神話の時代の怪物
シャーロット「最近気付いた事あるんだ」
ミカエル「なあに?」
シャーロット「ボクのサブボディ、萌え袖を左右で結ばれると何故か意識がシャットダウンされる」
ミカエル「……なして???」
シャーロット「ちなみに娘は萌え袖結ばれると寝るよ」キュッ
サキエル「寝」
ミカエル「何でこの親子萌え袖がキルスイッチになってるんです???」
シャーロット「多分パパもじゃないかな?」キュッ
ミカエル「ヒュッ(昏倒)」
結論:萌え袖キルスイッチはたぶん遺伝
大英雄イリヤーの伝説は、イライナやノヴォシア、ベラシアに住む人々ならば誰でも知っている。現代においてもなお絵本や演劇、映画の題材としては鉄板だし、軍にもイリヤーの武功にあやかって『イリヤー小隊』とか、そんな感じに部隊名にするところもあるほどだという。
リガロフ家の始祖、俺たちの祖先がそんなにも知名度が高いのは、やはり多くのイライナ人、ノヴォシア人、ベラシア人たちの記憶にズメイの脅威が焼き付いている事の裏返しと言ってもいいだろう。
ページをめくり、旧いイライナ語やノヴォシア語で書き記された伝承の一節一節を頭の中に叩き込んでいく。
いずれもズメイについての記述だ。3つの首に全長135mにも及ぶ巨体、悪魔のような翼を広げると300mにも達するエンシェントドラゴンの1体であり、その名前は古代ノヴォシア語で『邪竜』、古代イライナ語では『災いの具現』を意味するとされている。
伝承には多少のばらつきがあるが、外見的特徴に関しては概ねこれで一致しているため間違いはないだろう。堅牢極まりない黒い外殻を持ち、その繋ぎ目からは怒り狂ったかのように紅い光を漏らしていたという記述もあり、その身体的特徴は竜の仔とも合致する。
その口から放つブレスは一撃でアラル山脈を削り、掠めただけで森は燃え、噴煙は天蓋となって大地に闇をもたらした……そのような記述が多い事から、おそらくは蒸発した岩石や土壌の粒子が成層圏まで吹き飛ばされ、いわゆる火山灰のように日光を遮ったのではないかと推定される。
事実、ズメイ封印後の記録、特に農作物の収穫量の記録を見る限りではズメイ戦後にノヴォシア地方で記録的な飢饉が発生した事になっているし、その辺りを境に黒海の魚の何種類かが絶滅を記録している事からも生態系に甚大な影響をもたらした事が窺い知れる。
ただのブレスの一撃でこれほどまでの甚大な被害を与えるのだ。
まさに”邪竜”―――存在そのものが地球上の全生物の脅威となり得る。
記述を読むだけで鳩尾に水銀でも溜まったかのようなずっしりと重い感覚を覚えるが、しかし希望もある。
今のズメイは間違いなく、弱体化しているという事だ。
ズメイの恐ろしさはブレスの破壊力は再生能力もそうだが、3つの頭に宿した3つの独立した自我による高度な思考能力とフェイルセーフ能力による高精度な判断力にある。
例えばAIがそうだ。基本、システム制御系のAIは単独ではなく複数搭載されていて、それぞれで同一の制御を行う。その際もしAIのうちの1基がシステムエラーを起こしてしまったり、誤った判断を下してしまったとしても、残るAIたちとの判断と比較し多数決を行う事でシステム的誤判断を防ぐ……というものだ。
ズメイはそれと同じような事を3つの首と3つの自我で行っている、という事である。
それだけではない。
3つの独立した自我があるという事は、それぞれ3つの独立した脅威に対処できるという事を意味する。
だから仲間の誰かが囮になって攻撃を引きつけようにも、それに釣られるのは首のうちの1つだけであって残りの2つはその他の脅威に警戒を続けるから囮作戦は効果が薄い、ということだ。
そうでなくとも情報処理能力は3倍……イージスシステムとまではいかないが、生物としては極めて高度な敵認識能力と情報処理能力を構築した存在と言えるだろう。
しかし今、ズメイは首のうちの1つを失っている。
大英雄イリヤーが、今はアナスタシア姉さんの手元にある宝剣『イリヤーの大剣』で首を斬り落としてしまったからだ。しかもその斬り落とされた首はゾンビズメイとして復活するも20年前に俺たちにより討伐されている。
つまり今のズメイの首は2つ―――斬り落とされた首の傷口も再生する事は無かった、と伝承にあるため、おそらくこの古傷が外見上の弱点として狙い目になるだろうが、それ以上に大きいのは【首1つの喪失により先述の高度な思考能力に破綻を来している】という点に尽きる。
つまり独立した自我が肉体に2つも宿った状態となっており、多数決が成立しえない状態となっているのだ。
そんな状態で異なる結論を下した自我同士がぶつかり合えばどうなるか。
もしかしたらシステムがエラーを吐くように、ズメイも意識に一種のシステムエラーを起こすのではないか……俺はそう見ている。
「……ふう」
息を吐き、読んでいたエンシェントドラゴンの伝承を本棚に戻した。
リュハンシク城の一角に存在する大書庫。戦闘人形のメイドたちが清掃してくれているこの大規模な書庫の中には、古今東西あらゆる記録が収められている。大昔の英雄譚や神話から歴史書、古文書、魔術教本、錬金術教本、経済の本に至るまで……。
それこそジノヴィ兄さんが推進している大規模記録保全施設『メモリアム』とその建造計画にそのまま寄贈できるレベルの記録が、この城の大書庫にも存在している。まあほとんどは原本ではなく複製本なのだが、それでも記録は記録。後世に遺すという意味では価値があるのかもしれない。
こうしてズメイに関連する伝承をあさる作業を開始してから5時間。
清掃のメイドたちの邪魔にならないよう、大書庫中央部に用意された机と休憩用の椅子があるところまで伝承本を抱えながら戻る。机ではノートPCでデータベースにアクセスしているアザゼルと、熱心に古文書をめくるサキエルの2人がいた。
「サキ、何かわかった?」
「うーん」
頭を掻き、本から視線を外して背伸びをするサキエル。熱心に本やモニターを睨む彼女の顔はシャーロットに本当にそっくりで、真面目に研究をしている時の彼女と瓜二つなのだ。やっぱりお母さんに似たのかなぁ……と思いながら返答を待っていると、サキエルは息を吐いてから伝承の1ページを指示した。
「ここ、ずっと引っかかってるんです」
「……首の1つが欠けている、というところか」
相変わらず表情のない戦闘人形のメイドがやってきた。お盆に乗せた人数分のホットココアをテーブルの上に置くなり、ぺこりと一礼してから去っていく。
イライナ国旗が描かれたマグカップを手に、ミルクと砂糖ドカ盛りのホットココアを冷ましながら一口。やっぱり頭でカロリーを使った後はこれに限る。
「楽観的とは思うが、首が3つから2つに減って多数決が破綻してるんだし少しは状況楽になるんじゃないかなって思ってるんだ運がよけりゃあエラーでも吐いてくれるんじゃないかってな。そこが付け込む隙だと俺は見ている」
「そこ。私もそこで引っかかってたんです」
サキエルの声音が変わった。
正直言って、サキエルはあまり明朗快活なタイプとは言い難い。どちらかというと部屋や研究室の中に閉じこもり、1人で延々と研究に没頭している事が多いタイプだ。それに伴って性格も内向的、人見知りも激しいタイプだが研究の話になると一気に饒舌になる。
声音が変わったという事は、サキエルの専門とする分野に足を踏み入れたと認識して間違いないだろう。
「3つの思考構造を持つズメイが頭を1つ失いシステム的冗長性を失っている……平時は3つの思考系統で多数決を行い誤判断を防ぐそれが、1系統の欠損で多数決による意思決定機構に破綻を来している。確かに前提条件の破綻、仮にこれがシステムの制御機構であり相反する決定をしてしまえばエラーを起こしてしまってもおかしくはありません。仮にエラーを起こさなくとも判断の再試行を強いられることになり、結果として隙は生じるでしょう。しかしここにズメイは機械ではなく、そもそも生物であるというファクターを加えると状況は一変するのではないか、と私は見ています」
「お、おう……ちなみにどう見てる?」
唐突に早口になったうえ口数の増えたサキエルにちょっと圧倒されながらも問うと、サキエルは伝承に描かれているズメイのイラストを指で指し示しながら言った。
「……父上は”機能代償”という言葉を聞いた事はありますか?」
「機能代償って……アレだろ、事故とかで欠損した脳や身体の一部の代わりに、他の部位が喪失した部位の代わりを果たそうと発達する……」
そこまで口にして、まさか、と小さく声が出た。
「―――それが、頭の1つを失ったズメイにも発生していると?」
「そう考えるのが自然ではないか、というのが私の意見です」
ホットココアをちびちびやるアザゼルの隣で、サキエルは続ける。
「そもそもズメイの生物的な利点はブレスの破壊力でも外殻の防御力でもなく、不死に近い再生能力と高い知能、高い適応能力にあります。であれば、思考系統の1つの喪失に対しても内部的に補完的、あるいは代替的な制御機構が形成されていてもおかしくないんです」
「まさか……身体の中に脳味噌がもう1つ形成されてるとか、そんな感じか?」
「それは分かりません、可能性として排除は出来ません。ですが仮説としてあり得るのは【残った首の2つに上位と下位の序列が発生している】可能性、【仮想の3つ目の頭が形成されている】可能性です。個人的には後者の可能性が高いと思っています」
「あの……ごめん、パパ素人だから分かりやすく説明してくれる?」
「あっ、ゴメンナサイ……」
あわわ、と少し取り乱したようにしてからこほんと小さく咳払いするサキエル。シャーロットと比較すると感情豊かだが、多分この陰キャ的なところは俺の遺伝だろうなぁ……とつくづく思う。
「ええとですね……母上と一緒に竜の仔の死体を解剖した時に判明した事なんですが。モニカさんが討伐した竜の仔の中に、首のうちの1本を切断された状態の個体が居ました」
「ああ、確かに居たな。モニカの機関銃の掃射をもろに受けて首をふっ飛ばされた奴」
「その個体なんですが……神経系が他の個体よりも発達した形跡があったんです」
「どういうことだ?」
「竜の仔はおそらく、”頭が失われる前の判断履歴や膨大な記憶を神経的にバックアップを取っている”可能性があるんです。その首が欠けた個体がもし、その記録をアルゴリズム的に再現していたのだとしたら……」
つくづく、生き物とは機械の限界を超えていく存在なのだなと思わされる。
これも進化の一種なのだろう―――機能代償、それは人間に限った話などではない。
「じゃあなんだ……首が欠けた竜の仔は、死の直前になって【過去の自我】を1つ再現してたとでもいうのか?」
「そういう事です。AI的な表現をすると”過去のモデルを参照し、残存する頭2つがそれを第三者の意見として参照している”ようなものなのです。『こういう状況ならアイツはこうした』という共通の仮想意見の構築を行う……喪失した分の頭の思考パターンをシミュレーションする事で、本来の多数決アルゴリズムを疑似的に維持していた。その可能性が高いんです」
「化け物かよ」
「幼体である竜の仔でこれなのです。頭の1つを失い、200年間も眠りについているズメイであれば……」
「―――仮想意識の構築と、疑似的多数決アルゴリズムの精度はより確固たるものとなっている、と」
つまり結論を述べると、今のズメイにとって【首の喪失は思考的弱点とはなり得ない】という事だ。
首が1つ欠けていても、頭の中にもう1つの仮想意識を宿している……だから多数決による瞬時の意思決定は依然として健在である、というのがサキエルの主張だ。
生物として隙が無い。
それもそうだ―――ズメイの属するエンシェントドラゴンという種族は人類よりはるかに昔からこの惑星に生息していたとされ、”全ての生命の原点”と目されている。
多くの宗派が『エンシェントドラゴンは神々が直接生み出した存在である』と解釈している通り、他の種族と比較するとその完成度は高いのだ。
そしてそれらが跳梁跋扈していた時代を、人類はこう呼ぶ。
『神話の時代』、と。
「忙しいところ、いきなり押しかけて申し訳ないなミカ」
「いえいえ、ちょうど休んでいたところですよ」
応接室にアナスタシア姉さんと息子のヴィクトルを通すなり、姉の口から出たのは謝罪の言葉だった。
姉上の困ったところは時折こうしてアポなしの訪問があるところだ。俺がリュハンシクでノヴォシアに対し睨みを利かせているように、姉上もまた宰相として今のイライナ公国の中枢に身を置く重鎮である。『宰相閣下が宮殿を離れた』というだけでも騒ぎになるのだから、もう少しこう、手順を踏んだ訪問を……とも思うが、仕方のない事なのだろう。アポなしの方がノヴォシア側にも動きを察知されにくいだろうから。
窓の外を見るヴィクトル。城の外にはT-84-120”ヤタハーン”戦車がずらりと並び、戦闘人形の整備兵たちが車両の整備に勤しんでいる。
この一週間で、保有する戦車の総数は500両から800両まで急増した。
国土回復作戦の際に除染施設として使っていた施設も役目を終え、現在では大陸間弾道ミサイルを装填したミサイルサイロとして転用。増大した分の出費は自費で何とか賄っている状態だ。
全てはノヴォシアの侵略ではなく、ズメイ復活への備えである。
「単刀直入に用件を述べるぞ、ミカ」
「はい」
「―――ノヴォシア領アラル山脈へ潜入し、”ズメイの封印状況”の調査を行ってほしい」
「なるほど……そう来ましたか」
有り得なくはないな、と想定していた事だった。
相変わらずノヴォシア共産党はズメイ復活の可能性という事実を伏せ、内々に処理しようとしている(まあ無理だろうが)。
だからいい加減にメスを入れ、今どうなっているのか……可能であれば復活までの猶予を推測できるだけの情報を得たい、というのが姉上の本音なのだろう。
「厳重警戒下のアラル山脈への潜入となります。叔父様にはご苦労をおかけしますが……」
「大丈夫だよヴィクトル。姉上……キミの母上からの無茶振りには慣れている」
ニッ、と笑みを浮かべ、姉上の真っ赤な瞳を真っ直ぐに見た。
「―――分かりました。その話、お受けしましょう」
イライナ公国国歌『我らの空の下に』
イライナ公国の国歌。ノヴォシアに併合されるよりも以前に作曲されたものであり、イライナ独立後も引き続き国家として採用され続けている。当時の周辺諸国の国家が皇帝や国家元首を讃えるものが多い中、イライナ公国の国歌にはキリウ大公の名が一度も登場せず、民族の団結と豊穣の大地を讃える内容となっている点で異色であると評されている。
ノヴォシア帝国による併合を受けていた時期は『民族主義的感情を煽る』として歌唱はおろか聴く事、演奏する事すらも禁止されていたが、それでもイライナ人はいつか独立し公国を再建する事を夢見てこの歌を愛し、胸に抱き続けたという。
歌詞(日本語翻訳)
1
イライナは決して滅びぬ
兄弟の如き団結の限り
雷は我らの旗を照らし
血と誓いの地に希望は芽吹かん
ああ 我らの空の下に
心を合わせ共に進まん
風よ伝えよ 我らの名を
イライナの民は一つなり
2
剣を畑に 槍を犂に
子らの笑みこそ我らの勝利
嵐を払いて 民を守らん
黎明の鐘は自由を謳う
ああ 我らの空の下に
心を繋ぎて共に進まん
未来を紡がん この手にて
イライナの民は一つなり
3
陽は黄金に 大地を染め
穂は波打ち 風は歌う
汗は祈り 実りは誓い
天の恵みを 民と分かたん
ああ イライナよ 永遠に栄えよ
麦の海に 光満ちる
大地が枯れ この命尽きるまで
イライナの民は一つなり
なお、この国歌は1988年のイライナ民主化後も歌詞を変更する事無く引き続き『イライナ人民共和国』国歌として採用され続けている。




