囲気を放っている。
共産主義政権に移行し、現在進行形の大粛清により国内から宗教や魔術師を徹底的に排除したノヴォシアの兵士たちが知らぬのも無理のない事だが、表面にびっしりと刻まれた旧いノヴォシア語は全てズメイ封印のための祈祷だ。200年前、大英雄イリヤーと盟友ニキーティチの2人が施したものであるとされている。
原則として、封印はそれを施した瞬間が最も強力であり、その後は時が経つにつれて段々と弱まっていく、というのが常識だ。とはいえ、ズメイと真っ向からやり合った大英雄が2人がかりで施した封印が僅か200年で揺らぎ始めるのだから、この石碑に封じられているズメイがどれだけ強大な存在なのかは想像に難くない。
「素晴らしい」
兵士たちが機材を用意し、照明で照らす巨大な石碑の表面をそっと指先でなぞりながら、ノヴォシア軍技術将校のマキシム博士は感嘆した。
帝政ノヴォシア時代、アラル山脈の一角は立ち入り禁止区域に指定されていた。それは無論ズメイを封印したこの石碑が存在するからであり、帝室が認可した魔術研究者やごく一部の軍の高官しか立ち入る事は許されておらず、多くの国民は『あの山にはズメイが眠る石碑がある』という話でしか、その存在を聞いた事が無かったのである。
200年前―――大英雄たちの遺した石碑、その実物を目にしたマキシム博士は沸き立つ探求心をいよいよ抑えきれなくなりつつあった。
今回の計画は、共産党書記長レーニンとその腹心スターリンの肝いりだ。帝政ノヴォシアがおよそ200年にわたり手を付ける事もなく、ただ封印の維持に努めるばかりだったズメイ。もしそれを現代の技術で制御し軍事兵器とする事が出来れば、ノヴォシアの軍事的優位性は揺るぎないものとなるであろう。
200年前、ノヴォシア、ベラシア、イライナの三国を滅亡寸前まで追い込んだ災厄の邪竜、ズメイ。その鱗と外殻はあらゆる剣も大砲も受け付けず、無限に近い再生能力は不死を保証し、口から吐き出すプラズマブレスは大地を穿ったとされ、その災厄の記憶はノヴォシアやイライナに生きる人々に遺伝子レベルで刻まれている。
一説によると、かつてアルミヤ半島はノヴォシア側と繋がっていたとされるが、ズメイのブレスの流れ弾により接合部が寸断されてしまい今の姿となった、という伝承が存在する。地質調査の結果も『かつて繋がっていた可能性が高い』という裏付けが出ているため間違いではないだろう。
地形を変えてしまう程の火力を持つ、エンシェントドラゴン。
それを手懐ける事が出来れば、イライナ併合どころの話ではない。
イライナをノヴォシアに取り込んで食糧問題を解決させるだけではなく、ハンガリアとグラントリアを盟主とする”バルカン連邦”への抑止力ともなるだろう。可能であればそのままズメイを先頭に攻め込んでしまう事も可能かもしれない。
いずれにせよ、まずはイライナである。あの豊穣の地を手に入れない事にはノヴォシアの問題は解決しないし、同国は背後に控えるバルカン連邦の緩衝地帯として機能している。イライナを併合しなければノヴォシアの西進と領土拡張の野心は始まらない。
それに、旧来のノヴォシア帝国ですら恐れをなし手を付ける事のなかったズメイの制御は、これまでの保守的思想とは相反する革新的な計画だ。革命を何よりも重んじるノヴォシア共産党との政治的思想とも合致する。
「200年……こんなところに押し込められていたんだな、ズメイ」
石碑に触れたまま、博士は呟いた。
それは200年間、封印され孤独を強いられてきたズメイに対する同情などではない。
博士の顔には邪悪な笑みが浮かんでいた。
まるでそれは、新しい実験動物を見ながら狂気的な実験を思いついたマッドサイエンティストにも似た笑み。
(祖国を滅亡寸前まで追い込んだ罪は重い。せいぜい我が党の下で奉仕してもらおうか)
それこそが、祖国に傷跡を刻んだズメイに許された罪の清算なのだから。
それこそが、唯一の贖罪の道なのだから。
仄かに光を放つ封印の祈祷。それはかつては夜空に浮かぶ星さながらの光を放っていたというが、しかし今はあまりにも弱々しい……死にかけのホタルといい勝負である。
200年、大英雄イリヤーによる封印から毎年保守点検を欠かさず、監視も徹底してたった200年しか持ちこたえられなかったのだ。大英雄の封印を打ち破るほどのエンシェントドラゴンの力、如何程か。
期待に胸を膨らませるマキシム博士。しかしその時、不意に響いた叫びが博士の思考を断ち切った。
「ギャァァァァァァァ!!!」
「アルチョム!」
悲鳴を発しているのは、エミル・ナガン小銃を手にした兵士の1人だった。
ヒグマのような屈強な体格の兵士が、しかし巨大な何かに腕を食い千切られ、血を流しながら地面の上を転がっている。
鋭い牙で千切られた腕の傷口から大量の血を流し、仲間に助けを求めながら地面を這うアルチョム。しかしその直後、茂みの中から伸びてきた大蛇のような首がその足に喰らい付き、絶叫する彼をそのまま茂みの中へと引きずり込んでいった。
アルチョムの断末魔と肉を引き裂く音、骨を噛み砕く音―――彼がどんな末路を辿ったのかは、考えるまでもないだろう。
「同志マキシム!」
「フン……”竜の仔”か」
撃ち殺せ、と命じるなり、兵士たちは半ばパニックになりながらも茂みの中にエミル・ナガン小銃を発砲し始めた。
ダン、ダン、と銃声が響き、茂みの向こう側で化け物の絶叫が響く。
唐突に茂みが盛り上がり、中から黒い外殻に覆われた巨体が飛び出してくる。
全長2mほどの小柄な身体と、胴体から伸びた3つの首。背中にあるのは悪魔のような形状の翼……この世界に生息するどの飛竜とも外見的特徴の合致しないおぞましい姿。
間違いない、竜の仔だ。
ズメイの細胞から生じたと思われる幼体。自らの”母体”たるズメイに危機が迫っていると本能で察知したのか、それとも人間が集まっているからなのかは定かではないが、しかしズメイ制御計画の生涯である事に変わりはなく、計画の障害として排除するのみである。
さすがに7.62㎜弾のつるべ撃ちには耐えられなかったらしい。黒い外殻の破片を撒き散らし、弾痕から血を流しながらも暴れ回った竜の仔は、母体が封印されている石碑を前にして崩れ落ち、そのまま動かなくなった。
「……死んだか」
「アルチョムの仇だ」
「馬鹿な奴だ。勝てるわけもないのに」
死体を蹴りつけながら、兵士たちが吐き捨てる。
ふと、マキシム博士は不思議な現象を見た。
「……?」
竜の仔から流れ出た血―――赤黒くどろりとしたそれが、ゆっくりと石碑の方へと流れ始めたのである。
ここはアラル山脈の中腹だ。山脈の真っ只中という事もあって平地である筈もなく、竜の仔の倒れた場所と石碑の間には緩やかではあるが勾配がある。
竜の仔から流れた血が―――信じがたい事に、まるで重力の流れに逆らうかの如く勾配を登り、石碑へと向かい始めたのだ。
そのあまりにも異質な光景に驚く兵士たち。1人がその血の流れを踏みつけるが、しかしそれでも血流は止まらない。むしろ踏みつけられたことによって拡散、枝分かれして、地面に電子回路さながらの模様を描きながら石碑へと向かっていく。
やがて血流は、石碑へと吸い込まれていった。
異様な現象としか言いようがなかった。石碑に接触した竜の仔の血が、まるでスポンジに吸われていく水のように染み込んだのである。
「博士」
「なんだ」
「ま……魔力波形に乱れが」
「なに?」
石碑に計測機器を接続し、状態を観測していた技術士官の報告に、マキシム博士は目を見開いた。オシロスコープを思わせる、レトロフューチャー映画に登場するような計測機器の画面に生じた波形は、確かに竜の仔の血が石碑に接触した瞬間を境に大きく変動している。
凪いだ海のような状態から、波形が上下に激しく振り切れているのだ。まるで目を瞑ったまま、衝動に身を任せて筆を走らせたかのような荒ぶった波形。やがてそれはピン、と上限値に振り切れたまま微動だにしなくなるや、画面上部に横這いの波形を走らせる。
この計測機器では測定できない数値、という事だ。
まさか、と博士が声を絞り出したのと、ピシッ、と亀裂の生じるような音が聴こえたのは同時だった。
恐る恐る顔を上げる博士。
その視界の先では、望んでいた事が―――そして心のどこかでは恐れていた事が現実になりつつあった。
ズメイの封印の石碑に、これ以上ないほど巨大な亀裂が走っているのである。
石碑が崩壊する―――数分もしないうちに訪れるであろう未来を予測すると同時に、石碑は音を立てて崩れ始めた。
2人の英雄が命を懸けて封印の祈祷を施し、それからノヴォシアに住まう聖職者たちが毎月欠かさず施していた追加の祈祷。そして毎日の専門家による保守点検。
帝政ノヴォシアが国家の威信をかけ、そして人類を滅亡から守るために心血を注いで保ってきた封印が、ついに破られる瞬間であった。
「逃げろ!」
技術士官の腕を引っ張って走り出す博士。直後、背後で計測機器が崩落した石碑の一部に押し潰される音がして、あのままとどまっていたら自分たちもそうなっていたかもしれない、と恐怖を滲ませる。
「コントロールロッドの用意を!」
崩壊する石碑から全力ダッシュで十分な距離を取るなり、マキシム博士は叫んだ。
研究員や護衛の兵士たちと共に、今回は砲兵隊も連れてきている。
博士からの命令を待つまでもなく、既に砲兵隊たちは57㎜野砲の展開を終えていた。アウトリガーを四方に伸ばして野砲を固定、照準も固定し砲尾から専用の砲弾―――”コントロールロッド”を装填し始めている。
ノヴォシアの技術の粋を集めて生産した、ズメイ制御用の砲弾だ。
鋭利な銛を思わせる形状のそれは、発射されるや空気抵抗を受け流しながら急激に加速。弾頭部にイライナ以外では入手困難である極めて貴重な賢者の石をふんだんに使用しており、十分な耐久性を持つそれは着弾と同時に対象へと融着。ズメイの神経をジャックし操るという、極めて野心的な設計となっている。
同条件で設計したものでも飛竜の神経ジャックには成功しており、57㎜砲に合わせてスケールアップしたこれであれば、相手がズメイであっても十分な効果が期待できるであろう。
いくら神話の時代の怪物でも、神経をジャックされてしまえばそれまでだ。本体の自我が如何に強力であろうと、身体が言う事を聞かなければそれまでなのである。
「!」
薄氷に亀裂が生じるような音に、その場にいた全員が息を呑んだ。
先ほどまで大剣型の石碑があった場所。
石碑が崩落し、何も無い空間となった場所に―――血のように紅い亀裂が生じていたのだ。
ピキ、ピキ、と甲高い音と共に、じわじわと―――しかし着実に広がっていく亀裂。
やがて―――空間が、割れた。
裂け目とも言うべき裂傷。さながら切り傷のようにぱっくりと開いた真っ赤な空間の中から、巨大な影が姿を現す。
最初は大蛇かと思った。
しかし明らかに、大蛇などとは違う。
鋭い牙が幾重にも並んだ口と、鋭く黒い外殻が並んだ頭。鋭角的な外殻は頭の後方で放射状に延びており、さながら百獣の王の鬣のような威厳と風格がある。
そんな長い首が、2本。
遅れて重厚な胴体と、背中で折り畳まれた悪魔のような翼―――そしてその全長135m、翼長300mにも達する巨体が、次元の逆目から現れる。
ずん、と大地を踏み締める巨体。その外殻の繋ぎ目からは、ぼんやりと生物らしからぬ紅い光が漏れていた。
誰もが思った―――邪竜だ、と。
英雄イリヤー伝説に登場する伝説の邪竜―――多くの民が、幼い頃に絵本で読み聞かせられた英雄譚。それに登場した伝説のエンシェントドラゴン……次元の裂け目から封印を破って現れた”それ”は、伝承と違わぬ姿と威容を以て、ついにその姿を現した。
胸元の大きな傷と、1つ欠けた首。
まさしくそれは―――大英雄イリヤーが、盟友ニキーティチと共に決死の思いで封印した世界最強の邪悪そのものだった。
「ズメイ……!」
世界最強の邪悪。
その名は―――【ズメイ】。
エカテリーナ・ステファノヴァ・リガロヴァ公爵の逸話
1.「戦には地図の前で勝て」
イライナ独立戦争前夜、諸将が前線で戦う覚悟を語った際の逸話。ズムイ州の前線での守備を命じられたとある将軍が『我らが命、祖国独立のために投げ打ってご覧に入れましょう』と語った際、エカテリーナは笑顔で『命は戦場に捧げるものではありません。まずは地図の前に捧げなさい。勝つ戦争はここ(作戦室)で決まります』と返したとされる。
2.「泣き虫公爵」
若い頃のエカテリーナは、1つの州を任された領主としての責任の重さもあり、前線で戦う兵士たちの戦士者数を耳にする度に1人で泣いては書斎にこもり、国防計画を1人で練り直し続けた。
後年、側近の老臣は『彼女ほど国を想い、兵を想い、民を想い泣いた領主を私は知らない。そして翌朝にはいつも決まって、泣いた分だけ強くなられていた』と回想している。
3.将棋盤のような作戦室
エカテリーナに与えられた”ズムイ城”の作戦室は、床一面に巨大な地図が描かれ、都市・補給路・地形が精巧に描き込まれていたほか、兵士を意味する駒がチェス盤さながらに並べられていた。エカテリーナはよく靴を脱ぎ、この地図の上を歩きながら作戦を考えたり将軍たちに説明していたとされる。
戦時中、ある若い士官が『公爵様、戦争を戦う兵士は駒ではありません。1人1人、家庭を持つ人間にございます』と訴えた際、エカテリーナは表情を変えずこう返したという。
【ええ、承知しています。だから一手を見誤らないよう注意を払っているのです】
5.「捕虜交換交渉で紅茶を出した話」
独立戦争時、捕虜交換及び戦死者の死体処理(ゾンビ化回避目的)の交渉のためにズムイ城を訪れたノヴォシア側の将校に対し、エカテリーナはメイドにまず紅茶を出させた。ノヴォシアの将軍が『我々は捕虜交換と死体処理について、すなわち戦争についての話をしに来たのであってお茶会に来たわけではない』と述べると、エカテリーナは『では猶更、温かい飲み物が必要でしょう? 人の心が冷えたままでは、いい結果になるとは思えません』と返答した。
6.「クニャージ・リガロフ級戦艦命名」
クニャージ・リガロフ級戦艦の2番艦以降の名前にイライナ独立の立役者となったリガロフ姉弟の名前をつけよう、という案が浮かんだ際、一部の軍の高官は『存命中の人物の名前を軍艦に使うのは不吉ではないか』、『万一沈んだらリガロフ公に申し訳が立たない』と反対。
これに対し当時66歳となったエカテリーナは『では沈めぬよう努力なさればよろしい事。世界最強のイライナ海軍であれば造作も無いでしょう?』と述べた。
その後沈黙が走り、全会一致で承認に終わった。なお、クニャージ・リガロフ級戦艦は名前の由来となったリガロフ姉弟がそうであったように、常に前線に立ち激しい攻撃に晒されたが、1934年の就役から2025年現在に至るまで1隻も損失を出しておらず全艦が現存している。
7.「匿名のパン屋」
戦時中、ズムイ州で食糧不足となった村に匿名でパンを届ける人物がいた。それに気付いた村人が配られたパンの袋を確認すると、リガロフ家の紋章があったという。また夜間に1台の車に乗った私服姿の女性がパンを配っている姿も目撃されており、この人物はエカテリーナだったのではないか、と言われているが現在に至るまで謎のままである。
8.「子供に傘を貸した公爵」
式典の帰り道、雨が降り出した際に傘もなく歩いていた子供に歩み寄ったエカテリーナは、自分の傘で子供を雨から守りながら家まで送り届けた。夫のロイドは慌てたが、彼女は『ノブレス・オブリージュとは、まず子供を濡らさない事ですわ』と微笑んで返した。




